第二十九話 小隊長と傷の男と語られる大志
〇廃棄都市 地下坑道
地下坑道にしては場違いに大きい空間は、薄暗かった。人戦機のひざ下まで浸かる水面に、三対一、計四つの巨人の影。
孤独に佇むシドウ八式から芯の強い、圧を伴う声が発せられた。
「話をしよう」
予想外の、あまりにも都合の良い提案に、思わずシノブの眉尻が上がる。
「……何?」
「いったん銃を下げろ」
罠か本気か。耳を澄ますが伏兵はいない。そしてゴンドラとタケチ機の両方を見る。どちらにせよ、選択肢は無かった。
「下げろ。動くな。アタシが応じる」
機体を一歩前へ。そして、手元を見ると映像が消え、歳の割に小さな自分の手と仮想スイッチが見えた。スイッチの一つを押して、外部スピーカーを入れる。
「何の用だ」
「その声は……。いや、いまはいい。こちらが望むのは交渉だ」
話がうますぎる。
スラムで何度も痛い目に遭った経験が警告を鳴らす。だが、画面端に映る弟妹のような二人の顔が目に入った。
(この二人を無事に返さないと……。今度こそは……)
スラム街の光景が脳裏によぎる。背後に立つ二つの人影に、ソウとアオイの面影が混じった。
「……交渉と言うからには、アタシらにも旨い話なんだろうな?」
「もちろんだ。このリフトを使わせてやる」
何かある。
そう思って、再び手元を見みる。外部スピーカーのオフ、そして至近距離限定通信のオン。考える前に手が勝手に動くほど繰り返した動作だった。
通信ウィンドウに映ったアオイとソウに語り掛ける。
「ソウ、アオイ。適当に話に乗る。ここから出ちまえばこっちのもんだ」
「わ、分かりました」
「話を合わせるが、真に受けんじゃねーぞ」
再び声の行く先を切り替える。
「条件は? タダで使わせてくれるって訳じゃねえだろ?」
「お前の声。スラムで襲われていた二人組の小さい方か。たしかシノブだったか」
スラムでタケチと会った時に、アオイを連れていた事を思い出す。
「小せえ……は余計だよ。歳は上だ。アタシが小隊長で窓口だ」
今まではずっと下っ端だった。小隊長という響きが未だにしっくりこないものの、いったんそれを脇に置く。
「で、この前はありがとうな。今回も助けてくれるとありがてえんだが」
「助けるかどうかはお前たちの、いや……」
そう言ってタケチの乗るシドウ八式がサーバルⅨを指した。
「お前の心構え次第だな」
「アタシの?」
「我々は、フソウを改めるために働いている。この国は過ちに満ちている。なぜだと思う?」
「いきなり国だぁ? 何言ってやがる」
急に大きくなった話についていけなかった。子供のころから生きるのに精いっぱい。自分の手の届く範囲ですら、後悔に塗れての毎日だった。
沈黙を続けていると、タケチが答える。
「過ちを見つめ、改めないからこんな国になってしまった」
自分も世を恨んだ回数は分からないほど多い。今度も沈黙を続けざるを得なかった。
「さて、お前はどちらだ? 過ちを改められるのか? 否か?」
「……失敗ならいっぱいあるさ。数えきれないほど、この手に抱えきれない程な」
生き延びるため、みんなを思って。それで裏目に出て、裏切られた。
そんな記憶はいくらでもあった。
「だからこそ、アタシは失敗から目を逸らしたりは――」
決意と力を声に込めてようとした時、タケチがそれを断ち切った。
「嘘だな」
有無を言わせぬ迫力。タケチは言葉を続ける。
「私はお前のような欺瞞に満ちた人間が度し難い」
「欺瞞? 度し難い? なんでそうなる?」
「同じ苦しみを経て、なぜ国を撃たぬ、なぜ元を断たぬ」
「同じ苦しみ……だと? 」
タケチとの共通点にまるで、心当たりはなかった。
「私は妹を飢えさせてしまった。スラムの大人たちから食べ物を、守り切れなかった。だから、同じだ」
その言葉に息を呑む。動揺が声に乗らない様に、精一杯の力を籠める。
「……へ。アタシの何を――」
「聞いた。調べた。隠し通せると思うな」
思わず肩に力が入った。
(こいつ、どこまで……!?)
交渉に割かなければならない意識が、弟妹の事ばかりに注がれてしまう。何も言えない間にも、タケチは話を進めていった。
「続けよう。だから私は贖い続ける。過ちと正せるのは子どもたちと、欺瞞に逃げない極僅かの大人だけだ。未来を救うために、それ以外は殺す」
狂っている。
世を恨んだ事もある自分だって、そこまでの結論には至らなかった。
「子どもから奪う大人どもを殺す。直接的であっても、間接的であっても。個人であっても、組織であっても――」
増強された聴覚が、タケチが息を吸う音を拾う。
「国であってもだ」
超人の域までに達した聴覚が、気迫と覚悟を十全に伝えてくる。
(こいつ……、この声の調子……、本気で)
まともに考えれば、ただの誇大妄想だ。しかし、確固たる覚悟が言葉の芯を貫いている。
ただのチンピラではない。纏う凄みで、肌がぶるりと震える。
「元凶を断つ。それこそが、過ちへの贖いに至る唯一の道。だと言うのに……」
タケチの声が吐き捨てるものへと変わった。
「貴様がやっているのは金稼ぎに子どもを巻き込んでいるだけだ」
気圧されて、息を呑む。
だが、弟妹のような後輩たちの前で怯むわけにはいかないと、自らに言い聞かせる。
「何言ってやがる。アタシには小隊長としてこいつらを――」
「違うな。お前は在りし日の家族の代わりを囲っているだけだ」
「……そ、そんな事は」
「言ったはずだ。聞いたと」
バレている。
視線が通信ウィンドウへ移った。戸惑いを浮かべた垂れ気味の丸目と、切れ長の三白眼が映っている。弟妹代わりの二人から注がれる視線が、急に怖くなった。
「欺瞞。我々のように元を正さない。顧みず、仮初の弟妹を囲うばかり」
言うな。言うな。
その言葉ばかりが頭で渦巻き、口からは出て行かない。タケチの声に嘲りが濃くなる。
「貴様も爆死させるべき側の人間か。十年前から続けているが、一向に貴様の様なゴミが減らない……。嘆かわしい」
戸惑いの中にあって、十年前と言う言葉だけが頭に残った。両親のいなくなった年だった。
「あ? 十年前……だと?」
「そうだが?」
ふむ、と一呼吸置いて、タケチが言葉を紡ぐ。
「言っていなかったな。私はこの国に蔓延る大人を駆逐するために、贖いを続けている。安寧を謳いながら国をゴミにしている為政者どもへ、カネに釣られた大人どもに爆弾を括りつけ、ぶつけている」
十年前。カネ。爆死。
頭の中で言葉が繋がってく。そして無意識が浮かびあげたのは、希望に満ちた両親の顔だった。
「カネに釣られた……。爆弾……」
次に浮かんだのは両親の死を伝えに来たスラムの大人たちだった。それは、両親が自爆テロの片棒を担がされたと聞いた日の記憶だ。
「お前だったのか……!」
氷よりも冷たい液体と煮えたぎる湯よりも熱い液体。その二つを同時に注がれたように、身体の全ての毛が逆立つ。
(こいつが居なければ、今だってパパやママが居た!)
両親がいなくなったのは、パパやママと呼ぶのが少し恥ずかしくなった時だった。
(こいつが居なければ、泥をすするような日々は無かった!)
吐き捨てるほど浮浪児がいる貧困国フソウで、逃げ場はスラム以外に無かった。
(こいつが居なければ、砂を噛む様な日々は無かった!)
何を食べても味がしない。そんな今を送る必要は無かった。
頭の中で、何かがブツリと切れる音がする。
「お前が……。お前がぁぁ!」
操縦士の怒りを読み取って、機体が殴り――
「な!?」
かかれなかった。駆け寄る途中で、サーバルⅨの膝がガクンと落ちる。
「くぅ!?」
大きくバランスを崩し、前のめりになる。水面に突っ込みそうになるギリギリで、サーバルⅨが踏みとどまった。
水面越しの自機が見えた。だらりと下がる骨格むき出しの右腕に視線が移る。
(……バカか! また繰り返すのか!)
右腕の損傷は私情を優先した結末だった。シノブが奥歯を噛む。
(アタシが殴りかかってどうなる……! 共倒れじゃねえか!?)
生存を考えれば交渉を続けるべき。だが、すぐには事実を呑み込めない。
(でも! なんで! パパとママの仇に!?)
どうして耐え忍ばなければならないのか。
どうして思い通りにできないのか。
ポロポロと零れる涙が口元に伝い落ちる。
(なんで!?)
噛み締めすぎた口に、何か生暖かいものが溢れる。味はしない。鉄の臭いからすると、恐らくは血なのだろう。
いつもは芯のあるタケチの声が、軽蔑の混じった物に変わる。
「やるのか? ならばエレベーターの操作盤を破壊するが?」
伝い落ちた涙が口に掛かった。
(なんで? 決まってる……)
目を見開き、至近距離限定通信で繋がったミニウィンドウを見る。濡れる視界には、ソウとアオイの顔が映っていた。
(アタシは! 今度こそは! 生かして返さないと!)
口元に伝う涙も、口の中の血も飲み干した。そして、手で顔を覆い不敵な笑みを貼り付ける。
「何を勘違いしてやがる。続けるぞ」
声の震えは抑えられた。タケチの返答に僅かな驚きが乗る。
「……ほう。では、誓え。貴様の過ちを認めろ。そして贖え。そうすれば、エレベーターを先に使わせてやってもいい」
ぐつぐつと腹のそこで煮えたぎるものはある。しかし、無理矢理に噛み締めた。
「……ああ。認めるよ」
再び目を開く。
「アタシは――」
そう言って機体ごと頭を下げようと思った時だった。増強された聴覚だからこそはっきりと分かる何か低い音。
「……なんだ?」
それが徐々に近づいてくる。この星において警戒すべき存在を思い出す。
「この振動! 横坑注意!」
叫んだと同時にソウ機とアオイ機が構えた。
片腕が無い分だけ手間取っている間に、赤い瞳が横坑の暗闇に灯る。自分たちが通ってきた道と、タケチ機の傍と、他にもある複数の横坑。全方位から大群がやってきた。
「攻性獣!? 戦闘態勢!」
弾もエネルギーも残りわずか。だが、直ぐ側にある出口は、どこまでも遠い。




