後輩と女神と資源採取戦の歴史 前編
・世界観補完を目的とした技術解説と、人物掘り下げのサイドストーリーが主になります
・ストーリー上は読み飛ばしても問題有りません
〇黒曜樹海 資源採取戦指定区域 イナビシ指揮所
ウラシェはその日も曇天だった。曇天の元に広がる樹海が織りなす一面の黒。その一段下には漆黒の枝葉が作る仄暗い陰が広がる。
木陰の中を大量の歩行型ドローンが列をなして歩いていた。
それはトレージオンと呼ばれる虹色の希少資源を運ぶ、輸送型インセクトマシーン群だった。機械の虫が目指すのは巨大な筒のような採集施設である。
巨大な筒の周りを、重装備に身を固めた人戦機が何体も並んでいる。
重装歩兵の戦列の背後には、誘導兵器を搭載した自走砲台など高額な精密機器も鎮座していた。市井の武装警備員とは、武力も価格も桁違いの戦力がひしめいている。
彼らが守るのは、フソウを代表するイナビシ財閥直轄の警備部隊が設営した、トレージオン採集、処理、貯蔵を行う施設だった。
物々しい陣地の一角に、トレーラーが一台止まっていた。
トレーラー内部には、多数のモニターがあり、目まぐるしく表示が切り替わっている。情報の津波に溺れることなく、艶やかな黒のショートヘアが印象的な女性が一人、てきぱきと情報端末を操作していた。
女性は、イナビシの広域オペレーターであるチドリ=チサトだった。
黒髪だけが彼女の美しさではない。凛とした形の瞳には、可愛らしさを印象付けるクルっとしたまつ毛も備わっている。鼻はほどよく通っており、唇の艶も愛らしい。
絶妙なバランスの上に成り立つ可憐さに、隣にいる若い男の視線が釘付けになっていた。
男はアサノと言う。
チラチラと横目でチサトを見ていたが、目の前のモニターに表示された各種の指標を見て、背筋を伸ばした。
「チドリ先輩。噴出停止時間が規定値を越しました」
「再噴出兆候の計測結果は?」
「各地点でアンダーです」
「分かった。終了を告知するね」
身内に向ける柔らかな声色が、指揮官らしい芯の通ったものへ一転する。
「お疲れ様でした。作戦を終了します」
モニターから、彼女が指揮した武装警備会社からと思われる通信が入る。
「イナビシさん。今回も見事な指揮でした。それで、今回の査定については、色々と――」
「大丈夫です。弊社の拡張知能を使って公平に算出をいたします。それでは」
厳格さを纏う佇まいは、美と戦の女神を思わせた。
(チドリ先輩……。今日も素敵だ)
「ふう」
チサトが通信を切ってモニターを向きなおす。
今までは天上にいるかに思えた女神が、ふと人間らしい隙を見せる。その瞬間、神性に愛らしさが混ざる。
チドリ=チサトといえば、誰もが認める美人オペレーターだった。
魂ごと抜かれそうになるアサノだったが、今は仕事中と辛うじて画面に視線を戻した。
「今の通信相手、新しい会社ですか?」
「うん。そうだよ」
「チドリ先輩にゴマすっても評価は変わらないって知らないんですかね?」
「大半は拡張知能でやっているから、変えようと思ってもできないのにね」
「広域オペレーターの仕事をなんだと思っているんだか」
「本当は作戦立案と指揮をしているだけなんだけどね」
広域オペレーターとは、複数の武装警備会社が入り混じる資源採取戦において、会社間の統合作戦を立案、指揮する者である。
武装警備会社がオペレーターを立て、そのオペレーターを指揮するのがチサトをはじめとした広域オペレーターの仕事だ。
だが、広域オペレーターの仕事はあくまで作戦立案と指揮だけであり、武装警備会社の査定には影響しない。イナビシをはじめとした各資源会社が武装警備員に払う報酬は拡張知能が決めている。
しかし、広域オペレーターが査定をちらつかせながら指揮する都合上、誤解する者も多かった。
「指示をするから評価もするってのは、他の会社では一般的だからでしょうか?」
「昔はオペレーターが評価していた時もあったけど、公私混同する人も沢山いたらしいよ? まぁ、疑われても仕方ないよね」
「チドリ先輩なら、そんなことしませんよ! 清廉潔白な期待の新星じゃないですか!」
広域オペレーターには、卓抜した知能と経験が求められる。例え、経験を積んだものでも補佐止まりの場合も多い。
だが、チドリ=チサトはその中に有って別格だった。
その人格と能力を認められた有望株で、上下横の誰からも人気が高い。
「チドリ先輩なら、きっと統括だって!」
今はまだ、この指揮所にいる多数の広域オペレーターの一人だが、ゆくゆくは広域オペレーターを束ねる戦場の華、作戦統括に抜擢されるかもしれないとアサノは思っている。
興奮気味のアサノに、チサトが微笑む。
「ありがとう」
その笑顔にアサノの心臓が跳ね上がった。
(素敵な笑顔だ……)
だが、たるんだ表情を見せていれば男が下がる。そう考えたアサノは、頭の中身を仕事に切り替えた。
そんなアサノの内面を知ってか知らずか、チサトが話を続ける。
「でも、会社として疑われると仕事も受けてくれないからね。拡張知能を作って正解だったと思う」
「これがあるおかげで、個人に不満をぶつけられないって言うのは大きいです」
「イナビシに喧嘩を売る人はいないだろうけど、個人なら……って言う事もあったみたいだしね」
自分の取り分が思ったほどではなかった時の恨みは深い。命を掛けていればなおさらだ。
その怒りのはけ口に広域オペレーターを選ぶ者も少なくはない。だが、評価を拡張知能が行うとなれば、それはイナビシ全体への不平となる。それを吹聴すれば、待っているのは足きりだった。
「さ、まずはチェックしちゃおうか」
「はい」
チサトとアサノは拡張知能が算出した各社の貢献度をチェックする。
並みの人間では詰め込めないような多数の戦果を学習した拡張知能が、敵機の撃破、拠点の占有貢献、後方警備の確実さなどを、私情を交えず評価する。
それでも最終チェックは人だ。だからと言ってオペレーターが好き勝手に評価を変えられるはずもない。変更には相応の手順があり、オペレーター個人の思惑が通る事はない。
ある一社の戦闘記録が、チサトの目に留まる。
「オクムラ警備……。五十ポイント。うーん。ここ、いまいちだなぁ」
「雑と言うか、準備不足が目立ちますね。唯一活躍したのも、他社共同戦線だけでしたし」
「次回からは委託しない方がいいかも。一番怖いのは、有能な敵よりも無能な……っていうしね」
「他の資源会社に押し付けるってことですか」
「そういうこと」
資源採取戦は国際企業戦争だ。
クリスティアーナ合衆国、西部連合、中央共和国連邦など様々な国に所属する資源会社が相争う。だが、同時に経済活動でもあり、常にコストとリターンを意識する必要がある。無能を抱えれば広域オペレーター自身の評価にも響く。
チサトが次の戦闘記録を見た。
「サクラダ警備は……。二百ポイント」
「戦線活動時間は短かったですが、復帰後の活躍が凄かったですね」
「私の提案よりも、もっといい作戦を進言してきたからね」
「あの手榴弾遠投……。無茶だと思いましたけど、本当にできるんですね」
アサノが驚いたのは、シドウ一式というオンボロ機体に乗った三白眼の少年だった。歳に似合わない卓越した操縦技術で、次々と戦果を上げていったのを覚えている。
「私もびっくりしたよ。大丈夫だとは思ったけど、実物を目にするとね」
「どうして、大丈夫だと思ったんですか?」
「誰よりも信頼する先輩が、実力を保証するって言ったからね」
「チドリ先輩が信頼……ですか。サクラダ警備の社長。凄いんですね」
「そう。本当に凄かったんだ」
チサトが昔を思い出す遠い目をした。その憂いたような儚げな表情は、いつもの愛らしい魅力とは一転した、陰の魔力を帯びている。
(物憂げな表情も素敵だ……)
そんなアサノの心内を知ることも無いチサトは、一区切りつけると査定チェックに戻った。
「じゃあ次行こうか。早く査定を終わらせないと」
「何か用事が?」
「まぁ、ちょっとした……ていうよりは大事な用事」
少しはにかむ様なチサトの表情。その魅力が、暴力的にアサノの内心をかき回す。
(なんだろう……。まさか、デート?)
アサノの心に、狂おしい疑念が湧き上がる。そして思わず口を開いてしまった。
「そ、それはどんな用事なんですか?」
思わぬ追及に驚いたのか、少しだけ目を見開くチサト。そして、ほんの僅かに声を弾ませた。
「そうだね。本当の自分を見せられる、大切なひと時……って感じかな」
その回答に、男の影を見るアサノ。アサノの脳内には、男性と待ち合わせをして、普段では見せないような甘えた表情をさらすチサトの姿が展開された。
(デ、デート? この、チドリ先輩と!? 羨ましい! 羨ましすぎる!)
チサトは高嶺の花だ。社内の誰かと付き合っている言う噂はないが、それでもプライベートは謎に包まれている。
そのミステリアスさが元からある魅力を引き立てており、人気はイナビシだけに留まらず、武装警備員にも及んでいる。
チサトが広域オペレーターに昇格してまだ僅かの期間しかたっていないが、それでも骨抜きになる武装警備員は少なくない。
アサノは悔しさを紛らわすように、すこしだけ悪態をついた。
「それにしてもこの査定、面倒ですね。うちの直轄部隊をもっと増やせばいいのに」
直轄部隊は、チサトたちがいるイナビシの施設を守っている精鋭部隊だ。
外部会社ではないため査定をする必要も無ければ、武装警備員のような実力の不ぞろいもない。一見すると合理的な選択に見える。
だが、チサトの答えは否定だった。
「昔はそうだったんだよ? でもコストとかの兼ね合いでこの規模になったんだけど……。研修で習わなかった?」
「いえ? 研修のテキストにはそんな事は書いてなかったですが……」
「そうなんだ……」
それから無言で作業を続ける二人。しばらくして、チサトが何かに気づいた。
「あ、ごめん。そう言えば私も研修で習った訳じゃなかったんだ」
「どこで習ったんですか?」
「さっき言った先輩からだった」
「サクラダ警備の社長ですね。チドリさんが尊敬する人……でしたっけ? 歴史も勉強している人だったんですね」
「そうだね。巨人の肩の上に立つ、ってよく言ってた」
「どういう意味なんです?」
「自分よりも昔にいっぱい勉強した人がいるから、まずはその人の知識を学んで、その上を行くって事みたい」
「へえ。ずいぶん立派ですね」
アサノがその人物を褒めたためか、チサトは少し上機嫌になったように見える。
「実際、立派だったよ。大浸食でバラバラになった軍事研究とかをサルベージしていたし」
「例えばどんなやつですか?」
「戦闘時の人体生理反応とかかな? グリーンゾーンとかイエローゾーンとか」
「それって、ウチの直轄部隊が基本研修で習うやつじゃありませんでしたっけ?」
「そうだよ。そういうマニュアルを整備した凄い人だった」
「今は居ないんですか?」
「ちょっと。事故が遭ったりしてね……」
チサトが少し気落ちした。それだけでアサノの胸は罪悪感でいっぱいになった。少しでも罪の意識から逃れようと、アサノは多少強引に話題を変えた。
「さっきの歴史の話ですけど、チドリ先輩はどうやって勉強しているんですか?」
「文献のサルベージとかかなぁ……」
「うーん。ちょっと敷居が高いですね」
「最初は動画とかお勧めだよ。この頃だとクオリティ高い所もいっぱいあるし」
「例えばどんなところが――」
その後も、査定チェックなどが続き、彼らの仕事は遅くまで続いた。その間も、アサノの心から一時もチサトが居なくなる事はなかった。
(よし。帰ったら早速その動画をみて、話題を作るんだ)
邪念多めの決意を胸に、アサノは勉強に励むことにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
キャラ紹介
チドリ=チサト
才色兼備のオペレーター




