第十三話:少女と先輩の願いと断罪の男
〇フソウ ドーム都市内 路上
まだ空は明るい時刻。ドーム都市の半透明の天井には、白に近い灰色の雲が透けて見えた。
アオイが大通りを歩いていると、丸くなるほどに膨らんだ袋を両手に提げた女性を見かけた。その小柄な女性はスラムに入っていく。横顔は猫のような雰囲気で、猫耳の帽子を被っていた。
「あれは……。シノブさん? なんで袋なんて抱えて……」
ナナミの言っていた不穏な予兆を思い出す。
きな臭い事件の前に、荷物を抱えた不審人物がスラムに出入りしていた。ナナミはそう言っていた。そのイメージが、スラムに入っていったシノブと重なる。
(いや、まさか……。でも……)
追うべきか、見過ごすべきか。臆病さに勝ったのは好奇心だった。シノブを追いかけて路地を曲がる。そこに見えた光景には既視感があった。
「あれ? ここって……。この前の資源採取戦の?」
廃棄された都市と、雑多な廃棄物が転がる路地。その二つが脳裏で重なる。
次の瞬間、幻の光が網膜を焦がした。
「は……!?」
途端に、胸が締め付けられる。
「何……。何が?」
滝の様な汗が滴り落ちる。体が求めてもいないのに勝手に息が上がる。チグハグに動く体に精神が追いつかない。
「だめ……。目の前が……」
無理やりに注ぎ込まれた呼吸で、目が真っ暗になる。咄嗟に何か寄る辺を得ようと手を伸ばした。
「お姉ちゃん――」
助けを求める手が空を掻く。ますますの不安に襲われる。
「お姉ちゃん。どこに――」
だが、その手を取る者がいた。
「おっと。どうした?」
弱弱しく頭を上げる。
「あ、ありがとうござ――」
その先には、猫の様な瞳が見つめていた。
「し、シノブさん!? どうして!?」
シノブが苦笑いをして、ぐいっと引き起こしてきた。
「アオイ、音を立てすぎなんだよ。バレバレなんだっつの」
シノブが耳を指す。それを見て、自らの失態を悟った。
「あ、しまった……」
「なんでついてきた? ここが危ない事、知らない訳ないだろ? 一人で来て」
シノブが持っている紙袋へ視線が移る。
丸みを帯びるほどまでに膨らんだ紙袋がシノブの手に一つ。もう一つは路地に置かれている。ここまで来てしまっては嘘を言う必要もないし、ごまかせないと悟る。
「その、気になってしまって」
「ああ……。これを見られたからか」
そういって、シノブが紙袋を見た。
「何を想像してるんだ? アタシが何かヤバい事してるとか?」
「あ、いや。その……」
「隠すようなもんでもないからな。変な想像されると困るし、付いてくるか?」
「シノブさんが良ければ……」
「じゃあ、決まりだ。付いてきな」
シノブがスラムの奥へ進む。慌てて後を付いていった。どの交差点でも、慣れた様子で道を決めていく。
「その、随分慣れた様子ですけど……」
「アタシの地元だからな。ここは。あ、オッちゃん!」
そう言ってシノブは、道端でよく分からない何かを吸っている中年男性に声をかけた。男性は、随分と抜けた歯を見せてニカリと笑う。
「よう! 今日もお参りかい!」
「……ああ!」
お参りという言葉を聞いて、胸元が痛む。
今はもういない、シノブの大切な誰か。故人に思いを馳せる時間を邪魔してよいのかという不安がチクチクした。
「あの……。本当に途中まで案内してもらってもいいんですか?」
シノブは振り向かない。
「構わないさ。たまには……な」
二人が無言で歩く。
「ついたぞ。ここだ」
狭い路地の奥まったところ。ゴミと瓦礫以外は特に何もない。
そこはシノブが祈っていた場所だった。シノブは提げた袋の中身を取り出す。子どもが好きそうな大量の菓子箱を、何もない所へ置く。
そして、シノブが静かに手を合わせた。真剣な様子だった。祈りを終えた後、シノブが静かに語りだす。
「……昔、一緒に暮らしてた奴らだったんだ」
死者を弔うにしては殺風景な場所だった。
「あの……。お墓とか」
「墓なんて無駄に場所取る贅沢品、ここの奴らが用意できると思うのか?」
ドーム都市の土地は限られている。永遠に場所を取る墓地と言う商品は、いまは高所得者の贅沢品と化している事を、アオイも知っていた。
が、自分も辿る最期を突きつけられると、言葉が淀む。
「その……無理ですね。ワタシだって無理です」
「せめて、何か形見があればよかったんだけどな。何も残らなかった」
「画像データとかは?」
「ない。今なら撮影機能付きの情報端末なんて、すぐ買えるってのに」
苦みがシノブの顔に走る。痛いほど伝わってくる後悔。言葉が、出ない。
「死体は業者が回収していって、焼かれて撒かれて終わりだろうよ。骨も残りゃしねえ」
生きた証のない最期。それが、シノブが弔う人の末路なのだろうか。
「とは言って、空に向かって弔うのは味気ねえ。せめて縁のある場所で拝みたいって訳さ」
シノブは俯いたままだ。何か声を掛けようとして、何も声を掛けられなかった。沈黙を破ったのは第三者。浮浪児たちが飛び出してきて、菓子箱を奪い取っていく。
「あ、ちょっと!」
咎めようと前のめりになると、シノブが手で制した。
「いいんだ。いつもそうしてる」
子どもたちが、菓子箱を取られない様に駆けていく。シノブがどこか遠くを見るような眼をした。
「アオイ。人ってのは案外簡単に死んじまう。特に、この国だとな」
それが、シノブの見てきた現実なのだろう。
「アタシの親もバカをやって死んじまった。儲け話に騙されて、ヤバい話に足を突っ込んだそうだ。爆発に巻き込まれたみたいで、欠片も残らなかったらしい」
返す言葉が無かった。
「都市の中でもそんなんだ。ましてや、武装警備員はコロコロ死んじまう。だから、アタシはアオイたちに、簡単に死なないような武装警備員になって欲しい」
普段の辛辣な言葉も、不敵な笑みもない。
「もしそう成れないなら、止めるのがアオイたちのためだと思っている。アタシの目の前で絶対に死なせない」
シノブが振り返る。こちらを見てくるのは、祈りが籠った静謐な瞳だった。
(だから、この前の資源採取戦で……)
自らを蔑ろにするソウの言葉に激怒したシノブを思い出す。しばらくして、シノブがおもむろに顔を手で覆う。再び現れたのは、不敵な笑みを湛えた、いつものシノブだった。
「……悪いな! 仕事でも無いのに、辛気臭い雰囲気にしちゃって!」
「いえ。元々ワタシが付いてきたのが始まりですし……」
「それでもわりぃし。一人だと危ないから送っていくぜ。家はどっちだ?」
「えっと、ここなんですけど」
情報端末を取り出してシノブに見せる。
「ここって、相当に安い所だろ? 随分節約しているな」
「まあ、まだ試用契約中なので……」
その言葉で、シノブの顔が曇る。
「……アタシのせいか」
「あ、すみません。そういう意味じゃ――」
「いいんだ」
アオイの謝罪を遮るシノブ。顔を手で覆い、外す頃には不敵な笑みが貼り付いていた。
「別に恨んでも構わねえがな、アタシにだって――」
「恨んでなんかいませんよ?」
毒気を抜かれたように、シノブが不思議そうな顔をした。少しして、眉を顰める。
「……なんでだよ。お前の邪魔してるんだぞ?」
「ワタシ、今まで嫌な事がたくさんありました。うっぷん晴らしの的にされたり、色々」
「……そうか」
シノブの目に浮かぶのは慈しみ。それが本物である事は、直感で分かった。
「だから、そういう人は分かるんです。そして、シノブさんがそうじゃないって事も」
尊敬の念を込めてシノブを見返すと、猫の様な瞳が逃げた。幾秒か言葉を口の中で転がして、吐き捨てるように、それでいて寂し気に呟いた。
「どうだか……。そんなに出来た人間じゃねえよ。アタシは……」
続く言葉が無かった。猫のような瞳が、こちらを見てくる。何かに気づいたように、シノブの口が開いた。
「その目、そっくりだな」
「なにがです?」
疑問を聞いて、シノブが今更ながら自分の言葉に気づいたようなそぶりを見せた。何かを隠そうと目を背けるが、その口元と声には苦みが残っていた。
「いや、なんでもねえよ」
苦みの理由は聞かない方がいい。それは分かった。
沈黙のまま、時の流れに身を任せる。どうしよう迷い始めた頃、シノブがあたりを見回した。
「ん?」
「どうしたんですか?」
「なんか、いっぱい出てきたな」
「え? なに――」
シノブが、口の前で指一本を立てた。咄嗟に口を塞ぐ。徐々にシノブの顔が険しくなっていく。
「アタシらを囲もうとしている?」
「え? この前みたいな?」
「違うな。練度が低い? 物盗り?」
「ど、どうすれば……」
不安に襲われそうな最中、シノブが不敵に笑う。
「こういう時は、先走ったやつの所に行って、そこから叩くんだよ」
「え、あ?」
「ついてこい」
周囲を見渡し、一際暗くて狭い路地へ向かうシノブ。慌てて後を追う。
「シノ――」
直後に、シノブが口の前で指を立てる。直ぐに口を紡ぐ。差し出されたシノブの手をつなぎ、導かれるままに疾走した。幾分か進んだ後に、シノブが止まる。
しばらくすると闇の中に鈍い音がした。直後に男のうめき声。
(も、もしかして)
暗闇で正確には分からない。だが、状況からシノブが何かで男たちを殴っている事は分かった。推論を裏付けるようなシノブの不敵な声。
「へ。一人でうろついてるから……。っと後ろからも来てるな。いくぞ」
ゴトリと重いものが落ちる音。直後に、手を引く感触が伝わってくる。再びの疾走。
暗闇を駆け抜けて明るい所へ出た時だった。
「くそ! 待ち伏せ!」
やや開けた広場に出ると、十人程度の男たちに囲まれた。後ろからも足音がする。シノブが舌打ちを漏らした。
「どうする」
二人で進退を決めかねていると、急に視界が暗くなった。後ろからシノブの声。
「やば」
突き飛ばされる感触。たたらを踏みながら振り返れば、シノブが飛び退いていた。そして、先ほどまでいた場所に、粗末な渡り橋が落ちる。
破裂するような音と共に、渡り橋が砕け散る。
「ぐぅ! 耳が……」
途端にうずくまるシノブ。
「シノブさん!?」
駆け寄ろうとした時、シノブの傍に男が近づく。
「ガキが!」
男がシノブを蹴り上げる。あまり慣れていないらしく、不格好な蹴りだった。
「が!?」
重い一撃には見えなかったが、シノブが大きくたたらを踏んで瓦礫に突っ込んだ。
「し、シノブさん!?」
「ぐぅ……」
痛がり方が尋常ではない。暴漢に、安堵と嘲りの笑みが浮かぶ。
「へ。ざまぁねえな。ガキが……」
暴漢がゆっくりシノブに近づく。その時だった。
「シッ!」
シノブが手につかんだ瓦礫で相手の脛を強打した。
「――!」
暴漢が、声にならない苦悶と共にうずくまる。シノブが瓦礫を持った手を振り上げた。
「フッ!」
その延髄に瓦礫を振り下ろす。鈍い音がした後に、相手は痙攣しながら崩れ落ちた。
「なめんなっつの」
ホッとして駆け寄ろうとすると、背後からフード越しに引っ張られた。振り返るといつの間にか背後に暴漢の一人がいた。
まずいと思った直後、随分と厳めしい別の男の声。
「動くな」
直後、フードを引っ張る力がなくなった。崩れ落ちる影の奥に、別の影。
(うわ……。なんか、凄い)
剣豪。奥に佇む男を見て浮かんだのはその単語。
刀ほどの長さの廃材を手に、微塵も揺れることの無い佇まい。頬には十字の傷がつき、鍛えたであろう体からは、強者の気配が匂い立つ。
傷の男が、見た目どおりの迫力と重圧を帯びた声を出す。
「子どもを傷つけるとは、度し難い愚行」
言うや否や周囲の暴漢たちに一足飛びに踏み込んだ。緩急について行ける者はいない。
「突きぃ!」
滑るような踏み込みと共に放たれた突きが、暴漢の喉元に突き刺さる。
かひゅ、と気の抜けた声と共に暴漢が崩れ落ちた。傷の男は、すぐさま次の相手へ向き直る。廃材を振り上げ、踏み込んだ。
「いりゃぁ!」
裂帛の気合と路面を砕かんばかり踏み込み。気合十分の打ち込みが、相手の頭にめり込んだ。
鈍い打ち込み音ともに、一人、また一人が崩れ落ちる。修羅の勢いに暴漢たちが立ちすくむ中、一人が足元の建材の破片を放り投げた。
「くそが!」
拳大の建材が傷の男の頭を打った。鈍い音と共に鮮血の飛沫が舞う。
「へへ。ざま――」
だが、傷の男は身じろぎもしない。
「おま……痛くねえのか――」
「この程度なら、痛みのうちに入らない」
流血に構うこと無く、別の男へ駆け寄ってその頭を割った。
破片を投げた男は次々と仲間がやられる様子を、呆然と見ているしかなかった。
「な、なんだよ……。お前」
その言葉を吐き出す途中にまた一人、暴漢が倒れる。
残ったのは破片を投げた男のみ。詰め寄る傷の男。静かな怒りに燃える瞳が、じっと獲物を見据えていた。
「どうしてだ?」
「え?」
問われた暴漢は、ただ戸惑うばかりだった。何も答えない暴漢へ、苛立ち混じりに詰め寄る傷の男。
「どうして、子どもたちを傷つけようとした?」
「は、腹が減っていて……。こいつ、いつも何かを持ってくるから、カネもあるだろ――」
「救いがたい!」
そう言って叩き込まれた振り下ろしは、もはや目には見えない神速。
気づいた時には、廃材が頭へ叩き込まれていた。びくびくと痙攣しながら倒れ込むさまは、致命傷を思わせた。
傷の男がこちらを向く。鋭すぎる眼光に思わず口から悲鳴が零れた。
「ひぃ!」
「……無事なようだな」
気遣いに満ちた言葉だった。その佇まいに気圧されながらも、礼を押し出そうとする。
「あ、あの助かりました。あの、名前は……」
「タケチ……とでも」
「タケチさん。ありがとうございます」
頭を下げる。すると、守るようにシノブが前に出た。
「なんで助けた?」
「し、シノブさん?」
まるで子猫を守る親猫のように、シノブは警戒心を露わにしていた。助けてくれた相手に対して、見せる態度ではない。
猫の瞳が猜疑に歪む。
「弱っちくて恩を売ってもしょうがない相手を助けるやつなんて、ここにはいねえ」
「そうだな。ここはそう言う場所だ。俺も身をもって知っている」
「スラム出身か……? なら、何が目的だ?」
「言ったはずだ。度し難い愚行だったと」
「子どもを傷つけるとかなんとか……ってやつか?」
「そうだ」
凄惨な暴力と真っ当な答えのギャップに理解が追いつかない。それはシノブも同じようで、顔に浮かぶ困惑が濃くなる。だが、たじろぎながらもシノブが語気を強める。
「だとしても、アタシはあんたの子どもじゃねえ」
「子どもは国の大事。違うか?」
「それで身体を張るのかよ。酔狂だな」
「ある意味狂っている。それは知っている」
何か悪意を隠している訳ではない。そう理解したシノブが頭を下げる。
「……とりあえず、ありがとよ」
「好きでやった事だ」
タケチはその場を動こうとしない。どうしようかと戸惑っていると、シノブが手を引いた。
「アオイ。行くぞ」
「あ、はい」
後ろには、うめき声を上げて悶える男たちと、泰然と佇むタケチが残った。
タケチがゆっくりとうめき声を上げる男たちの元へ近づく。それに気づいた男が何事かと頭を上げた。
「た、助けてくれ……。折れちまった……」
「聞こう。貴様らは過ちを犯した。それを贖うか?」
「過ち……? 過ちってなんだよ? ただ、腹が減っていただけだろ?」
「過ちを認められぬクズが……!」
タケチはゆっくりと廃材を振り上げ、一息に振りおろす。その顔には、断頭に臨む処刑人のような凄み。
「貴様らのような! 贖わない者たちが! この国をダメにした!」
それを数回繰り返した後には、タケチ以外に息をするものはいない。息を荒げる事も無く、血だまりの中に佇む。
「過ちは、贖わなければならない」
タケチの瞳に静かに燃える断罪の炎。
「我らが大志のため」
そう言って、おもむろに胸元から取り出したのは小さな袋。中から掌に飛び出てきたのは小さな骨。子どもの大きさの、小指の骨だ。
それだけを呟き、瞳を閉じる。小指を撫でる手には、明らかな優しさが満ちていた。




