第四話 少女と先輩と少しだけの秘密
〇フソウ ドーム都市内特殊区画 サクラダ警備社屋 格納庫
アオイとソウの目の前にシノブが腕組みをして立ちはだかっている。勝気な瞳と不敵な笑みから放たれる威圧感は、アオイを震わせるほどだ。小柄ではあるものの、その居住まいは歴戦の武装警備員に相応しい。
シノブが半分は挑発するように、もう半分は脅すように宣言した。
「これからビシバシ鍛えてやるからな。社員希望ども」
声に籠った気迫が、アオイの身をすくませた。一方のソウは平然したままだ。
「ワナビーの意味は?」
「それくらい自分で調べろ」
素っ気ない返事に、ソウが眉根を寄せた。
「知っている人間がその場で教えた方が効率的ですが」
「アタシはそういう教え方はしねえ。ヒントはやるが自分で考えろ」
「非効率的ですね」
「お前は口を開けて待っているヒヨコ以下か? だから、あんな動きしかできねえんだよ」
「一般的な水準よりも高効率的な操縦はできているはずです」
「目の前の事しか考えてねえだけだろうが」
二人の口調が更にきつくなる。どうしようと右左を向いていたときに、袋を抱えたトモエが割って入った。
「二人とも初回はそこまでだ」
トモエの制止で、二人が口を閉じる。
「アオイ、ソウ。今まで面倒を見てやれなかった分、シノブからしっかり教われ」
「先ほど教えないと発言しましたが?」
「シノブから自分で学ぶ方法を教われ。私もヒントは出す」
「非効率では?」
「長い目で見れば違う」
切れ長の三白眼が、疑問に歪む。
「どういうことで?」
「自分で学ぶ力を身につければ、自分の足で進むことができる。私はそういう能力を重視している」
「……了解」
ソウが、渋々と言った様子で引き下がる。
矛を収めた相棒を横目に見ながら、喧嘩にならなかった事へ胸を撫でおろした。再び目を開けると、トモエが抱えた袋が視界に入る。
「そういえば、トモエさんが持っているそれは何ですか?」
「差し入れだ。アオイ、ソウ。ヒノミヤさんとミズシロさんからだぞ」
袋がトモエから手渡される。シノブが首を傾げた。
「誰だ? その二人?」
「オレたちが警護を担当した土壌販売の業者です」
「すごく感謝されて」
「へぇ。やるじゃん。で、送られてきたのは何?」
シノブの口調に、講評をしていた時の辛辣さは微塵も含まれていなかった。
(さっきと全然違う……。あんなにトゲトゲしてたのに)
シノブの変わりように驚きながらも袋の中を探る。
「えっと……」
袋の中にあったのは、黄土色の果物だった。思わず、笑みが浮かぶ。
「梨です」
「初めて見た」
「前に食べた時はすごくおいしかったですよ。シノブさんもどうぞ」
梨をみんなに配り、トモエ、ソウと一緒にシャリッと梨を咥えた。
「やっぱり、おいしい」
「この個体も味は良好です」
「いつ食べても美味いな」
梨を頬張っていると、視界の端に寂し気に笑うシノブが見えた。
「アオイ、ソウ。アタシの分、やるよ」
「へ? いや、悪いですよ」
「では」
ソウは礼もそこそこに梨に齧りつく。いつもどおり、悪い意味での思い切りの良さに、呆れ混じりの視線を送る。
「……ソウ、シノブさんへの遠慮とかないの?」
「どうしてくれると言うものを断る? 意味不明だ」
「ソウらしいね」
ソウに呆れつつ、念のためシノブに確認をする。
「本当にいいんですか? おいしいですよ?」
「いいんだよ。そっちの方が梨も幸せだろうからさ」
シノブの返答の意味を思わず考え込む。
ふと姉の顔を思い出した。何かにつけて遠慮する、そんな姉だった。顔立ちはまるで異なる二人が、脳裏で重なる。
「シノブさん。我慢してません?」
「何?」
「私たちに食べさせるために、です」
少しだけ驚くように、シノブが息を止めた。だが、すぐに不敵な笑みを浮かべる。
「考え過ぎだ。いいから食べろって」
おずおずと梨を頬張ると、優しい甘味が口の中に広がった。視界の端に一瞬だけ映ったシノブの顔。そこに違和感を覚え、シノブの方を向く。
「アオイ? どうした?」
目の前に映るのは先ほどから見せる不敵な笑み。振り向いた時には違和感は消えていた。
「いえ。なんでも」
そう言って、再び梨を頬張る。
(見間違いかな。シノブさん、すごく柔らかくて、優しい感じだったけど……)
一瞬だけ見えたシノブは、歴戦の武装警備員でもなく、挑発的な先輩でもなく、まるで姉のような雰囲気だった。あまりにも普段と違う印象。
きっと見間違いだろうと思い、アオイは梨を食べ続けた。
〇サクラダ警備 事務処理用居室
十数人が入れる大きさの事務室に並ぶ情報端末。窓の外は既に暗い。
その奥に大小二つの人影。大きい方はトモエ、小さい方はシノブだった。
二人が椅子に腰かける。
「で、実際の所、あの二人はどうだ?」
「と言うと?」
「厳しいのはわざとだろう? 新人未満呼ばわりとはな」
「バレましたか。でも本当でしょう?」
「確かに試用期間中はワナビーとも言えるな。で、評価は?」
「筋はいいです。二人セットって前提ですけどね」
トモエの向かいに座るシノブの顔には辛辣な笑みは無い。実年齢の二十半ばより少しだけ幼い笑顔だった。
そんな穏やかな表情に釣られたのか、トモエがクスリと笑う。
「引き締め役は嫌われるぞ?」
シノブが肩を竦めると戯けた声で答えた。
「じゃあ、優しく育てるんですか? 現場で――」
そして、少しだけ言葉に詰まる。
「……死んで、化けて出てくるよりはマシです」
何かを察したように、トモエの唇が締まる。
「辛くなったら交代はする。いつでも言え」
「アタシはそんなに繊細じゃないですよ。育ちが悪いんで」
自嘲の笑みに歪む口から、寂し気なため息が漏れた。トモエがそれを拾おうか迷うように、手を中途半端に前へ。
しかし、トモエは腕を組んで声を平静に戻した。
「話を戻そう。まずはソウの方から」
「記録を見ましたが技量が尋常じゃない。真正面の一対一だったら、正直やられそうです。トモエさん。あいつ何者なんです?」
「お前の後輩だよ」
「それは知ってますけど――」
そこまで言って、シノブな何かに気づいたように動きを止め、口に手を当ててしばらく思考に耽る。
数秒後、納得したような声。
「……ああ、そういうことですか」
「そういうことだ。色々話をしてくれ」
「分かりました」
トモエが、話題を移す。
「じゃあ、アオイの方は?」
「一生懸命でかわいい」
嗜めるのと冗談を楽しむのと、どちらも含めてトモエが話す。
「シノブ。真面目に答えろ」
「腕は……残念って感じですね。でも――」
猫の瞳が、捕食獣のような獰猛さを奥に灯す。
「残しているって事は、何かあるんでしょう?」
「確かに分かりづらいが、いずれ気づくさ」
「トモエさんがそう言うなら、間違いないですね。今まで全部正しかった」
シノブの声にはひと欠片の疑いもない。全幅の信頼を受け、トモエが少しだけ照れくさそうに頬を掻いた。
「面倒を見てやってくれ。とりあえず今日は事務仕事を片付けるか」
「仕方ないかぁ」
シノブが渋々と言った様子で情報端末に向かった。
〇???
渓谷に巨岩が点在し、木はなく草もまばらな荒れ地だった。点在する岩は人戦機を超えるほどの高さだ。そんな岩塊のビル群には濃い煙が充満していた。
その中を駆ける二つ影が僅かに浮かび上がる。
揺れる煙に、狭間が僅かにできた。モノノフの大鎧を思わせる肩部大型装甲板と、兜形の頭部ユニットが切れ目から見える。それはアオイとソウが乗るシドウ一式だった。
暗闇のコックピットに照らされる半透明ゴーグルを被ったアオイ。気弱そうな顔に、恐怖と焦りが上塗りされた。
アオイの眼前には一面の煙が広がる。前を往く相棒の機体の輪郭が辛うじて読み取れる程度の視界。焦るアオイの耳にソウの声。
「アオイ! 敵の場所は見えたか!?」
「分からないよ! こうスモークが濃いと!」
「くそ! 装甲はどれくらい残っている!?」
残装甲量を示す人型のアイコンへ視線を送る。全身が、危険を知らせる赤に染まっていた。
「こっちはまずい! ソウは!? 結構削られていたけど!?」
「装甲は残り三割未満。次の会敵で仕留め切らないとまずい」
通信ウィンドウに映る切れ長の三白眼が更に歪んだ。
「もはや目標達成はできない」
「装甲を三割以上残して撃破……だっけ。連戦を考えてなんだよね」
「なのに、なぜミッションを続ける」
「何か狙いがあるんだろうけど……。でも、まずは相手に集中しないと」
「どこだ。場所さえ分かれば対処は――」
突如の銃撃が二機を襲う。耳を打つ着弾音。
「くぅ!」
短いうめき声が口から洩れた。モニターに映るのは舞い散る装甲の破片。装甲残量低下の警告が灯る。
だが、対価は得た。モニターに矢印。それは弾道計測装置が割り出した敵位置だ。振り向けば、たなびく煙の向こうに人影。直後にソウの声がコックピットに響く。
「いくぞ!」
ソウ機が矢のように飛び出した。肉薄すれば煙幕も関係ない。加えて、近距離戦闘なら相棒の独壇場。納得の決断だ。
「援護するよ!」
銃口を向ける。が、煙に邪魔され敵機を検知できない。いつもは敵影に吸い付く青い弾道予測線が、フラフラとしていた。
「狙えない!?」
「しかたない! 突撃――」
駆け出したソウ機の影が消えた。機体が地面に打ち付けられ続ける音が響く。
「何!? どうしたの!?」
視線を通信ウィンドウへ。そこには激しく頭を揺らすソウの顔が映っている。
「穴!? いや窪地か!?」
ソウ機が転げ落ちていると悟った。心配を他所に、気迫の声が耳を打つ。
「立て直す!」
ダン、と巨躯が大地を踏み抜く音と、四翼二対推進器、偏向推進翼の咆哮が耳を打つ。ソウが突撃を敢行したのだろう。
「追わないと……。 って! 滑る!?」
窪地を下る間に、何度も足を滑らせる。一方、ソウ機の駆動音は遠くへ消えた。窪地の底へ降り、今度は登りきったあと、見えたのは濃い煙だけだった。
「ソウ!? どこまで行ったの!?」
「アオイ! ここだ! 援護を頼む!」
ソウ機は影すら見えない。
「できない! ソウが見えない!」
「なら追いついて――」
「どこにいるかも分からないんだよ!?」
「このスモーク! そう言う事か!?」
ソウの顔にようやくの焦り。
「最初から、分断が狙い……なに!」
煙の向こうから銃声。二秒後に、ソウが声を荒げた。
「くそ!」
「機体損傷。機能停止信号送信」
平静なシステムメッセージが伝えるのは、絶体絶命の苦境。
「うそ!? ソ、ソウが!? ど、どうしよう? ここで迎撃? それとも突撃?」
対応を決めかねている時、耳にチッチッチッと言う甲高い音。
「この音は!?」
戸惑いに溺れる脳裏に、ふとスラムの裏路地が蘇る。
「いや……。この音、あの時の……!」
見えない状況。甲高い音。それが、脳内の電光とともに繋がろうとする。
「――まさか!?」
直後、リアビューに煙幕を切り裂いて肉薄する人影。煙を割って露になったのは、大耳の人戦機だった。
「後ろ――」
振り返った直後に喉元へナイフの刺突。致命的警告が次々と表示される。
「嘘!?」
頭部の制御装置が破壊されたとの表示と共に、システムメッセージが終わりを告げる。
「機体損傷。機能停止信号送信」
サーバルⅨと表示された、大耳のようなコックピットモニターが暗転し、メッセージが続く。
「ミッション失敗。シミュレーション訓練を終了します」
アオイの頭の後ろの方で、ハッチのロックが解除される音が聞こえた。
〇サクラダ警備 格納庫
シドウ一式の首と背中の間、人間に例えるならうなじの少し下にあるハッチが開き、アオイがヘッドギア付きの頭を出す。
ケーブルを伝ってフロアに降り立つ。先ほどの散々な訓練成績を思い返して、気分も顔もうつむき加減になった。
「はぁ……」
ため息の後に顔を上げると、ソウの切れ長の三白眼が見えた。元から強面に見える顔が、不機嫌さによって一層険しく歪んでいる。
話しかけるのもためらわれる雰囲気の中、カラカラと笑いかける猛者がいた。
「まだまだだな。新人未満たち」
それはシノブだった。サーバルⅨという、大型の肉食獣に似た人戦機のそばから、こちらに歩いてくる。体格は子どものようにも見えるが、格納庫に居ても違和感の無い雰囲気は兵に相違ない。
「お疲れ様。復帰直後なのにすまんな。シノブ」
シノブはゴーグルと一体になったヘッドギアを取り、代わりに猫耳のような突起のついたニット帽を被る。
「お安い御用ですよ。新人未満の相手くらい」
隣のソウが、眉間に力を入れた。対するシノブは、ソウの反応を気にする様子もない。シノブがゆっくりと格納庫を見回した後にため息をつく。
「それにしても寂しいもんですねぇ。トモエさん」
「他の者も早く復帰してくれるといいのだがな」
「どれくらいかかりそうです?」
「一人二人はそのうちに、と言ったところか」
「そうですか」
さて、と一息をついてトモエが向き直った。
「では、今日の反省を始めてもらおうか。まずはシノブの講評から頼む」
「分かりました」
猫のような瞳から可愛げが消えた。眼光が辛辣さの籠った険しいものへ一変する。
「お前たち。連携が全然なっちゃいねえ」
図星を付かれて息が詰まった。隣のソウは、相変わらず怯む様子もない。
「ですが攻性獣戦では効率的に――」
「お前、アタシが攻性獣に見えんのか?」
「いえ。人間です」
「なら、相手に合わせて出方を変えるなんて当たり前だろう?」
その返答にソウも黙り込むしかなかった。その反応を鼻で笑い、シノブが品評を続ける。
「人戦機に乗っている操縦士は、お前たちと同じ人間なんだよ。そこ分ってるか?」
「それが、どう作戦に影響するのですか?」
「できる事、できない事が違う人間なんだよ。相手を見ろ。現にアタシの事を分かってないだろ」
「む……」
図星を付かれたソウが口ごもる。それを見たシノブがこちらを向いた。
「アオイはどうだ? アタシの力、分かったか?」
「その、もしかしたらですけど……。でも、まさか……」
言い淀んでいると、シノブとトモエの顔に期待が浮かんだ。
「間違っていてもいいから、言ってみろよ。別にそれで怒鳴りはしねえ」
「それは――」
七分の確信と三分の疑惑を込めて、アオイは答えを述べた。




