第二話 直貴、望みを奪われる(三)
「そういえば今日はハロウィンだった……」
うろ覚えだが、奏音から渡されたチケットにそれらしい文字が印刷されていたような気もする。
毎年女子寮の食堂でハロウィンパーティーが開かれる。会場になっている食堂へたどり着く前に、お化け屋敷というかお化け廊下を通ってもらうスタイルが評判だ。
もちろんそのことは直貴も知っている。しかし今年は奏音からデートに誘われたことで、パーティーのことはすっかり頭から飛んでいた。
「はいはい、わかりました。ぼくを実験台にしたんだね。それなら大成功さ。十分怖かったから」
精一杯、不機嫌な表情を浮かべて、直貴は女子寮を出ていこうとした。
「待って、ナオくん」
いきなり薫が直貴の行く手に仁王立ちした。
「実験は終わったんだろ? ぼくの役目は終わったんだ。帰るんだから退いてくれよ」
「帰っちゃダメなのぉ。ナオくんには大切な仕事があるのよ」
背後から優香が、甘ったるい声で直貴を引き止める。
「幽霊役をするはずだった子が、今朝から熱を出したんだ。彼女はやるって言い張るんだけど、あたしたちで止めたのさ。交代要員はちゃんと用意するから、心配しないで休んでろってな」
「交代要員って……まさか……」
「察しがいいな。ナオくん、きみのことだよ」
千絵里がはまるで「真犯人はおまえだっ」と宣言するように直貴を指さした。
「待てっ。ぼくはこのあととっても大切な用があるんだ。きみたちの願いは聞け……」
「これに見覚えがない?」
薫が狼のゴムマスクを目の前で広げる。直貴の言葉が途中で止まった。
「昨日スタジオに忘れてたの。ハロウィンの仮装用グッズでしょ。ナオくんってあたしたちが何も言わなくても、もしものときに備えてくれていたのね」
「違うっ、それは……どうでもいいから早く返してくれよ、千絵里さん」
「ダメだ。こんなの買うくらいだ、よっぽど狼男にあこがれてんだろ? 望み通りその役をさせてやるから、お客さんの女子を思う存分脅かしなよ」
怒りの通じない苛立ちで肩を震わせる直貴に、千絵里がマスクをかぶせる。
「おお、似合う似合う。いつもの童顔ナオくんとは別人だな」
「本当は用事なんてないんでしょ? いつものように、断るための口実だって解っているのよ」
「薫さんまでそんなこと言うなんて。口実じゃない、本当に今日だけはダメなんだ」
「ふうん……あたしたちの頼みが聞けないっていうのかい?」
千絵里の口元から笑みが消えた。ノーと言わせてもらえない威圧感がある。
狼男のマスクを買い、狼男になると誓っても、中身は女子三人組の苦手な直貴そのままだ。
「つべこべ言わず、そこに立って準備するっ。もうちょっとしたら、お客さんが来るんだよ」
三人組は直貴に説明するチャンスすら与えてくれない。
なんとか逃げ出し、奏音とのデートに行きたい。だが目の前で三人が目を光らせている。このままでは完全に遅刻だ。
「とりあえず電話して事情を説明しないと……」
ため息交じりの息を吐き、直貴はスマートフォンを取り出した。
「ええと、奏音ちゃんは……あれ?」
いくら連絡帳を捜しても、奏音の名前が出てこない。
「しまった。ゆうべメモの文字に見とれてて、登録するのを忘れたんだ」
バカバカバカバカっと自分の頭をぽかぽか叩く。すると背後から手が伸びて、直貴のスマートフォンが掠め取られた。
「ナオくん、これは預かっておくわね。お化け屋敷の狼男には要らないものでしょ?」
「おいっ、返せよっ」
満面の笑みを浮かべる優香から奪い返そうとするが、すぐに千絵里にパスされた。
「マナーモードにしていても、途中で振動すると集中が途切れるだろ」
千絵里は直貴のスマートフォンを自分のコートのポケットに入れた。
言い返そうと直貴が口を開きかけたが、薫の人差し指が狼男のマスクの上から唇に触れ、言葉が止まる。
「文句を言わないで、玄関に立って。あと五分ほどで、お客さんたちやってくるんだから」
「効果音はあたしに任せてね」
優香が手にしたミュージックプレイヤーを操作すると、『ぎゃああああああ!』という少女の甲高い悲鳴が廊下に響いた。
続いてホラー映画のサウンドトラックが流れる。ジェリー・ゴールドスミスの『オーメン』だ。直貴は選曲の良さに感心する一方で、こんなときまで音楽に耳が行ってしまう自分が滑稽で悲しくなった。
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