第二十二話:少女と宴会とそれぞれの思い
〇紫電渓谷 トランスチューブ建設現場 作業員共同休憩所
工事現場の詰所内の休憩所。作業員たちが情報端末をいじりながら静かに休憩時間を過ごすその部屋が、今は騒がしい。机には大量の食事と酒が並べられていた。
「生き返るぜ!」
「っていうか死にかけてたからな!」
「本当に無事で良かった」
作業員の生還を祝う祝宴が催されており、席の中心にアオイはちょこんと座っていた。
(うう……)
サクラダ警備の面々は今回の救出劇の立役者として招かれていた。宴の主役と言われて座っているが、思わず肩をすくめてしまう。
(ま、真ん中は、ダメ……)
部屋の真ん中に座らされるのは拷問のようだった。右のソウと左のシノブへ助けを求めるが、ソウは食事に、シノブは酒に夢中だ。シノブが椅子の上に立ち、ガバガバと杯を煽る。
「かぁー! タダ酒は最高だぜ!」
シノブは相当に出来上がっており、助けは期待できない。孤立無援に困っていると、次から次への作業員たちが話しかけてくる。
「いやー! 死ぬかと思った!」
「逃げた先にも攻性獣が居た時には、マジでカミさんと子どもの顔が浮かんだぜ!」
話しかけてくる作業員たちにどう対応してよいか、目が回りそうだった。
「あの、その、あの!」
こういう時こそ、頼るべきは相棒。
(ソ、ソウは!?)
隣のソウに助けを求めよう振り向いたが、相棒は相変わらず黙々と料理を平らげていた。全く何も喋らない。大皿だけを見つめて、次々と料理を口に運ぶ。無駄なく、隙なく、ひたすらに食べるマシーンと化していた。鬼気迫る様子に誰も話しかける者はいない。
ソウを置いてきぼりにして、宴会は活況を増していく。一人の男性が、シノブの小さな肩を叩いた。
「サクラダ警備さんだっけ? どんどん飲んでくれ!」
シノブの杯になみなみと酒が注がれていく。シノブはそれを一気に飲み干す。小さな体のどこに入るのかと凝視していると、シノブがふぅと息をついた。
「うおっしゃー! 飲むぜー!」
「いいぞー! ちっこいねーちゃん!」
シノブに注目が集まる。席を立ち、隅に移動する機会を見計らっていた自分には、絶好のチャンスだった。
(今のうちに!)
音を立てないようにそろりと立ち上がり、気配を殺しながら摺り足で徐々に席を離れる。
(よし! 行ける!)
そう思った瞬間、どよめきが起きた。何事かと思うと、作業員たちが一斉に情報端末を取り出す。
「おい! 通信が来たぞ!」
「本当だ! とうとうか!」
嬉しそうに反応する作業員たちに、何事かと思う。直後、何者かが手を肩に置いた。
(つ、捕まった!?)
しまったと思い振り返ると、そこには血走った鋭い眼光。幾分か皺を刻んだ眉間に、完全に据った瞳がこちらを見ていた。
「ひぃ!」
それは、赤ら顔のクドウだった。酒飲み特有の血走った瞳のまま、クドウが首を傾げる。
「どうした? そんなに驚いて?」
「い、いえ。こ、腰が抜けそうになっただけで……」
「はぁ? まぁ、それよりも」
「な、なんでしょう?」
「嬢ちゃん。あんたの会社はよう……」
長年をかけて磨かれた危機察知センサーが、まずいと囁いた。
(こ、このままだと絶対に面倒くさい話をされる!)
咄嗟に話題をあれこれと考える。目に入ったのは、喜びの声を上げている作業員たちだった。
「あ、あの。皆さん、なんであんなに喜んでるんですか?」
「んあ? ああ……。ありゃあ、都市との通信が繋がったからだ」
「え? いま通信できるんですか?」
「普通は最初につなげるんだが、トラブルばっかりでなぁ。本当にどうなるかと思ったんだけどよう……」
作業員たちは嬉しそうに、携帯型情報端末を見ている。中には通話をかけ始める者もいた。
「おとーさん! げんき!?」
「ああ! お前こそ、お母さんの手伝いしてるか?」
「うん! もうすぐおねーちゃんになるんだもん。とーぜんだよ!」
温かく少し羨ましい気持ちで、自分には戻らない日常を眺めていた。
(お父さんと、お母さん……。お姉ちゃんか……)
シノブを見るとたまたま目が合った。シノブは少しだけ顔を赤らめて、近づいてきた。
「どうした? アオイ?」
「いえ。ちょっと」
そう言って、ススス、とクドウから距離を取る。そんな様子をシノブが不思議そうに見てきた。
「あのおっさんと、話してたんじゃねえのか? 随分と気に入られているっぽいけど」
「ええ……。そうなんですか?」
「らしいっちゃらしいけど。それより、ちゃんと食べているか?」
「ええ。まぁまぁ」
その優しさが、姉と重なる。シノブが屈託のない笑みを向けた。
「お前は身体が丈夫じゃねえんだから、しっかり食っておけよ」
その言葉にチクリと胸が痛んだ。身体は細い方だが、病弱と言う訳ではない。裏に潜む意味をつい探ってしまう。
(シノブさんはボクを、誰かと……)
自分が優しくしてもらっているのは、自分が誰かに成り代わっているから。それを十分に理解できた。
真っ当ではない方法で得た心地よい場所が、却って居心地を悪くした。チクチクとした罪悪感を噛み締めていると、猫の様な瞳がこちらを覗き込んできた。
「……アオイ? 黙ってるけど、どうした?」
「いえ。いただきます」
目の前のフライドポテトを摘まむ。好物のジャガイモに、今は心が躍らない。内心が表情に出ていたのか、シノブが怪訝な表情で覗き込んできた。
「アオイ? 本当にどうした――」
「おーい! ちっこい姉ちゃん! こっちで飲もうや!」
「おう! 待ってな!」
そう言って、シノブが呼ばれた方へ向かう。俯きながら、もそもそとフライドポテトを口にする。
(この前、アザミって言われたけど……)
トンネル救出戦の一幕を思い出す。次いで、スラムで祈るシノブの姿が脳裏に浮かぶ。
(シノブさんが、お参りにいった人たちだ)
シノブは菓子箱をふた山に分けていた。
(多分、亡くなったのは二人。ボクとソウも二人)
何かを懐かしむ笑顔に華やいだ後、シノブの顔が悲しさに陰る事があった。推測の断片が頭の中で紡がれていく。
(ボクは、成りすまして――)
自分の中の結論に迫ろうとした時だった。若い男女の声が思考を遮る。
「――だから、あれは兄貴が!」
「確かにそうだ。だけど、お前の方の照準もだな」
耳から入った声が、記憶を刺激する。
(この声は? もしかして?)
振り返った先にいたのは、部屋に入ってきたダイチとナナミだった。
真剣な表情で何かを言い合っている。何事かと見ていると、ナナミが何かに気づいたようにこちらを向いた。
先ほどの剣幕とは打って変わって、ナナミの瞳は気だるげな物に戻っていた。戸惑っていると、ナナミが手を振る。
「あ、アオちゃん。ここにいたんだ」
戸惑いながらも頭を下げると、ナナミが歩み寄ってきた。
(さっき、喧嘩してた? なんで?)
チラリとダイチを見る。ナナミが何かを察したように眠たげな瞳をわずかばかり開いた。
「ああ、さっきの? もう大体終わったから平気」
「ああ! もう検討は終わったぜ!」
ダイチのいきなりの大声に、思わず耳を塞ぐ。
「バカ。声がデカいんだって」
ペシンと子気味の良い音とともに、ナナミがダイチの頭をはたいた。いつものやり取りに苦笑いが浮かんでしまう。
「あの……、検討って?」
「さっきの防衛任務の時、どうすればよかったか? とかかな」
「随分と激しい感じでしたけど……」
頭をはたかれたダイチが再び前に出てきて胸を張った。
「親が攻性獣に殺されちまったからな! 同じようなヘマはしないようしてるのさ!」
「バカ。重いっての」
またしてもペシンという子気味のよい音。
「ごめんね。本当にうちの兄貴ってバカでさ」
「……いえ。あの、その……」
どう言葉を掛けてよいか迷っていると、雰囲気を察したらしいナナミがダイチを一睨みした。そのままコホンと小さな咳を一つして、ナナミが気まずそうに口を開く。
「あー。えっとね。うちらの親が開拓事業者だったんだけど、攻性獣にやられちゃってね。それで、同じような事がないように色々反省しているって訳。気を遣わなくても大丈夫だよ。昔の事だし」
「そう……なんですか」
「本当に大丈夫だって。なんか運が悪かったみたいだから、今更どうしようもないし。ただ、できる所は直しておこうってだけ。もう終わったから――」
そこでナナミの話が不自然に止まった。何かと思いナナミを見ると、視線が微妙に外れている。その先を辿ると宴会場の真ん中を見ていた。
「あの……。どうしたんですか? チラチラとあっちの方を見てますけど」
気づけばダイチも宴会場の真ん中を遠慮気味に見ている。普段の活発な雰囲気は鳴りを潜め、やや緊張気味に黙っていた。
「なんか、随分と静かですね……」
口から出た言葉がダイチの気分を害したかと慌てるが、当人は上の空だった。
「おう……。ちょっとな」
その理由がどうにも分からないと、疑問で眉間に力が入る。そんな時に、ナナミが声を掛けてきた。
「ねえ。アオちゃん」
「はい? どうしました?」
「あのシノブさんって人、ウチらを見て何か言ってた?」
「いえ? 何も?」
「そっか」
ナナミの質問に、もう一度首をかしげる。
「何かあったんですか?」
「あったというか……」
そこでナナミは言葉を濁した。
(あんまり聞くと悪いかな)
躊躇する相手の口を割るようなことはできなかった。会話が淀んだその時に、後ろから中年男性の声が聞こえた。
「嬢ちゃんたち! ずいぶんと渋い人戦機に乗ってんじゃねえか!」
振り返ったアオイは、跳びあがりそうになった。
「ひぃ!? く、く、クドウさん!?」
そこには血走った眼をした、ソウをも上回る強面の男、クドウがいた。
「なんだ? そんなに驚いて?」
「いえ。少しだけ心臓が止まりそうになっただけです」
「やっぱり変な嬢ちゃんだなぁ……」
クドウがジロジロと覗き込んでくる。それだけで、心臓が締め上げられるようだった。
「そ、それでなんでしたっけ?」
「そうだった。今時シドウ一式だなんて、ほとんど見ねえ。あれか? 嬢ちゃんも現場で小遣い稼ぎか?」
何のことかと思っていると、クドウが酒を煽って話を続けた。
「昔は、武装警備員の連中によく手伝ってもらってな。知ってるか? 人戦機ってのは、もともと人重機から出来ていてな。古い型だと互換性があったんだ」
「はぁ。あの、ワタシ、そろそろ――」
「んでよ。人手が足りない時は、削岩アームとかショベルアームとか建設用装備をつないで手伝ってもらったんだがな。いやぁ、腕のいい人戦機乗りってのは、人重機の扱いも上手くてな――」
なぜ、自分ばかりに話しかけてくるんだろう。
そう思って、クドウの話を右から左へ聞き流しつつ、あたりを見回す。ダイチとナナミは既に部屋から出ようとしている所だった。ナナミがこちらを見ながら手を振っている。
(置いて行かれた!)
ダイチとナナミに助けを求めることはできない。最後の砦であるソウの方を見る。相棒は相変わらず、食事を詰め込んでいた。こちらと目を合わせようとしない。
(くぅ!)
仕方なくクドウの方を向き、笑顔を保ちながら話を聞く。話を断ち切る勇気を持たない小物な自分を呪った。
「――だからな、昔は俺らと武装警備員はダチみたいなもんだった。だけど、この頃のやつらは、一言目にはやれカネだと言って、助けようともしねえ。この前の会議も最悪だった」
クドウが立ち上がり、机をバンと叩く。何事かと、皆の視線が集まった。
「だからこそ、あんたらのボスはカッコよかったぜ! 自分たちなら助けられる! そう言い切った!」
皆の感嘆の声が部屋に溢れた。そうだそうだ、と工員たちが声を上げる。
(トモエさんなら、きっとそうするだろうな)
その光景が目に浮かぶ。トモエをほめられて悪い気はしない。
「ありがとうございます」
「本当に、みんなが死んじまうと思ったんだ。だから――」
そこで、クドウはアオイの手を取り、うつむいた。顔は見えない。クドウの顔からきらりと光るものが、零れ落ちるところを見えた。
熱い思いがアオイの手に落ちて、甲を伝う。
「本当に、本当にありがとう……」
「……いえ」
クドウは目元を拭い、顔を上げる。その表情は晴れやかなものだった。
「じゃあ、乾杯!」
「は、はい!」
そう言ってクドウが杯を持ったので、慌てて机の杯を持ち一緒に飲み干した。
「ぅえ?」
喉を焼く感覚の後に、視界が回って暗くなった。ぼんやりとした視界の中で、クドウが杯を見つめ怪訝な顔をする。
「なんだこりゃ。随分と甘いな」
クドウがこちらを見ている。だが、胸から込み上げる息苦しさで、とても答える事ができない。
「嬢ちゃん? おーい? あ、間違えちまったか?」
クドウが頭を掻く。そんな事はどうでもいいから、早く静かにして欲しい。
「悪いことしちまったなぁ……。今、水を汲んでくるからな」
襲い掛かってくる気持ち悪さを早くどうにかして欲しいと願いつつ、下がってくる瞼に耐えきれなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シノブがあたりを見回すと一緒に飲んでいた作業員があらかた潰れていた。不思議そうな顔をして首を傾げる。
「お? もう終わりか?」
ふぁ、とあくびを一つして、部屋を見やるシノブ。
「そういや、うちのやつらは? ……って?」
机に突っ伏したアオイを見て、驚いたように猫の様な瞳を見開いた。近くに寄って、赤ら顔を確かめる。
「なんだ、アオイも出来上がったみたいだな。意外とこういう席が好きなのか? おーい」
シノブはアオイの肩を揺するが起きる気配はない。
「起きねえな。まったく、手がかかる」
そして隣で食べ物を詰め込んでいるソウに、視線を向ける。
「何があったんだ?」
「不明です」
「隣にいたんだろ?」
「食事に集中してたので」
「腹壊さないようにしとけよ」
「了解」
忠告をまるで聞く様子もなく黙々と料理をほおばるソウに、シノブはやれやれと首を振る。
「ったく……。本当に似てやがる」
「誰にですか?」
「なんでもねーよ」
その時、アオイの口元がもごもごと動く。
「お姉ちゃん……」
猫のような瞳が、狂おしそうな郷愁に歪む。だが、それも一瞬。
「違う……。違うはずだろ」
顔を手のひらで覆い、笑顔を張り付けた。しかし、貼り付けた笑顔の下からも、過去への憧憬がにじみ出ていた。
「……やりづれえな」
その言葉を聞いたソウが、シノブの方を向く。
「何か言いましたか?」
「なんでもねえよ。ソウ」
やりづらい。その言葉の真の意味を知る者はいなかった。シノブはアオイを、どこか懐かし気な表情をしながら、優しく撫でていた。




