第二十六話:少女と立坑と執念の追跡者
〇廃棄都市 使途不明の地下トンネル 立坑
暗闇の中での無重力。
ふわりと頼りない感覚が、突き刺すような恐怖を産む。
アオイの眼前のゴーグルモニターに映るのは仄暗い縦穴。見上げると、入り口は見る間に小さくなる。
「落ちる! 落ちるよ! ソウ!」
「アオイ! 掴め!」
見ればソウ機が手を伸ばしてきた。
「分かった!」
ソウ機の手を取った。だが、迫りくる底を見て我に返る。
「いや!? 掴んでもどうしようもないよ!?」
「いいから離すな!」
そして、ソウはくるりと機体を回す。直後、ソウ機背面の偏向推進翼が輝いた。
「うわ!?」
そして、アオイとソウの機体が側壁へぶつかる。
「うぅ!?」
視界を火花が覆った。身体に重力が戻る。
ギャリギャリと壁をこする不快な音で、ソウが摩擦ブレーキをかけている事を理解した。
「すごい! すごいよ、ソウ!」
「感想よりも偏向推進翼を! 減速が不十分だ!」
「わ、分かった!」
急いで手元の仮想スイッチを押す。モニターに偏向推進翼の出力上昇が示されると、背中から突き飛ばされるような勢いが生まれた。それに応じて、壁面と腕部から舞い散る火花が倍増する。倍化した重力が体を襲う。
(ぐぅぅぅ!)
だが、それでも速度を殺しきれず、立坑の底が迫りくる。
「床が! ぶつかるよ!?」
「投げるぞ!」
「え!?」
ぐいっと引っ張られる感覚のあと、視界が回転した。本当に投げられたと理解したのは一瞬後だった。
「ちょ!? ちょちょ!?」
チラリとコンテナが見えた。あ、と思う間もなく、蹴り飛ばされたような衝撃が、背中から突き抜ける。
「かふっ!?」
肺から息が抜けるようだった。すぐ横にソウ機が降り立った。全身の痛みが、死んではいない事を知らせている。
「ゲホ。助かった……?」
クラクラする頭を押さえて体を起こす。シノブのサーバルⅨが傍に降下してくる。ソウと同じようにアサルトウィングでブレーキをかけたようだった。
「ソウ、アオイ! 大丈夫か!?」
「支障はありません」
「無事ですけど、体中が痛い……」
視界一杯の粉塵が晴れてきて見えたのは、三百六十度を囲む壁と随分と高い曇天だった。
「本当にあそこから落ちて、助かったんだ……」
今更になって現実を理解する。だが、何のための穴なのか。それは見当もつかなかった。
「ここは……?」
「分かんねえ……」
「でも、とりあえずみんな無事でよかった……」
無事だった事に安堵の息をつく。直後に、上から不快な摩擦音。
「何の音?」
見上げる先に、小さな火花が輝いている。凝視するにしたがって拡大される映像。そこにはタケチのシドウ八式が火花を散らしながら降下していた。
「あれは!?」
「追って来やがった!?」
タケチのシドウ八式は、片手を離し、サブマシンガンを取り出した。慌ててコンテナの影へ機体を押し込める。
ヘッドホン越しに聞こえるシノブの声は、いやに冷静だった。
「追ってきた? アタシたちを撃破しに? なぜ?」
シノブの呟きを聞いて不自然さに気づく。強盗目的ならば追ってくる必要はない。シノブが独り言を続ける。
「……何を企んでいる? くそ。とにかく撃退しねえと。お前たち、打って出るぞ」
相手はソウと互角に渡り合える相手だった。迫る脅威の大きさを思い出し、手に力が籠る。
「着地を狙う。耳でタイミングを計る。合図と一緒に飛び出ろ」
邪魔はいけないと無言で頷く。
「五、四、三、二、一、今!」
サーバルⅨの後を追い、飛び出した。火花を追いかけて、青い弾道予測線を合わせる。直後、タケチのシドウ八式が着地する。
「てぇ!」
トリガーを絞る。だが、弾道予測線の先にいたシドウ八式の影が消えた。
「速い!」
着地の衝撃を感じさせない、軽やかな横跳びだった。シドウ八式は跳んだ勢いのまま駆け、近くにあったコンテナに隠れた。シノブが舌打ちをしたが、すぐに次の一手を指示する。
「取り囲むぞ! 展開!」
「了解!」
銃口を下げて近づこうとした時、影がコンテナを飛び越えてきた。シドウ一式では到底無理な跳躍力だ。
「なんて性能!?」
「アタシが出る!」
気迫十分なシノブの声とは対照的に、サーバルⅨの動きはぎこちない。だらりと垂れた右腕に、機体全部が引っ張られているようだった。
「腕が!? くそ!」
ソウのシドウ一式が、サーバルⅨを追い越した。
「オレが!」
「戻れ!」
シノブの裂帛にも、ソウは耳を貸さない。ソウは着地のスキを狙って蹴りを繰り出すが、シドウ八式は上体を半身にねじって回避した。
追おうとするサーバルⅨの肩部を掴む。
「シノブさん! ソウに任せましょう!」
「できるか! お前たちを危険には――」
「そのサーバルじゃ無理です! それに、近距離戦闘ならソウが――」
「お前! あいつを危険に――」
装甲と装甲がぶつかる激音。問答を遮ったのは、ソウとタケチの格闘だった。
八式が一足飛びに間合いを詰めて、正拳を繰り出す。ソウ機は逃げる訳でもなく、腰を落とした。
「ならば」
二機の影が交差した瞬間に、シドウ八式が派手に転げ、勢いのまま壁に激突した。
「アオイ!」
「分かった!」
何をと言わずとも銃撃を加える。驚きが口の中で転げた。
(出足を払った! しかも勢いを殺さずに!)
さり気なく、それでいて曲芸じみた技だった。弾道予測線の先で、シドウ八式が素早く立ち上がる。直後に飛び退いて、コンテナに身を隠した。
スピーカー越しのタケチの声が、立坑に低く響いた。
「お前……。何者だ?」
問われたソウがサーバルⅨを見る。通信はできないため、サーバルⅨが片腕で承諾のハンドシグナルを返した。
ソウの声がタケチの問いに応じる。
「何者とは?」
「その動き。ソフトウェアではない。もっと自由だ」
問答の間にサーバルⅨがぎこちなく銃を構えた。今のうちに準備を整える気だと悟り、自分もやるべき事を振り返る。
途中、ソウ機がこちらを向いた。非効率な問答を嫌うソウの性格を察して、機体でジェスチャーを送る。
(時間を稼いで!)
ソウ機が静かにうなずく。
その間に、軽機関銃に箱型弾倉を突っ込む。サーバルⅨも不自由な片腕に時折ふら付きながら、脇に挟むようにアサルトライフルを構えた。
じりじりとタケチを取り囲むよう移動する間も、ソウは会話を続ける。
「だとすれば?」
「素晴らしい」
「何? 発言の意図が不明」
「どれほど積み上げたのか。その鉄のような魂は、大志に捧げられるべきだ」
「繰り返す。発言の意図が不明」
「我々と共に在れば、フソウを素晴らしい国に出来るぞ。ただの武装警備員で良いのか? そういう問いだ」
「要約すれば、勧誘ということか?」
「そうだ」
「拒否する。トモエさんへの恩義もあるし、相棒もいる」
「残念だ……。仕方あるまい。やるしかないか」
「いくらでも対処するが?」
「あれが本気と思われては困る」
タケチの言葉を聞き、緊張を高める。シノブの合図を伺おうとサーバルⅨを向く。
だが、当のサーバルⅨはあらぬ方向を向いていた。
同じ方向を向けば、闇を湛えた横穴が見える。
「シノブさんは何を?」
直後、闇の奥に無数の赤い光点が見えた。
「攻性獣!?」
慌てて他の横穴も見る。そこにも赤い光点があった。
「そっちからも!?」
横穴から這い出てきたのは軽甲蟻の大群だった。盾のような頭部に赤い三つ目をともしながら、凶悪な太さの六脚で坑道を踏み揺らす。
シノブの舌打ちが聞こえた。
「ち! 応戦するぞ!」
タケチにも注意を払うが、そちらはそちらで攻性獣と交戦していた。何に注意を払うべきかと迷っている所に、シノブの声が響いた。
「固まれ! 背を合わせろ!」
慌てて、サーバルⅨの元へ向かう。
背中を合わせるように振り返ると、無数の敵性存在表示が目に飛び込んでくる。
「こんなに!?」
必死で銃火を浴びせ続ける。みるみる減っていく弾薬に神経が削られるが、潰されないためには必要と言い聞かせる。
「なんとか――」
そう言い掛けた矢先だった。ビキリ、と嫌な音。
「な、なんの音!?」
悪寒を感じて見上げる。
「あれは……!?」
縦穴の壁にヒビが見えた。
今も黒いジグザグが染み込むように壁へ広がっていく。骨材と壁が呻くような鈍い音を立て、傾き始めた。
「ま、まずい!」
とうとう限界を越え、大きな塊が落ちてきた。
「潰されたら!?」
頭上に落ちる壁材を辛うじて避ける。
「アオイ、ソウ! 横穴へ逃げるぞ!」
轟音とともに積もった粉塵が掻き分けながら、声のする方へ機体を駆けさせる。すぐ後ろに岩塊が落ちるのを感じながら、横道へ飛び込む。
アオイたちが逃げた後も縦穴の崩壊は連鎖し、完全に埋まった。




