第三十四話 小隊長とリバイアサンと立ち向かう決意
〇紫電渓谷 地下坑道
シノブは駆け去るアオイを呆然と見る事しかできなかった。
「姉妹……ごっこ……」
内側から刺されているような、締め付ける痛み。自分で自分を殺したくなる衝動。
「アタシは……。アタシは」
なぜ、まっすぐに見ないのか。トモエの言葉に頭を殴られるようだった。
「なんでそんな……」
――自分で言ったじゃん。今を見ろって。
幼い日の自分が、すぐ横でそう呟いた。
――過去よりも、今を取るんだろ
過去の自分が、悲しげにこちらを見た。
――分かってんだろ。アイツらを子ども扱いして、お前が倒れたらどうなるか
それでも守りたい。それは
――未練が理由なんだろ。
幼い自分が、寂しそうに自嘲した。
――でも、それは駄目だ。アイツらは、後悔よりも、大事なんだろ
過去の自分が前を指さした。その先には、アオイ機とソウ機が戦っている。戻らない過去よりも大事なものが、網膜に刻み込まれる
――お前、慕われてんじゃん。泣きながら守ろうとしてくれるくらい、大事にされてんじゃん
アオイの真意は分かっている。自分を守るためだ。つい無理をする、自分を守ろうとするためだ。
――じゃあさ、過去は諦めろ。いま大事なものはなんだ?
そんなものは、とっくに分かっていた。
――やんなきゃいけないこと、やろうぜ。嫌でも、泣きそうでも、辛くても
後悔と未練が絡みつく心を、軋ませながら無理やりに動かす。
「アタシが、アタシがすべき事は」
暗闇でも、しっかりと前を見る。
「今を取ることだっただろうが!」
闘志を読み取って、機械仕掛けの捕食獣が牙を手に取った。
「この場所ならいけるか」
あたりを見回し、耳を澄ませる。
(一本道じゃない。やや広まった空間。回り込める……!)
そこまで把握した後に、アオイが話していた攻性獣の対処法を思い出す。
「アオイ! お前の見立てをまずは確かめる!」
「分かりました!」
ハイメッサーを水面に突き立てる。攻性獣がアオイ機に噛み付こうとする瞬間に、電撃を入れた。
小さな雷光が、あたりを焼く。
「これで、どうだ!?」
途端に、攻性獣が向きを変えて空を噛んだ。
悔やむように、驚くように、そして自分に呆れる様に苦笑いを浮かべた。
「さすがだな。なんで、アオイのことを半人前扱いしてたのか……」
削岩機を取りに来る前にアオイが話していた秘策を思い出す。
〇紫電渓谷 地下坑道
シドウ一式なら削岩機を使えるかもしれない。その可能性が三人の顔に活力をもたらした。だが、シノブは猫の様な瞳を歪ませて、手を口に当てて悩んだ。
「あとは、あのバケモンみたいな攻性獣だな」
「それについては――」
アオイのシドウ一式が足元にある紫の結晶を拾う。大きさは人戦機の拳ほどだ。
「これを使えば大丈夫です」
差し出されたのは紫電結晶だった。
「なんで、これを使うと大丈夫なんだ?」
「あの攻性獣。見えなくても聞こえなくてもこちらを襲ってきました」
「だからヤバいんだろ? どうしようも――」
「でも、襲ってこなかった時があります」
「……へ?」
ソウが割り込んできた。
「どういうことだ。結論を先に頼む」
「あの攻性獣は、ロレンチーニ器官を使っていると思うんだ」
「なんだそれは?」
「水中の生き物って聞こえなかったり汚れで見えなかったりする時に、電気の力で相手を探すんだ」
「だが、やつもそうだとは――」
「紫電結晶が砕けた時、アイツはとどめを刺さずにうろうろしてた。まるで見えないみたいに」
「理解した。瞬間的な通電による目眩まし。閃光弾のような使い方か」
アオイが説明を終えても、シノブの瞳からは戸惑いが消えない。それを見たソウが通信に割り込む。
「オレはアオイを信じます」
断固たる信頼に裏付けられた、揺らがぬ口調だった。
合理性を好み、情を挟まぬソウの声には、曲がらぬ芯が入っていた。苦闘の度に救われた経験が、アオイへの折れない信頼を育んだのだろう。
シノブが通信ウィンドウを見る。そこには確認に満ちた切れ長の三白眼と垂れ気味の丸目があった。四つの瞳が湛える力強さにシノブが頷く。
「わかったよ。これに賭けてみる」
〇紫電渓谷 地下坑道
シノブがやり取りを思い出しながら、苦笑いを浮かべる。
(あんときゃ、半信半疑だったけどな)
後輩を信じ切れなかった未熟な自分を恥じる。
(なさけねえ面じゃ、アイツらを不安にさせちまうな)
手を顔に被せ、不敵な笑いを張り付けた。微塵の不安も乗せないように、喉に力を籠める。
「明かりを落とせ。アタシが始末する。お前たち、囮を頼む」
「分かりました」
「了解」
三機の照明が一斉に暗くなる。光を照り返していた攻性獣の赤い瞳も今は見えない。一面の黒とチラつくノイズが見える中、遠くにソウの声。
「どこからくるか……」
「固まらないと。ソウ。背中、任せたからね」
「オレの背中も頼む」
「任せて。相棒だからね」
チッチッという甲高い探査音を使って、耳で景色を見る。攻性獣の滑り寄ってくる音が聞こえた。
(へ。あっちから近づいてきたな)
気合を乗せて、号令を下す。
「アオイ! いまだ!」
「分かりました!」
そして、アオイ機は足元を踏みつけた。結晶が砕ける音と共に、強烈な閃光が坑道を照らす。
刹那、浮かびがったのは迫る大顎だった。雷光が消えるとともに訪れた暗闇で、暴れる水音が聞こえた。
(そうだ。のた打ち回れ)
ゴーグルに映るのは一面の黒だった。
(真っ暗だろうが、アタシには関係ねえ)
鼓膜を通じ、脳髄には攻性獣の姿がくっきりと映る。
(ずっと、真っ暗でも生きてきた)
黒龍を目指しサーバルを駆けさせる。のた打ち回るだけで、サーバルⅨに気づく様子もない。
(まずはコイツから!)
一足の距離まで詰めた。
片腕のみの不安定な操縦だったが、微塵も仕留め損なう気はしなかった。
巨大な塊に続く細い筒状の部分、つまり首元がサーバルⅨの目の前に浮かび上がった瞬間だった。
「シッ!」
戦闘服に一瞬の圧と確かな手ごたえ。聴覚越しに立体化される巨躯から、首がポロリと落ちる。
(次の獲物!)
どぶん、と首が水面に落ちる音が背後に。闇に惑う次なる獲物へ、闇を駆ける捕食獣が襲い掛かる。
(ぶっ刺す!)
暴れ狂う長い首をかいくぐり、胸元にナイフを突き刺す。そして、柄を捻って刃を上向きに。
(死ね)
切り上げ縦一閃で甲殻の内側が捲れていく。体液をまき散らして攻性獣が横たわった。
すぐさま振り向きナイフを逆手に。振りかぶって腹に向かって渾身の振りおろし。
(止めだ)
戦闘服越しの肉を刺す感触の直後に、電撃を食らわせる。一瞬の雷光の後、攻性獣は息絶えた。
(残り何発もねえか)
視界の端でナイフの充電残量を確認する。よぎる不安。だが、不敵な笑みを貼り付ける。
(最後のデカブツ!)
一際大きい反響へサーバルⅨを駆けさせる。脚部アクチュエーターの最大出力が、機体を推した。
その慣性を切っ先に込め、渾身の刺突を繰り出す。ガキリ、という拒絶の音が響いた。
(かってぇ!)
銃弾を弾くほどの甲殻は、全力の刺突すら拒む。
「いっけぇぇぇ!」
操縦士の気合を読み取って、全身の筋肉状駆動機構に最大級の電気パルスが発せられた。生物様構造合金骨格が軋むほどの力が電撃ナイフの切っ先に集約される。
だが、それでも甲殻は侵入を拒む。
「くそ! サーバルに電撃ナイフだけじゃ!」
どう足掻いても自分一人では目が無い。
(どうする!? アオイとソウも!?)
暗闇で動けるのは自分だけ。加勢を求めるには明かりをつける必要があった。
二匹は倒した。数的不利は解消された。協力すれば、最後の一体を倒せるかもしれない。でも、もしかしたら。
(アイツらに襲い掛かったら!?)
不安が胸元から這い上がり、喉を締め上げる。
(もし、アイツらが……)
そこまで考えて、自分の胸を思いっきり殴る。
(アタシはバカか!? アイツらを! 信じろ!)
すぐさまインカムを入れた。
「お前ら! 明かりをつけろ!」
「え!? いいんですか!?」
「二匹倒した! 後は一緒にやるぞ!」
三機分の明かりが暗闇に次々と灯る。
その瞬間、細長い何かが水を切る音が聞こえた。パンと言う破裂音と同時に横殴りの衝撃が全身を襲う。
「うぁ!?」
ふわりと宙を浮く感覚の直後に、戦闘服が全身を締め上げる。何が起こるか察し、奥歯を噛み締める。
二秒の間をおいて、衝撃が背中から腹へと突き抜ける。
「がは!?」
貯めた空気が一気に漏れる。
その間にも、ずるりと這い寄る音をサーバルⅨが捉えた。大顎を開けて獲物を狙う姿が、脳内で再生される。
「やべ」
その時、ソウの気合が耳を打つ。
「この!」
大顎が蹴りで吹き飛んだ。ソウ機が着地と共にハンドガンを向ける。攻性獣がいったん距離を取った。
仕留めきれなかったが、立ち直る隙はできた。
「今のうちに」
「助かった!」
一人じゃない。
力みが消えたためか、今度もすんなりと立ち上がれた。だが、状況は好転しきってはいない。
「どうする!? 固すぎる! 殺しきれねえ!?」
叫びを聞いたアオイが、目を見開いた。
「ソウ! 何とかお腹を!」
「どういうことだ!?」
「アイツ、お腹の甲殻がないはず!」
「どうして分かる!?」
「前に戦った時、ソウが手榴弾で吹っ飛ばしたでしょ!?」
「思い出した! だが、どうやって腹を向ける!?」
「キックとかでなんとかならない!?」
黒龍に向かい、ソウ機が疾走する。駆ける勢いをそのままに、屈し、跳ねた。
「くらえ!」
鮮やかな跳び蹴りを黒の甲殻へ突き立てる。シドウ一式から伝わる衝撃で、攻性獣の巨体が揺れた。
「どうだ!?」
だが、あと一歩のところで、黒龍の攻性獣が体勢を持ち直す。
「くっ!?」
着地後、ソウ機がすぐさま距離を取った。
「あと少しか!」
ソウ機がアオイ機を向く。
「アオイ! 一緒に行くぞ!」
「行くって!? まさか!?」
「いけるはずだろう!?」
「ソウほど上手くは!?」
「問題ない! いくぞ!」
二機が揃って駆け、屈し、跳ねる。
「くらぇぇ!」
機体が纏う慣性を脚先に込め、二機の全力を攻性獣に突き立てる。
華麗に着地するソウ機と、よろけて転びかけるアオイ機。攻性獣の巨躯が倒れそうだが、あと一歩の姿勢で持ちこたえている。
「倒れないよ!?」
「諦めるな!」
転びかけたまま、攻性獣へソウ機が踏み込む。
「このぉ!」
そのまま肩口で体当たりを仕掛ける。攻性獣が更に傾く。
「加勢を!」
「う、うん!」
アオイ機も駆けて、肩口からカチ上げるようなタックルを食らわせる。
「倒れるぞ!」
巨躯の傾きが限界を超え、特大の落水音が響く。むき出しの黄色い血肉が露わになった。
「取り押さえなきゃ!」
「了解!」
「シノブさん! 今です!」
サーバルⅨが、ぎこちない走りで攻性獣へ詰め寄る。
「随分と不格好で、泥くせえな」
勢いのまま、暴れる邪龍の腸深くへナイフを差し込んだ。
「あばよ」
雷光と共に、長い動体が痙攣する。何回も攻性獣へナイフを突き立てた。
片腕がない分だけ、動きはぎこちない。
それでも、泥臭く、執念深く、何回も振り下ろす。
(カッコわりぃな……)
助けられなければ倒せない。胸のすくような必殺技もない。颯爽した格好良さなど微塵もない。
(アタシらしいか)
泥水を啜るようにしか生きられなかった。悔やみながら、後ろを向くようにしか生きられなかった。
(けど、それだって、生き方だ)
甲殻の内側がぐずぐずに崩れて、攻性獣が完全に動きを止めた。
「これだけぶっ刺したら、もう生き返りはしねえだろ……」
深いため息が坑道に響く。
その後、至近距離限定通信を入れた。通信ウィンドウに、垂れ気味の丸目と切れ長の三白眼が映る。
何事かと見つめる四つの瞳を前にして、急に照れくささが込み上げる。
「……なんつーか、さ」
「なんでしょう?」
頬を掻いていると、自然と笑みが漏れた。
「やるじゃん。お前たち」
アオイとソウの目が僅かに見開かれた。
「ありがとうございます」
「感謝します」
もう、子ども扱いしない。頼る時は頼る。そう決めたら、不思議と身体が軽くなった。
自分でも驚くほど穏やかな声が出る。
「じゃあ、行こうか。削岩機、持ってくぞ」
アオイが削岩機を拾い上げ、そのまま来た道を戻った。
何度も危機に見舞われた坑道だった。アオイの不安そうな声が耳に入る。
「これで、また何かあったらどうしましょう?」
「そうだな。そんときゃそん時だ」
あれほど怖かった失敗が、今ではそうでもない。
「どうすりゃいいか。また考えて、足掻けばいいさ」
きっと何とかなる。そう思って、通信ウィンドウに映るアオイとソウを見る。
「お前たちと一緒にな」
「……はい!」
しゃべっている間に、出口を塞ぐ巨岩の前に立っていた。アオイ機を向くと、無言で静かに頷く。
アオイ機が削岩機を構えると、駆動音が鳴りひびく。そのまま振動する先端を岩に当てると、破片がそこらに飛び散った。そうして削岩機がどんどんと沈んでいく。
岩が抉れて亀裂が走る。そこから漏れ出るのは確かな明るさだった。
「……明るい!」
三機は、暗闇の坑道に差し込む、出口の光へと至った。




