第二十七話:少女と暗闇と仄暗い赤
〇廃棄都市 使途不明の地下トンネル 横坑
粉塵が立ち込める暗闇の坑道に揺れる三つの明かりは、アオイ、ソウ、シノブがそれぞれ搭乗する人戦機が放つ光だった。
坑道には、今も崩落の轟音が鳴り響いている。
その中の一機、アオイ機も懸命に駆けていた。
「あ、危なかった!」
なんとか難を逃れたが、崩落が連鎖しない保証はない。背後からの轟音に追い立てられながら、とにかく機体を駆けさせた。
とにかく暗く、不安しか掻き立てない闇の道。光量増強処理が最大限に稼働しても、数値やアイコン以外の視界は黒に占められていた。
黒の背景に浮かぶ通信ウィンドウに、シノブの顔が映った。その顔には、いつもの不敵な笑みは無い。
「全員無事か!?」
「な、なんとか」
「はい」
崩落の危険がないところまで退避した一同は、あたりを見る。使われている気配のない坑道。
「ここは?」
「何かの……、地下トンネル? この前の工事現場みたいですね」
「雰囲気は似てるな。とりあえずはここから出なきゃいけないが……」
「さっきの所は埋まっちまったな」
「進むしかないですね」
「そうだな。行くぞ」
そうして、三機は真っ暗な坑道へ消えていく。出口は全く見えない。
〇廃棄都市 使途不明の地下トンネル 横坑
アオイたちが乗る人戦機が巨大な部屋で天井を仰ぎ見ている。
天井には縦穴があり、光が漏れている。人戦機の脛までに張った水が、アオイたちのライトと地上からの明かりをゆらゆらと照り返していた。
シノブがため息をつきながら通信を開いた。
「戻るぞ。ここも外れだ」
ため息の原因は、期待していた出口、つまり昇降機が無かったためだ。
三機は出口を探して彷徨っていた。シノブがエコーロケーションを使って、攻性獣を早期発見しているおかげで危機的状況にはなっていない。
しかし、早く出口を見つけないとまずい事には変わらない。弾薬、エネルギーともに、無限ではない。
「まるで迷路ですね」
坑道は分岐が激しかった。そのため、どこに昇降装置があるのか見当をつけられていない。シノブがため息を漏らす。
「反響で、上に抜けてるってことはわかるんだけどなぁ。もう一方に行ってみるか」
ここに来る前に、道は二つに分かれており、シノブにばかり任せるのは申し訳ないと思ったアオイが、こちらに行こうと言った先が行き止まりだった。
「すみません。ワタシがこっちに行こうって言ったから……」
「仕方ねえよ。分かんねえ事は失敗する事だってある」
それも何回目の会話だろうか、と俯いた。身体が重い。頭の中身も重くなったようだ。
(落ちたの、休憩に入る前だったから……。せめて、休んだ後だったら)
人戦機の足元に絡みつく水の抵抗が、低出力人工筋肉越しに体力を奪う。鬱陶しく、重い。
「いつの間にか、水が張っている所に入っちゃいましたね」
「ああ、歩きづらいな。どっかからか水が入ってきているか」
暗闇の中で、ざばざばと水を掻き分けながら歩く。口数は自然と減った。沈黙で気が滅入りそうになる。そんなとき、シノブがポツリと呟いた。
「なんか、スラムにいた頃を思い出すな」
「子どものころ……ですか?」
「ああ。危ねえところだったから、暗がりに隠れてた」
「危ないって?」
「周りの大人たちだよ」
「大人たち……?」
シノブの声から張りが消えた。
「いつ何をされるかわかんねぇ。食いもんを取られるかも知れねぇし、袋詰にされてどっかのやべえ奴らに売られるかも知れねえ」
まるで、移住前の自分のようだった。親は消え、心の繋がりがある大人なんてない。皆が皆、利用するために接してきた。あるものは労働力として、あるものは憂さ晴らしの対象として。
そんな毎日を思い出す。
「誰も守ってくれない……。だから、隠れて?」
「そういうこと。ずっと暗い中を暮らしてきた」
シノブの、深い溜め息が漏れる。
「前が見えねぇ。明日も見えねぇ。真っ暗な毎日だった。このトンネルみたいなもんだ」
「シノブさん……」
「おっと。わりぃ、今話すようなことじゃなかったな」
シノブの声に張りが戻る。
「ま! 今は、アタシの耳がある。心配すんなって。……ん?」
サーバルⅨが足を止めた。
「どうしたんですか?」
「聞こえづらい。ざわざわするし、変に跳ね返る……?」
シノブがそう呟いてすぐに、各機の視界が黒い何かに覆われる。
「なにこれ!?」
「落ち着け!」
よく見ると、小さい黒い何かが視界全面に羽ばたいている。小さな赤い瞳を持っているので攻性獣だと分かった。
「クソ。聞こえづらいのは、こいつらのせいか」
いくら進んでも群れから抜ける事ができない。鬱陶しく思うが、攻撃してくる様子はない。
「とりあえず、危なさそうな攻性獣じゃなくてよかったですね」
不安を紛らわすために、不必要に明るい口調でシノブに話しかける。同じような調子が帰ってくると思っていた。
「いや。まずい」
シノブの声が硬い。
「エコーロケーションが使えない。しかもこいつらが邪魔でよく見えねえ」
作り笑いをしている場合ではない。シノブの声色が、そう言っていた。
「つ、つまり?」
「いつ、攻性獣に襲われてもおかしくない。気をつけろ」
「わ、分かりました」
三機は真っ暗な坑道を進んでいく。その中に何が潜んでいるとも知らずに。
〇廃棄都市 使途不明の地下トンネル 横坑
暗い坑道の中で揺れる、三つの明かり。アオイ、ソウ、シノブの各機の照明だった。
わずかな光が互いの人戦機のシルエットを照らす。だが、坑道一杯に蝙蝠のような何かが、反射光すら塗り潰す。
視界が悪く、エコーロケーションも使えない。そのために各分岐の先に何があるか確かめなければならなかった。廃棄都市のどこにいるのか、それとも廃棄都市から出てしまったのか、それすら不明だった。
続く沈黙の重圧を紛らわすため、アオイが口を開く。
「この坑道。なんのために作ったんでしょう?」
「もしかしたら、トレージオンを探すために色々掘ってたのかもな」
「あー、例の」
頭に浮かんだのは工員救出作戦時の会話だ。地中に埋まっているかも知れないトレージオンを掘り出そうとした先人の徒労を思い出す。
「ここまで掘って無駄骨か」
多岐に張り巡らされた広大さをうんざりするほど味わったシノブがため息を吐く。視界の端に警告メッセージが表示される。
「エネルギーが五分の一もない……」
「アオイもか。ソウはどうだ?」
「こちらもです」
三機揃って、エネルギー切れまでわずか。シノブが舌打ちをした。
「クソ。せめて、休憩後に落ちてりゃ、なんとかなったのに」
「そろそろ出口を見つけたいですけど……」
「ああ。そうだ……。っち!」
「シノブさん!? ど、どうしました?」
「また、こいつらだ」
シノブ機の頭部モニターに黒いシミができていた。付属のワイパーが素早く黒い染みを拭った。
「この、コウモリ? つうんだっけ?」
「はい。キシェルにいたコウモリという生き物に似ています」
「こいつら、本当に鬱陶しい。ろくに聞こえねえ」
「そうですね……っと広いところに出そうです」
「なに?」
三機は別の分岐を進む。しばらくすると、坑道から広い空間に出た。コウモリ状の攻性獣のせいで良く見えないが、太い骨材が張り巡らされた作りになっている。
今までの頼りない坑道の天井に比べれば、しっかりとした安心感を与える。
「なんか……。感じが違うね。ソウ」
「新しいな。それに強い構造になっている」
その一角に、奇妙な物体があった。ゼリーで卵を作ったらこんな感じだろうと思う。
大きさは人戦機を超えている。そして、近づくとその物体がかすかに蠢動していることに気づく。
「これ、生き物?」
「見たことないな」
その生き物が吐き出す液体を見て、ソウがつぶやく。
「この液。再活性可能電解燃料液に似ているが」
「本当だ。燃料液そっくり」
「その呼称は不正確だと――」
「今はいいから。それにしても……」
どうして場違いな場所に、と首を傾げていると、シノブの硬い声が聞こえてきた。
「みんな。構えろ」
「どうしたんですか?」
「足元見てみろ」
「水ですが?」
「その下だよ」
水面でライトが照り返す。揺らめく光の奥に、破片の層が見えた。
「建設資材の破片ですね」
「やたらと細かい。砕いた何かが大量にいたってことだ」
「何かって……、まさか攻性獣?」
「だろうな」
「まだいるんでしょうか?」
「分からねえ。ばさばさ飛んでる鬱陶しいやつらのせいでろくに聞こえない」
その時、卵状の物体の影に赤い瞳を見つけた。
「こ、攻性獣!?」
「何!? いま行く!」
弾道予測線を赤い三つ目に合わせる。しかし、目標は静止したままだった。高い攻撃性を持つ攻性獣らしからぬ行動に、眉を顰める。
「ソウ、待って。多分、死んでる」
「確かめる」
傍に来たソウが一発だけ発砲した。確かに着弾したが赤い瞳は微動だにしない。シノブ機が辺りを警戒しながら近づいてきた。
「どんな種類か確認しとくか。この先、同種に出くわすかも知れないし」
「わ、分かりました」
近づくつれ攻性獣の姿が露になる。
「こ、これって」
思わず息を呑んだ。蛇のような長い体にヒレのような四肢。顎と牙が異常に発達した頭部。そして、全身を覆う白い甲殻。
大海蛇型と呼ぶべき姿に慄いている所で、シノブの声が聞こえた。
「ああ、この前の資源採取戦で戦ったと同じ水上型だ」
各部位が損傷しており、その傷によって息絶えたのだろうと思われる。
「なんでこんなところに……。ん?」
口からは何か管のようなものが伸びていて、卵状の物体に刺さっている。それを見たアオイは、自らの知識からそれが何かを察知した。
だが、その予想は常識とはあまりにもかけ離れていた。
「え……? この攻性獣。もしかして」
「何してるんだ?」
「ちょっと口の中を……」
攻性獣の口を覗く。
「うそ……」
口の中に、あるべきものがなかった。舌はもちろん、消化器へつながる喉も、何もかも。
「こんな大きな顎と牙を持っているのに、この管で液状の餌を吸うの?」
そのつぶやきを聞いたシノブが疑問の声を上げる。
「何かおかしいのか?」
「はい。顎や牙は捕食動物が獲物を捉えて、食い千切って消化しやすくするために発達した器官なんですけど、この攻性獣は獲物を食べないみたいなんです。たぶん、大きな卵みたいなものから中の液を吸っているみたいで……」
「へえー?」
その気の抜けた返事に、また自分がやってしまったと悟る。
「あ、すみません! こんな時に」
「ごめんな。良く分からなくて。ただ、確かにトモエさんも、攻性獣だけは変な進化をしている言ってたから、本当におかしいんだと思うぜ」
その横で攻性獣を見つめるソウが、声を上げる。
「シノブさん。オレたちがこの傷を付けたのでは?」
「何? どういうことだ? ソウ?」
「めり込んでいる弾丸が、アオイの軽機関銃と同じです。着弾部位も酷似している」
「アタシたちが戦った奴が、どうしてこんなところに?」
「オレ達はこの攻性獣を穴に落としました」
「つまり、その穴がここに繋がっている……ってことか」
「それよりも考慮すべき点が」
「なんだ?」
「オレたちが落としたのは、一匹ではないという事です」
シノブの表情が一気に締まる。
「警戒! 離脱のため、出口を探す」
固まりながら壁伝いにじりじりと歩を進める。その時、何かにぶつかった。
「ひっ」
アオイが銃を構えると、そこには朽ちた人型重機が佇んでいた。恐らくはこの坑道を掘ったものが使っていたものだろう。当然ながら動き出す気配は無い。
「なんだ。ただの――」
アオイがそう思い銃を下げた時、近くにいたシノブの叫び声が聞こえる。
「アオイ! 後ろ!」
「え?」
振り返る。
大きく鋭い牙が、上下二列に並んでいた。牙の間にぽっかりと空いている闇が、無性に怖かった。




