第十五話 少女と先輩と双方の追憶
〇フソウ ドーム都市内隔離区画 サクラダ警備社屋 廊下
訓練を終えてサクラダ警備の廊下を歩くアオイとソウの二人。緩衝材だらけ戦闘服は脱いで、インナーに作業服を羽織っている。隣のソウも作業服を羽織っていた。
無口な相棒に、アオイが口火を切った。
「シノブさんからの話ってなんだろ? 分かる?」
アオイたちはシノブからの呼び出しを受けていた。内容については知らされていない。シノブが来てから特訓ばかりだったソウが、悲観的観測を告げる。
「推測不能だ。また新しい課題かも知れない」
「うう。今度はどれだけ難しいんだろう……」
「だが、なぜ多目的室に?」
「分からない。次の課題の説明かなぁ? はぁ……」
話している間に、指定された部屋の前に着いた。憂鬱な気分のまま、ドアを開ける。
「失礼しま――。え?」
目に飛び込んできたのは部屋の中央に寄せられた机と、その上にある料理だった。
フライドポテトやバイオミートの唐揚げなど、少なくとも自分では注文しないような、ちょっと値の張ったものが並んでいる。
呆気に取られていると、シノブが声を掛けてきた。
「よう。お前たち」
「シノブさん……。この料理は?」
「課題達成の祝いだよ。よくやったな。お前ら」
思わず声を上げる。
「え!? お祝いって……。これ食べていいんですか!? おカネは!?」
「もちろん払わなくて良いに決まってんだろ。アタシの奢りだ。トモエさんも出してくれているけどな」
「トモエさんまで……。そう言えばトモエさんは?」
「忙しいのもあるけど、若いのだけで楽しんでくれって言ってた」
トモエが一緒でも構わないのにと思う。その一方で、ソウは早速席に座って皿と箸を持とうとしていた。
「では遠慮なく」
「ソウ! まずはお礼でしょ!」
「料理が冷める。非合理的だ」
「いいから一緒に!」
ソウの近くまで歩き、一緒に頭を下げる。
「シノブさん、ありがとうございます」
「礼はいいから、いいから早く食べろ」
シノブは、ただ苦笑いを浮かべていた。
礼が終わるや否や、ソウが料理を頬張り始める。人戦機の操縦と同じように、やたらとてきぱきとした食事だった。
「ソウ、そこまで頬張らなくても……。シノブさんはあんまり食べないんですね」
一方のシノブはほとんど料理に手を付けていない。
「ん? まぁな」
その曖昧な返事に疑問を覚える。
だが、油断していると料理を全部取られそうな不安に駆られ、意識を料理に集中する。ソウが取ろうとしている唐揚げを先に箸で摘まんだ時に、シノブがぼそりと呟いた。
「……アタシに食われるよりも、お前たちに食われた方が幸せだろうよ」
「え? 何か言いました?」
「なんでもねえよ」
シノブが視線を逃がす。ソウから奪い取った唐揚げを頬張りながら、その理由を考えた。
(梨の時もだったけど……どういう事なんだろう?)
どうしようか悩む間も、黙々と食べ続けるソウ。そして、食べて満足したのか、ソウが神妙な顔をしてシノブを向いた。
「質問があるのですが」
「なんだ?」
「どうして、機動について積極的な情報開示が無かったのですか? 非効率では?」
その質問で、思わず凍り付くかと思った。
「ソウ。なんで今そんなことを」
「合格した今なら聞けると判断した」
「ええ……」
恐る恐るシノブを見る。だが、予想に反して、シノブは怒っていなかった。
「一歩進む。それを教えるためだよ」
口調はむしろ淡々としていた。
「今回は、あれこれ試して、一歩進めただろ」
「でも、たくさんやっても、一しか進んでいないって事ですね……」
「でもな、一は進めたんだよ」
シノブの声は温かかった。意外な反応に驚いていると、ソウが切り込んできた。
「ですが、試行錯誤が多く非効率です」
「それが大事なんだよ」
シノブがきっぱりと言い切る。
「一から十まで教えるのは手っ取り早い」
「オレもそう思います。だから――」
前のめりになるソウを、シノブが手でソウを制した。
「けどな」
一息の間。そして、実感の籠った声。
「失敗から立ち上がれねえ人間になっちまう」
シノブの視線が刺すような鋭さを帯びた。
「正解だけしていると、いつの間にか失敗が怖くなっちまう。そして、失敗を認められない、まともに向き合えない。失敗して、それをちゃんと見て、次に進む。それが出来ないやつは、ずっとそのままだ」
シノブがソウを向いた。
「そんなのに、なりたくないだろ?」
言葉が出なかった。隣のソウからも返事が出ない。
「失敗した時は骨を拾ってやるよ。心配すんな」
ソウが眉を顰める。
「骨を拾うとは? 死亡が前提ですか?」
「ちげーよ。例えだ、例え。ちゃんとケツを持ってやるよって事だよ」
「なぜ臀部を?」
「面倒くせえな……! とにかくだ!」
シノブが手を叩いて、声の調子を明るくした。
「辛気臭い話は終わり! せっかくカネを出したんだ。思う存分食ってくれ」
その言葉に、またもソウの質問。
「オレたちにカネを払ってまで? 意図が不明です」
「どうしてって……? 何かあったら祝うのは普通だろ?」
「オレにとっては違います」
シノブの猫の様な瞳が、ソウを見て動かなくなった。沈黙が部屋を包む。ソウが言葉を続ける。
「被検体になる以前の記憶がありません。こんな風に祝われた記憶も。家族の事も」
ソウがまっすぐとシノブを見つめる。
「家族がいるかはわかりません」
「そうか……」
「でも、もし」
「もし?」
「家族が居て、姉がいるなら、シノブさんのような人だといい。そう思います」
誓いの日に知った、相棒の空白を思い出す。
ソウは研究所育ちだった。温かい家族の思い出どころか、名前すらない。クウガ=ソウの名前も後からつけた借り物だった。
「へっ。アタシみたいなガサツな姉ちゃんが居たって――」
おどけようと肩をすくめるシノブ。そこで、思わず言葉が飛び出た。
「ワタシもです」
猫の様な瞳が、真っ直ぐにこちらを向いた。
あったばかりの頃、その瞳は少し怖かった。しかし、その奥にある暖かさや穏やかさに、何度助けられただろう。今では、その瞳を見れば怖さも鎮まる。
入植してからずっと蓋をしていた寂しさが、思わずこぼれ出す。
「お姉ちゃんと離れ離れになって……」
「アオイもなのか……」
シノブのおどけた顔が真顔に戻る。自分の事を真剣に憂いる表情が、いつかの姉と重なる。
「シノブさんといると、まるでお姉ちゃんが帰ってきたみたいで」
「似てるのか? アオイの姉さんと? アタシとアオイは全然似てないけど」
「見た目や性格は違いますよ? 双子の姉なので、見た目はワタシとそっくりです。でも何と言うか、頼りになる感じとか」
今度のシノブは、おどける事もなかった。
「そっか……。お前ら二人ともか……」
シノブが頬を掻きながら不敵な笑みを浮かべる。
「全く変わった家族が出来ちまったな。大変だ」
やれやれと面倒そうに肩をすくめるシノブ。だが、口元は優しい微笑みがあった。
温かい気持ちでシノブを見つめていると、シノブと目があった。目を離せないでいると、シノブがポツリと呟く。
「……その目、やっぱりそっくりだな」
「ぅえ?」
シノブがハッとしたように、口に手を当てた。何のことだろうと思っていると、シノブが気まずそうに頬を掻く。
「いや、なんでもねえ」
その後も食事が進む。チラリとシノブを見ると、やはり温かい笑みが浮かんでいた。
その後も話が続く。サクラダ警備の事、身の上の事、家族の事。おしゃべりに夢中になっていると、フライドポテトが持ってある小皿をシノブが差し出した。
「ほら、食えよ」
その気遣いに、ある日の姉が重なる。そんなに余裕のない中でも、食べ物を譲ってくれた、そんな記憶だった。
(そう言えば、お姉ちゃんも)
シノブを見る。姉のような気弱な丸目と、目の前の猫のような瞳は似ても似つかない。だが、不思議とその印象が重なった。
「頂きます」
そう言ってフライドポテトを摘まむ。口には滋味に満ちた優しい味が広がった。
(ずっと、続けばいいのにな……)
そう思いながら、祝いの晩餐は続いていった。
〇サクラダ警備 格納庫
晩餐と片付けが終わり、アオイとソウが帰った後。
シノブが格納庫に一人佇む。情報端末を操作しながら、アオイとソウの訓練結果を確認している。
その指が止まり、天井を仰ぐ。
「アイツらの姉ちゃんか。これも何かの縁なのかな」
シノブが目を細める。
「まさか、またそう思われる日が来るなんてなぁ」
まるで遠く、儚く、もう戻らない何かを愛おしむように。
「今度こそ……。今度こそ」
決意を乗せた呟きを、拾う者はいなかった。




