第五話 少女と先輩と秘密の正体
〇サクラダ警備 格納庫
人戦機の立ち並ぶ格納庫で、アオイ、ソウ、シノブ、トモエの四人が集まっている。視線を集めているのはアオイだった。
話題は、シノブが煙の中でもアオイたちの位置を判別できた理由だ。アオイの推論に皆の注目が集まっている。
慣れない注目に戸惑いつつ、アオイがおずおずと口を開く。
「音響定位。つまり音で位置を感じているんですか?」
シノブが指を鳴らして、銃を構える様に指を差さしてきた。
「正解! やるじゃん。どうして分かった?」
「それはですね」
説明しなければ。その熱い思いを抑えきれなかった。
「サーバルって動物は耳がいいんですけど、シノブさんが乗っている機体は同じように耳が大きいのでもしかしたら聴覚に優れていると思いました。同じように耳が大きくて反射音で位置を特定する動物がいるのですが、例えばコウモリやフクロウのように――」
「アオイ。早口」
ソウの指摘にハッと気づく。
シノブとトモエが呆然と佇んでいた。何とも言えない生暖かい雰囲気が漂ったが、トモエが咳払いを一つして空気を締める。
「良い洞察だ。さすがだな」
「分かったのは、やられかけてからですけどね……」
トモエの気遣いに感謝しつつ頭を掻いた。
「でも、そんなの普通の人間にはできないはずで……」
「そうだな。普通の人間には無理だ」
「なら、どうして?」
トモエに代わりシノブが答えた。
「感覚野拡張実験。それの被験体だったのさ」
被験体。閃きとともにソウを振り向く。
見えたのは普段は滅多に見せない驚きに口を開けるソウの顔だった。
「……まさか」
「そ。イナビシの研究所。そこで実験台になってた」
思わず、という勢いでソウがシノブへ詰め寄ろうとする。
「オレを知って!?」
それをシノブが手を出して制止した。
「知らねえ。トモエさんの話を聞く限り、お前とは違う研究所にいた。イナビシにはいくつも研究所があるからな」
「……そうですか」
珍しくソウが気落ちする。おろおろと周囲を見回すと、トモエの口元が、ほんのわずか、同情に歪むのが見えた。
だが、それも一瞬の事だった。直ぐに、いつもの平静な上司の顔に戻る。
「ソウ。悪いがシノブには話させてもらった。研究所違いとは言え、近い境遇だ。一人で悩むよりはいいだろう」
「意図は理解しました」
シノブが会話の切れ目を見計らいながら、口を開いた。
「話を戻すけどな、アタシ、耳が四つあるような感じなんだ」
「え!?」
シノブの猫耳ニット帽を、おもわず見る。もしかして、動くのかも。そんなことを思っていると、視界の下でシノブが苦笑いを浮かべた。
「実際にはついてねえよ。人戦機の聴覚信号を頭に直接つっこんで感じれるんだ」
「え? どういうことです?」
「例えば、普通でも右から聞こえてきたのか、左からなのか分かるだろ? それは、右と左の耳に音が入る時間差を脳が感じている……らしいんだ。受け売りだけどさ」
自分も詳しく説明しなければならない。湧き上がる使命感が口から飛び出る。
「分かります。フクロウとかも耳が上下に分かれていて、そこで時間差を――」
「アオイ。また早口」
ソウの一言で冷静に戻れば、シノブのたじろいだ顔が目に入ってきた。
「お、おう。多分アオイが言うようにしたかった……と思う。アタシの帽子って耳付きだろ? これ、マイクになってるんだ」
シノブの耳付き帽子を見る。
「その中に入っているんですか?」
「そ。普段から使ってないと衰えるみたいで、帽子にセンサーを入れている訳」
「でも、それだけじゃ聞こえないような……」
「頭もいじってる。そのお陰で聞こえがいい」
「だから、さっき……」
「ああ。位置が丸見え、いや丸聞こえの方がいいか? そういう訳だ」
そんな技術は聞いたことが無かった。聞いてはいけない秘密を耳にしたのではと言う不安が込み上げる。
「あの……、そんな秘密を話しても大丈夫なんですか?」
「秘密って?」
「能力のこと、いろいろです」
「どういう事だ……?」
困惑して口ごもるシノブを助けるように、トモエが近づいてきた。
「そこは私が説明しよう」
「トモエさん」
「結論から言うと大丈夫だ。イナビシは営利企業。秘匿する利益よりも、被験体を囲い込む費用の方が大きければ、さっさと自由にするさ」
それを聞いたシノブが、あぁ、と声を出した。
「なるほど。企業秘密だと思ったのか」
「はい。そうです」
「悲しいけど、そこまで儲からないって判断されたんだよな。アタシの能力」
シノブが小さな肩をすくめる。
「それで講評に戻るぞ。ソウ。お前は無駄な拡張アプリを積み過ぎだ」
アプリと聞いて、顎に手を当てて唸りながら記憶を絞り出す。
「拡張アプリって……たしか人戦機に特殊な動作をさせるための何か……でしたっけ?」
曖昧な答えにトモエが苦笑いしつつ答えた。
「基本ソフトウェアではカバーしていない動作や機能を補うための物だな」
基本ソフトウェアとは歩行や射撃など基本戦闘を行うためのソフトウェアパッケージだ。
人戦機が読み取るのは大まかな意思だ。手を何センチ前になど、詳細を頭の中から吸い取れる訳ではない。そのため、基本ソフトウェアが漠然とした意思を具体的な動作へ落とし込む。
演算能力が有限である以上、何を担当させるかの取捨選択が必要になる。その中で捨てられた機能もあるが、その機能が必要な操縦士もいる。
そんな場合のために設けられたのが拡張アプリだ。基本ソフトに後付けする形で、自由度の高いカスタマイズができる。
(まずい。もう習ったことだった……!)
説明されて、ようやっと思い出す。記憶力のなさに肩を落とした。そして、おずおずとトモエへ尋ねる。
「……拡張アプリって、どんな事ができるんでしたっけ?」
「格闘術が代表だ。後は射撃補助や、索敵補助などもだ」
「ワタシも射撃補助とか積みたいんですけどね」
いくら特訓してもソウとは段違いに低い命中精度に、卑屈なため息が出てしまった。
「アオイの場合は動作補正量が大きい。もっと習熟しないと、拡張アプリを詰めるリソースはないぞ」
「う……。頑張ります」
基本ソフトウェアを積めば誰でも一人前にすぐ成れる訳では無かった。
動作のイメージが曖昧な者ほど、読み取り誤差が大きい。未熟な操縦士に対しては補正値を上げる必要あり、その度合いに応じて演算リソースを占有する。
(確か……。ボクの場合だと、演算リソースのほぼ全部を動作補正に使ってるんだっけ)
それはつまり未熟も未熟と言う事だ。
(まさか人戦機に乗ってまでドンくさいだなんて……)
自然とため息が漏れた。その様子を横目に、シノブがソウに問いかける。
「話し戻すぞ。ソウ、あんなに体術ソフトを積んでどうするんだよ」
その質問の背景が分からず、思わずシノブに聞いてしまった。
「どういうことです?」
「ああ、煙で見えなかったんだっけ? コイツ、窪地に転げ落ちた後に受け身を取って駆けあがった後に、飛び蹴りをかまそうしてきたんだ」
「ああ、ソウの得意技ですね」
「少なくともアクロバット系と、マーシャルアーツ系の二つを使っている。積み過ぎだっつーの」
シノブがソウを睨む。しかし、ソウの顔には疑問の色が浮かんでいた。
「いえ。積んでいませんが」
「はぁ……? いや、お前、何言ってんだ?」
シノブが怪訝な顔でソウを見る。そこへトモエが割り込んできた。
「そう言えばシノブに言ってなかったな。こいつは素だ」
「受け身も!? 何から何まで!?」
シノブの驚き様に、思わず眉根を寄せた。
「あの……。そんなに凄いですか?」
「いや、分かんだろ、普通……。……もしかして、ソウしか見てないからあれが普通だと思ってんのか?」
「普通とまでは思わないですけど、頑張ればなんとかなると――」
「いや。こいつは異常だ」
シノブの呆れと驚きに満ちた顔が、相棒がいかに桁外れかを物語っていた。
「ソウ。そんなに凄かったんだ……。じゃあ、少しでも追いつけるように――」
だが、シノブが決まり悪そうにその言葉を遮った。
「いや、それはやめておいた方がいい。正直、微妙なんだよなぁ」
予想外の、シノブの気まずそうな声。
「できる様になるまでかける時間を考えるとなぁ……。他のことをした方が――」
「つまり、評価の獲得に対して非効率であると。無駄な時間だったと言う事ですか」
ソウの言葉に、シノブが戸惑う。続く言葉に気遣いが混じった。
「……ぶっちゃければ、そう言う事だな」
「……そうですか」
切れ長の三白眼に、普段の迫力が無い。シノブの口調が一層柔らかくなる。
「まぁ、今からでもなんとかなるさ。頭使って訓練していけばいい」
「ならなぜ、既に損耗が規定値を越えてもシミュレーションを続けさせるのですか? 過去の非効率を挽回するには、妥当な目標での効率的な訓練が必要では?」
シノブの声色が、迫力に満ちた低音へ一変した。
「……あ?」
その豹変に思わず固まる。
どんどんと冷たくなっていく雰囲気の中、シノブの恫喝するような声が響く。
「どういうことだ?」
「任務達成が不可能な時点で辞めた方がよいのでは? その方が効率的では?」
「アオイ。お前もそう思うか?」
声の底に流れる迫力に、肩を跳ね上げる。
「は、はい。確かに、なんでかなって――」
「何のための訓練か分かっていないようだな。甘ったれども」
場が一気に締まる。変化を読まずにソウが口を開いた。
「目的は技能の向上です」
「ちげぇよ。ぜっんぜんちげぇ。負けない、死なない人間を作ることだ」
「技能向上の結果として達成できるのでは?」
「それだけで、生き残れるほど甘くはねえよ。だから、訓練でも最後まで足掻くんだよ」
シノブがソウへ詰め寄る。
「負けそうになったら諦める? たるんだ訓練で、本番なんかこなせねえよ」
シノブの気迫に、二人とも言い返せない。
「甘ったれが戦場に出たら、くたばっちまうのがオチだ」
「資源採取戦ではセーフティがあるのでは?」
「絶対じゃねえ。それに攻性獣なら問答無用で殺しにくる。違うか?」
「否定はできません」
「だから、アタシはそんな事は絶対に許さねえ」
言い切った後、シノブが深く息を吐く。
「……強く言って悪かった。とにかく、シミュレーションは全力でやっとけ。いいな」
様子を見守っていたトモエが場を締める。
「お前たち。とりあえず今日は帰っておけ」
「ですが、訓練が――」
「これは業務命令だ」
トモエの視覚型バイザーがキラリと光る。しばらく見つめ合うソウとトモエ。そして、ソウの方が視線を外した。
「……了解。失礼します」
それだけ言って、ソウは格納庫の出口へ向かう。
「あ、ソウ。……その、失礼します」
小さく頭を下げてソウの後を追い、二人で格納庫の扉を出た。
ソウはいつも以上に早足で廊下を歩く。小走りして、なんとか追いついた。
「……どうしたの? ソウ? いつもより、もっと怖い顔してるけど」
ソウの眉がピクリと動き、歩くスピードが落ちる。そして、前を向いたまま答えた。
「もっと、とはどういう意味だ」
「そのままだけど?」
「意味不明だ」
自分の強面を理解していない相棒に溜息をつく。
「シノブさんに怒られたの、ショックだった? ボクもだけど――」
「それもそうだが……」
「何?」
「いや、考えても非効率的か」
「どうしたの? 何か――」
ソウが立ち止まる。
「アオイ。そろそろ更衣室だぞ」
「あ。うん。じゃあボク、着替えるから」
「オレも」
「じゃあ入り口で」
それだけ言って女子用の更衣室のドアを開けた。その背後で、ソウが入口へ向かう足音が聞こえる。
ソウは廊下を歩く。背後でドアが閉まる音が聞こえる頃、ぽつりと呟いく。
「オレのやってきた事は、無駄だったのか」
いつもより強めの足音を響かせながら、ソウは廊下を進んでいった。
〇フソウ ドーム都市内特殊区画 サクラダ警備格納庫
サクラダ警備の格納庫にトモエが入ってきた。そして、手元の情報端末を操作する。端末に、ヘッドギアと半透明ゴーグルを被ったシノブの顔が映る。
「訓練を始めてから大分たったが、随分と粘るな。ようやっと休憩か?」
「はい。でももうすぐ始めます。追い込みたくて」
端末の中のシノブが首を回す
「殊勝だな」
「勘が戻らなくて」
「それでも圧勝か。先輩の意地を見せたな」
「新人未満には負けませんよ。次は……っと」
シノブが手元を見やり、手際よくリズミカルにスイッチを押していく。その様子を見るトモエが気遣いの言葉をかけた。
「すまないな。私が言う前に」
シノブがセットアップを片手間で続けながら返す。
「アイツらにキツく言った事ですか?」
「そうだ。いくらうちの伝統だからと言ってもな」
「アタシも昔は散々言われましたからね」
「無茶、無鉄砲、自棄くそ。シノブに慎重さを教えるのには苦労したな」
「恥ずかしい限りで……」
「まぁ、あの時のシノブの気持ちを考えれば当然――」
シノブが寂し気な自嘲と共に、トモエの言葉を遮った。
「やめてください。甘ったれだった頃の、言い訳ですよ」
「そう言う状況なら、だれでも……。いや、よそう」
しばらくの沈黙。
端末から漏れてくるボタン操作音だけが耳につく。それも、しばらくすれば止んだ。再び戻った沈黙を、トモエの声が破った。
「本当にいいのか? 嫌われ役で?」
シノブが手のひらで口元を覆う。手を離して露わになったのは不敵な笑み。そこに僅かの自嘲が混じる。
「アタシはガサツだから、なんと思われたって。引き締め役、必要でしょ?」
シノブが操作を続ける。
「それにしても試験官ですか。まさか自分の番が回ってくるとは思いませんでした」
「サクラダ警備恒例だからな」
「昔はトモエさんが決めるんだと思っていました」
「最終的にはな。だが、現場で筋が無いと思ったやつを採用するのは避けたい」
「トモエさんなら、そういうやつは見抜けるでしょ? アタシなんかよりも、人を見る目は確かなんじゃないですか?」
「私にも好き嫌いはある。過信はさけるべきだ」
「慎重ですね。トモエさんらしい」
シノブがさらに操作を続ける。
「他の社員の復帰目途は立っていない。次の任務の分隊長は、おそらくシノブだ」
「一番下っ端のアタシがいきなりかぁ。ちょっとビビりますね」
「そうだろうな。ただ、頼れる者もいないのは事実だ」
「分かってます。いずれはそうなりますし、泣き言ばかりってのは、ね」
「本領とは勝手の違う所も多いだろう」
サーバルの音波探知能力が役立つのは最前線戦闘よりも、敵奥に潜んでの破壊工作だった。ソウやアオイたちと足並みを揃えての戦闘はそこまでの得意ではない。
だが、シノブもサクラダ警備の社員として、並以上の実力を備えている。
「それでもシノブがいると心強い」
「トモエさんにそう言ってもらえる日が、こんなに早いとは思いませんでした」
シノブが、困惑気味の照れ笑いを浮かべる。トモエも微笑んでいたが、表情を引き締めた。
「まずはあの二人を頼む。やりづらかったら言ってくれ」
「分かりました。セットアップ完了。いったん切ります」
「あまり無理するなよ。私は居室に戻る」
「了解」
トモエの顔が映っていたウィンドウが消え、目の前に黒曜樹海の暗がりが広がる。
「やりづらかったら……か」
シノブの顔にはアオイたちと戦った時の冴えが無い。
それでも、サーバルⅨがサイレンサー付きのアサルトライフルを構え、黒曜の葉が作る陰の中をなんなく駆ける。
「っと、出てきたか」
モニターには軽甲蟻と赤いマーカー。瞬時に青い弾道予測線を合わせ、発砲。
「よっと。撃破。次は……」
何の感慨も無い声。ひどく無機質な駆除の中で、ぽつりと呟く。
「アオイに……ソウ……か」
その名前を口にして、シノブの顔に浮かぶのは戸惑いと寂寥だった。
「やりづれえ……。なんで……だろうな」
呟きが仮象の森の暗がりへと溶けていく。サーバルⅨもそれに続いて、森の暗闇へ同化した。




