第九話 少女と落とし穴と潜む罠
〇資源採取戦 廃棄都市 水没区画
水面を穿つ黒の穴。その周りを渦が巻いていた。
「穴!? なんで!?」
大渦の周りで、シノブ機とソウ機がよろめいている。勢いは、人戦機の足元をすくうほどだ。直後、ヘッドホンにソウの声。
「どこかが崩壊したか!?」
「ソウ! 絶対に落ちるな!」
投擲によって、穴を塞いでいた建物が壊れたと判断した。
(しまった! ボクが遅かったから!? 急がないと!)
二機がよろめく周りを三つの白波が回っていた。直後、白波の一つがソウ機へ飛び掛かる。
「ソウ!」
だが、ソウのシドウ一式は攻性獣を受け止めた。そして、水しぶきに隠されていた姿が露になる。
「何あれ!? 水蛇!? 海竜!?」
一見すると、攻性獣は白磁の輝きを持つ水龍のようだった。しかし、目を凝らせばその異様さに息を呑む。
細長い胴体は水蛇、海竜のような平たいヒレは三対六本、無数の牙が並ぶ顎はサメ。水中も水上も行動可能な形態だが、調和のなさが気持ち悪い。加えて、甲殻と魚鱗が混ざり合う表皮が、より一層のグロテスクさを醸し出していた。
白磁の龍などという幻想的な印象はあっという間に吹き飛ぶ。
大海蛇型攻性獣が赤い瞳を輝かせ、ソウ機へ嚙みつこうしている。焦りに戸惑う時、シノブの叫びが耳を打つ。
「アタシの事、忘れてんぜ!」
大海蛇型攻性獣の横っ腹に、サーバルⅨの跳び蹴りが突き刺さる。
吹っ飛んだ大海蛇型攻性獣は、群れへ戻る。だが、攻性獣は諦めない。獲物を狙う肉食獣の如く、ソウ機とシノブ機の周りを、再び旋回している。
援護に入ろうと弾道予測線を向ける。だが、人戦機と重なる度に明滅する射撃不可の表示。
「ダメだ! セーフティがかかる!」
大海蛇型攻性獣と二機の位置は激しく入れ替わっており、どうやっても誤射になる。撃ちあぐねている間に、攻性獣は代わる代わる飛び掛かっていた。
「ソウ! 避けろ!」
「了解」
二機は余裕をもって回避している。しかし、反撃に出ようとしても、水しぶきのせいか、銃撃は当たらない。らちが明かないと判断したシノブは、腰を落とす。
「ソウ! アタシが受け止める! 撃て!」
大海蛇型攻性獣が、動きを止めたサーバルⅨに飛びかかる。だが、準備万端のサーバルⅨがそれを受け止めた。ソウ機が素早く銃口を向ける。
「了解」
銃声と甲殻を打つ音と共に、大海蛇型攻性獣が身をよじらせた。受け止める手が空いた隙に、サーバルⅨが攻性獣の懐へ入る。
「邪魔なんだよ!」
シノブの叫びと共に、タックルが決まる。大海蛇型攻性獣が、大穴近くに吹っ飛んだ。
大海蛇型攻性獣は着水とともに水流に呑まれ、長い巨躯がずるずると大穴へ引き込まれる。その姿が完全に落ちるのに、数秒もかからなかった。
その間に、何とかソウ機とシノブ機の近くまで駆け寄る。
「シノブさん! 遅れてすみません!」
「後で訓練な! それより、まだいる! 油断するな!」
残り二体が、周囲を回る。
うちの一体が間髪入れずにソウ機へ飛びかかった。再び露になった異形。大口に生えそろう無数の牙に息を呑む。
しかし、ソウは平静な呟きを一つしただけ。
「単調だな」
直後、ソウ機の鮮やかな後ろ回し蹴りが頭部に炸裂した。轟音と共に大海蛇型攻性獣が水面を転げる。
「そのまま落ちろ」
蹴りの回転が残ったまま振り向いて銃撃。僅かな照準時間にも関わらず、弾丸は転げる大海蛇型攻性獣に当たった。
着弾でその勢いが増す。そして、二体目の大海蛇型攻性獣も大穴へ落ちて行った。
「想定どおりか」
ソウの平静な声。しかし、ソウ機の背後に更なる影が襲いかかる。
「ソウ!」
「なん――」
最後の一体がしぶきを上げて飛びかかる。大海蛇型攻性獣に似ているが、そのサイズは今までの二倍はある。
大海龍とも思える威容だった。重厚な甲殻に似合わず身をくねらせ、赤い三つ目を爛々とさせる。他の攻性獣では見たことのない大きな牙と顎が、大海龍型攻性獣の危険度を伝えてくる。
ソウの声に焦りが乗った。
「コイツ!? 受け止め――」
凶悪かつ巨大な牙のならんだ大口がソウ機に飛びかかる。単機では受け止めきれるか怪しい質量だった。
ソウ機が咄嗟に飛び退く。
「くっ!?」
だが、大海龍型攻性獣は空振りの後、すぐに身を翻し再び襲いかかってきた。
「ならば!」
ソウ機が水面を蹴り上げた。水飛沫と同時に舞ったのは、極太の骨材だった。足元の廃材をすくい上げたのだろうか。そんなことを考えるまもなく、ソウ機は、骨材を素早く掴み構える。
「喰らえ!」
ソウ機は大口へ骨材をねじ込んだ。それでも勢いは止まらず、大海龍型攻性獣がシドウ一式に激突する。
「ぐぉ!?」
機械仕掛けの戦士は何とか踏みとどまった。水しぶきが水面へと舞い落ち、巨躯が再び露になる。白磁の巨龍が、攻撃的かつ巨大な顎と牙を食い込ませようとしていた。噛ませた骨材が徐々に曲がっていく。
「ソウ!?」
巨大な牙と顎は、人戦機と骨材を余裕でかみ砕けそうだった。骨材に加えて、ソウ機の両腕が押し返そうとしているが、それでもギリギリと音を立てて大顎が閉じていく。
とうとう骨材にひびが入った。
「いま助け――」
「ソウ! 二秒後に飛び退け!」
サーバルⅨの方を見れば、アサルトライフルを背面にしまい、手持ちの砲を取り出すところだった。シノブの副武器、単発式グレネードランチャーである。
「いけ!」
カシュ、と気の抜けた音と共に放たれたグレネード弾が、煙を曳いて攻性獣の腹の下へ潜り込んだ。
「ソウ! 退避!」
「了解!」
ソウ機が跳び退くと同時に、爆発で水しぶきが舞い散る。腹の甲殻を僅かに砕かれながら、大海龍型攻性獣が吹き飛んだ。
盛大な水しぶきを上げて、大海龍型攻性獣が渦の近くへ着水する。しかし、巨躯ゆえに落ちる前に動きが止まった。
シノブの舌打ちが聞こえた。
「くそ! もう少しで落ちそうなのに!」
それを聞いたソウが、すぐさま機体を立ち上がらせた。
「追撃します」
数瞬前まで死地に片足を突っ込んでいたとは思えない、平静な声が響く。
「武器変更。手榴弾」
前腕のコンテナから手榴弾を取り出すソウ機。
「時限信管。二秒後」
言いながら振りかぶるシドウ一式が、水面を踏み抜いた。腰、肩、肘、手首と勢いを伝える見事なフォームと共に、腕が振り抜く。
「いけ!」
矢のように飛んだ手榴弾が、大海龍型|攻性獣の甲殻をコツンと叩いた。
「今!」
衝撃が水面を凹ませ、爆煙が花を咲かせた。
大海龍型攻性獣が穴へと吹き飛ばされる。見えない底へと誘う水流が、その巨躯の大半を捉えた。
長い白磁の身体が、大穴へズルリと落ちていく。息を呑みながらその様子を見守っていると、シノブからの連絡が入る。
「とりあえず、片付けたか」
半透明越しの無愛想な顔が答えた。
「グレネードランチャーでの支援、助かりました」
「分隊長として当然だっつーの」
サーバルⅨがグレネードランチャーのリロードを済ませる。
「それにしても、通常弾にしておいてよかったぜ」
アオイがその一言で首を傾げた。
「あれ? 市街地戦では煙幕弾でしたよね?」
先ほどのダイチとナナミと戦った時、路地に立ち込めた煙はシノブがグレネードランチャーでスモークグレネードを使ったためだった。
「開けた所だと意味がないからな。煙がすぐに流されちまうし」
サーバルⅨがあたりを見やる。つられて視線を向ければ、開けた水面を風が揺らしていた。
「だから変えといたのさ。また市街地に戻ったら煙幕弾に戻すが……。予定をオーバーしているな、先を急ぐぞ」
「了解」
移動開始前に、各員が機体情報を確認する。アオイの目に映るのは、いまも音を立てて水を吸い込む大穴だった。
「ソウ。あの穴、何なんだろうね?」
「不明だ」
相変わらずそっけない相棒の返事に苦笑するアオイ。通信を切ってコックピットでぽつりと呟く。
「どこに落ちて行ったのかな」
それに答える者はいない。つぶやきは流れ落ちる水と共に、仄暗い穴の底へと消えていった。
〇廃棄都市 資源争奪戦指定区域 最前線
建物が作る陰に紛れて、三機が歩を進める。水はもう無い。
路地に迷い込んだ風が、積もりに積もった粉塵を巻き上げた。咄嗟に目を瞑って顔を覆うが、生身の体はコックピットにある事を思い出す。
シノブとソウは何の反応も無く歩を進めていた。少しだけ気恥しくなって誤魔化し笑いをした後に、作りかけのビルを見て呟く。
「まるでワタシたちの街みたいですね」
「そりゃそうだ。ここを建設したのはフソウ系の入植者だったからな」
「そうなんですね」
入植の尖兵、もしくはモルモットとして送り込まれたフソウ系の入植者は、病原体、資源不足、自然災害、そして攻性獣の脅威に耐え忍びながら都市を作り上げていった。この都市が出来上がっていれば、道路を埋め尽くすような活気に満ち溢れていただろう。
しかし、その光景は幻想となってしまった。
(ここまで建てたのに、取り上げられるなんて……)
やるせなさを押しこめて、任務に意識を集中させる。前を行くサーバルⅨの背中が止まった。交差点がサーバルⅨの肩越しに見える。
「音はよし……。カメラは……」
シノブがそう言って、サーバルⅨの腕にオプション装備されたチューブカメラを、交差点から覗かせた。
「カメラにも敵影なし。スリーカウントで出るぞ。三、二、一、今!」
曲がり角から飛び出し、銃を構え、左右をさっと見回す。動く物は何もない。ホッと一息をつくとソウの声。
「なぜ、音で確認をしているのに?」
「バカ。待機してたら、万一があるんだよ。呼吸音だって抑えられたら分からねえ」
「呼吸と言う名前は不正確では? 再活性可能電解燃料液との反応用酸素吸入と言った方が――」
「お前、面倒くせえな」
シノブのため息とともに会話が打ち切られ、サーバルⅨが先に進んだ。アオイも後を追いかける。
一区画ずつ歩を進める緊張感が肩を重くする頃、シノブの声が聞こえた。通信は回復しておらず、スピーカー経由の音だった。
「そろそろ、通信途絶前に知らされた採取ポイントだ」
「敵が近い……ってことですね」
「ああ。お前たち。ちょっと静かにしていろ」
そして次の交差点近くに到達すると、先頭を行くシノブが止まれの合図を出した。静寂があたりを包む。しばらくの後、シノブが呟いた。
「いるな。場所は変わってない……か」
サーバルⅨが集合の合図を出す。三機が固まると、至近距離限定通信が開かれた。
「敵は五区画先の大通りにいる。アタシは向かって左の、アオイとソウは右の路地から出ろ」
「さっきのダイチさんとナナミさんと戦った時の逆ですね」
「そうだ。さっきは大通りに陣取って拠点を守ったが、今度は路地から攻める番だ」
そう言いながら手元で色々と操作するシノブ。しばらくすると、簡易マップが視界の端に表示された。
「結構手前で分かれるんですね」
「相手から見えない所からじゃないとな。しっかりやれよ。通信ドローンの展開は間に合わないからカウントで合わせる。各機準備」
慌てて手元を見る。
ゴーグルモニターに映る背景が消え、戦闘服を着こんだ手のひらと仮想スイッチが浮かび上がった。ボタンを押すたびに戦闘服から擬似感触が伝わる。
いくつかの操作を経て、視界にカウントが表示された。
「ゼロになったら顔を出して射撃開始。照準を散らせ。行くぞ」
サーバルⅨが別の道を行く。不安を胸に見送った後に、前を見れば既にソウ機が進んでいた。
「ま、待って!」
しばらく進むと、傾いた骨材がバツ字を描き路地をふさいでいた。どうしようと思っていると、ソウ機が前に出た。
「邪魔だ。どかすぞ」
「え? いいのかな?」
何かが引っ掛かる。
「何かあるのか?」
「いや、具体的にこれ……って事は無いけど……」
「指定位置まで早く到着した方がいい」
「まぁ……確かにそうか」
人戦機ならば軽くどかせる程度の細い建材だった。そのため、払いのけるように反射的に手を伸ばす。
直後、モニター一面に広がるまばゆい光が、アオイの網膜を焼いた。




