少女と学者とウラシェの生き物 前編
・世界観補完を目的とした技術解説と、人物掘り下げのサイドストーリーが主になります
・ストーリー上は読み飛ばしても問題有りません
〇???
黒曜の葉が茂る巨木の森が広がる。しかし、樹海と言うにはやや疎らな密度だった。
ぽつりぽつりと生える木立の中で、二機の人戦機が銃を構えている。肩と腰の大型装甲板がモノノフの大鎧を思わせる。それはシドウ一式という型式で、アオイとソウの愛機となっていた。
二体の内、軽機関銃を構えるシドウ一式がアオイの機体だった。
機体胸部コックピットで、半透明ゴーグル付きヘッドギアを被ったアオイが座っている。垂れ気味の丸目はそのままに、眉を寄せてゴーグルに映る画像を注視している。
アオイが視界には、疎らな巨木が映っていた。その奥に豆粒ほどにしか見えない赤い三つ目とそれを囲む敵性存在表示が映し出される。赤い警告を注視しつつ、僚機へ通信を入れた。
視界端の通信ウィンドウに半透明ゴーグル越しの三白眼が見える。
「アオイ。敵が来る」
「こっちでも捕捉したよ!」
いつもどおり平静で揺らぎのない声だった。それを聞いて、焦る気持ちも少し落ち着いてくる。
改めてゴーグルモニターに意識を移し、敵性存在表示を凝視した。
木立の向こうで揺らめくほんの小さな赤点。それが見る間に拡大される。
盾のような頭部が大地を跳ねる。
「敵は……軽甲蟻。いや、それだけじゃ」
群れる盾のような頭部はどれも同じに見えるが、かすかな違和感を覚える。
「あの個体だけ違う……?」
軽甲蟻に似た盾の様な頭部。だが、三対六脚の一番後方にある脚が異常に発達している。
「ソウ! あの個体、ちょっと変だよ!」
通信ウィンドウに映るソウが、舌打ちをした。
「訓練経験の無い攻性獣だ。行動パターンが予測できない」
「アイツ、多分跳んでくる!」
「何? だが、アオイも訓練経験は――」
そこまで言い掛けて、切れ長の瞳が鋭い光を帯びた。
「――いや、いつもの予測か」
「そう言う事! 足の形がウサギとかにそっくり!」
「ウサギが何かは分からないが、頼りになる」
「絶対じゃないよ?」
「それでも予想は有益だ」
銃口から伸びる青い輝線を、迫る未知の攻性獣に合わせる。
「このまま、射程に入ってくれればいいけど……」
息を呑みながら未確認型攻性獣の太い後ろ足を見守る。拡大された映像には、くっきりと陰影が付くほどに隆起した筋肉。
直後、爆発の様な土煙が巻き上がった。そこに巨影はない。
「消えた! でも!」
だが、予想に導かれながら視線を上へ向けると、灰色の空に黒い影が一つ。それを見上げていると、冷静な相棒の声が耳を打つ。
「やはり飛んだか。予想落下地点はここ。退避する」
「その後は、どうする?」
「オレが着地際を狙う。その間、背面の援護を」
「分かったよ!」
ソウ機と共にその場を離れる。
その後は、ソウ機が落下地点を向いて、自分は背中を合わせるように銃をそれぞれ構える。ポツリポツリと立つ巨木の間を抜ける影。視線の先で、軽甲蟻の群れが迫ってくる。
「さっき跳んだやつとの挟み撃ち……! 早く倒さないと!」
それらに青い弾道予測線を合わせてトリガーを引こうする時に、背後から轟音。
「落ちてきた!?」
視界端のリアビューには、土煙に紛れる跳躍型攻性獣と僚機の背中。サムライを思わせる肩部装甲板越しに銃火が灯る。
瞬き一つせずに応戦するソウを見ながら、信頼を込める。
「背中、任せたよ!」
「了解」
いつもの平静な声が頼もしい。
背後は気にせず、暗い木立に揺らめく赤い瞳を見つめる。青い弾道予測線を合わせてトリガーを引いた。
「いっけぇ!」
曳光弾の群れが赤い光剣と化し、木立の闇を引き裂いた。そのまま左右に照準を振って、迫る群れを薙ぐ。
「よし! このまま!」
最後の攻性獣が砕かれた瞬間に、銃弾も飛び散る甲殻も凍り付いたように動きを止める。
「目標の撃破成功。シミュレーションを終了します」
ゴーグルモニターが半透明の板に変わる。見えたのはいつもどおりのコックピット。直後、背後の頭上からガコンと駆動音が響き、光が差す。
出入口の奥に見えたのは、見慣れた格納庫の天井だった。
〇サクラダ警備 格納庫
ケーブルを伝って格納庫の床に降りると、既にソウがタブレット端末を見ながら戦果を確認している所だった。
険しく見える切れ長の三白眼ではあるが、こんな感じが平常運転と知ってからはそれほど気にはならなくなった。
恐らくは期待どおりの結果だったのだろうと安堵する。
「今回のスコア。中々よかったね」
「跳躍型の件、アオイの言うとおりだったな」
得意気な笑みと共に、アオイの口元が緩む。
「見ていれば、なんとなく分かるんだ。ああ、こんな動物と一緒だったって」
「アオイは比較元となった動物をどこで学習した?」
「それはね」
珍しく興味を持ったソウを見ると、身体から熱を感じた。思わず鼻息を鳴らし、指を一本立てる。
「不思議な生き物チャンネルっていう動画やネットチャットに参加しているんだけど、そこでは貴重な大浸食前の記録が流れていて、アーカイブをサルベージしたらしいんだけど、動物の紹介だけじゃなくて、この惑星の生物との比較とかとにかく内容が濃くて、コメント欄ではプロの学者じゃないかって意見もあって――」
「なぜ早口に? コミュニケーション効率向上のためか?」
燃え上がる意識に、ソウの冷たい声が浴びせられる。
冷静になって視界に飛び込んで来たのは、いつもより少しだけ冷ややかに見える切れ長の三白眼。
「……ウ、ウン。ソンナ、カンジカナー」
自分でも不自然すぎる声だったが、ソウが気にする様子はない。たまにイラっとする無関心さが、今は有難かった。
ソウが何事も無かったようにタブレット端末を操作し続ける。
「なんらかの教育機関で学習した訳ではないのか」
「ソウに借金するくらいだからね」
借金の額を思い出し苦笑いを浮かべていると、後ろから凛とした大人の女性の声。
「アオイ、ソウ。新しい任務だ」
振り向けば、サクラダ警備の作業服を羽織った胸元が見えた。
視線を上げると、すっきりとした顎のラインとバイザー型視覚デバイス、そこからはみ出る大きな傷跡が視界に映る。
サクラダ警備社長のトモエだった。
「研究機関からの依頼だ。二日後に開拓中継基地で待ち合わせる」
「へえ」
驚きが少しばかり漏れる。今までは開拓事業者の防衛で、研究機関からの依頼は初めてだった。トモエが二人を見て、少しだけ愉快そうに笑った。
「生物調査を護衛する」
「え!? 生物調査で研究機関ですか……! と言う事は……!」
「ああ。生物学者と一緒だ」
憧れの職業に同伴できる。気づいた時には思わずソウの手を握っていた。
「やったー! ソウ! やったよ!」
「何がだ?」
返ってきたのはいつもの平静な声。それを聞いて若干冷静になれば、トモエが苦笑いをしているのが見えた。
「あくまで任務だ。前日はしっかり寝ておけよ。楽しみにし過ぎて寝れない、なんてことは無いようにな」
トモエの苦笑いが、少しだけ優しい笑みになっていた。
〇黒曜樹海 開拓中継基地 共同休憩スペース
黒曜樹海の畔にある巨大なドーム状の建物に、今日も多数のトレーラーが出入りしている。ドームは各事業者が相乗りで利用できる開拓中継基地だった。
開拓中継基地の一角にある休憩スペース。長い黒髪が印象的な作業服姿の若い女性が、空のボトルを手にしていた。
眼鏡の向こうに見えるのは困り気味に垂れた眉と大人しそうな瞳。首から下げたIDカードにはサトミと書いてある。
困惑に顔を曇らせていたサトミだったが、決意を込めた顔で長い黒髪を揺らしながら歩み始める。その先には、給湯室前にたむろする強面の偉丈夫たち。
未知の化け物に挑むかのように、眼鏡の奥の瞳に力が入る。
「あの……」
「あ?」
荒くれ者たちが一斉に異分子へ険しく歪んだ顔を向けた。そのうちの一人が面倒くさそうに口を開く。
「なんだよ」
「……そこで水を汲みたいんですが」
男たちが少しだけ道を開けた。サトミはそそくさとその間を抜けて水を汲む。その様子を、不思議そうに見ていた男の一人が咎めるような声を掛けた。
「別に武装警備員専用って訳でもねえけどよ、なんでここを使っているんだ?」
「水は節約のため。ここで汲むのは待ち合わせ場所に近いからです」
怯えとささやかな反骨精神がサトミの声に乗った。生真面目そうな顔が、理不尽な質問への怒りに歪む。
そして、思わずと言った調子で振り返った。
「ここは公共の場所! 何を言われる理屈もないのでは!?」
言い切った後に、しまったとサトミが口を抑える。恐る恐る眼鏡の奥にある大人しそうな瞳を男たちに向けた。
男たちの眼光に威圧が籠っている。その意味を正確に理解すると、サトミの顔が恐怖に歪んだ。
「ひ!」
サッと振り返り、長い黒髪を揺らしながら足早にその場を立ち去った。
少し息が切れるくらいの早歩きを続けて、後ろに誰もいないことを確かめる。男たちに聞こえない所まで逃げて、溜めた文句をようやっと吐き出した。
「もう! 武装警備員って本当にガサツな人たちばっかり!」
怒りの籠った大きな足音とともに、廊下を抜けていく。
だが、それも徐々に小さくなっていき、肩も下がっていった。項垂れた顔から出てきたのは、特大のため息だ。
「でも、武装警備員に頼まないと野外調査できないんだよね……」
サトミの専門は生物学でウラシェの生物、特に攻性獣以外の生物の調査が専門だった。
「研究資金なんてロクにないから安い所に頼まないといけないし」
追加の溜息が漏れた。
「期待されてないってことなんだろうな……」
サトミの専門は主流から外れていた。
開拓に必要な生物工学や生物資源研究には資金が投入されていたが、地道な生物調査には資金は降りない。給料を自分の研究室に寄付をする有様だった。
「道楽かぁ……」
そう言って揶揄する者も少なくない。
楽しいし、いつか役に立つと信じている。だが逆風は辛かった。
倹約に倹約を重ねて、ようやっと調査ができる。調査に同行するための警備会社、つまり安全も価格重視で選ばざるを得なかった。
「安い所に頼んだら、変な人が来たしなぁ……。やったら慣れ慣れしい二人組だったし……」
見えてきたのは休憩室の入り口。恐る恐るドアを開けた先には、多数の武装警備員が居た。一斉にサトミを向く多数の瞳には、どれも戦う者特有の鋭さが宿っている。
「うっ……」
サトミの足が一歩だけ下がる。だが、生真面目そうな顔をより引き締めて、武装警備員たちの間を抜けた。
もう少しで休憩室端の席を取れそうだと思った時、喧嘩腰の男の声が耳を打った。
「おい。てめえ、なんて言った?」
サトミが振り返れば、武骨なパッドだらけの戦闘服を着た大男と、戦闘服を纏った少年が言い争っていた。
少年を見て目に付くのは、切れ長の三白眼にシャープな鼻と顎のライン。バランスは整っていて美形にも見えるが、近づきがたい印象が先に来る。逆巻く刺々しい髪が、拒絶感を助長していた。
少年は怯えも怒りも無く、ただ平静に切れ長の三白眼を大男へ向けた。
「そのアドバイスは、オレたちに取っては有益ではない。オレたちの戦闘スタイルに合わない以上、時間の浪費になる。そう言った」
「……の野郎!」
喧嘩を売っているとしか思えない態度に思わず呆れる。
「うわ……。さっきは私もあんな感じだったのかな……」
数分前の自分を思い出し、その無謀に引きつった笑いを浮かべるサトミ。
直後、少年の隣でアワアワと狼狽える気弱そうな少女に気がついた。垂れ気味の丸目に低い鼻。小動物のような平和的な印象を与える少女だ。
「あの子も武装警備員……? なんか、イメージと」
自分よりも更に場違いな少女を見て、戸惑いを浮かべるサトミ。その背後から、凛とした大人の女性の声。
「おい。ソウ」
サトミが振り返ると、目に飛び込んだのは青空色の作業服。視線を上げればバイザー型視覚デバイスと大きな傷がサトミの瞳に映った。
背後から元の平静な調子に戻った大男の声が聞こえた。
「アンタは……。じゃあ、こいつはサクラダ警備の?」
更に振り返れば、先程まで怒っていた大男が萎縮しているようにも見える。
「うちの部下が何か? 恐縮ですが、事情を伺っても?」
「ああ――」
大男がバイザーの女性に事情を話す。
その間に、サトミが隅の椅子へ腰かけた。汲んだ水に口をつけながら、事の成り行きを眺める。
長身の女性の眉が徐々に困惑に歪んでいくのが見えた。
「ふむ。どうも部下が失礼をしたようですね……。申し訳ない」
長身の女性が頭を下げる。それを見た大男が困ったように頬を掻いた。
「アンタほどの人に頭を下げられてもな……。むずがゆいというか。こっちこそ、すまなかった」
大男も頭を下げた。
大男からの畏怖を受ける様を見て、感嘆の息が漏れる。大男が去った後、気弱そうな少女が長身の女性に頭を下げていた。
「トモエさん、ありがとうございました。ほら、ソウも」
肘で小突かれた少年が、切れ長の三白眼を少女に向けた。
「だが、向こうが――」
「トモエさんが、代わりに謝ってくれたんだよ?」
「了解した」
少年が刺々しい頭を下げる。長身の女性は怒る訳でもなく、諭すように少年へ声を掛けた。
「ソウ。……率直なのはお前の美徳でもあるが、時と場合は選べるようになれ。今すぐにと言う訳にもいかないが、徐々にな」
「……努力します」
大男への態度とは打って変わって、少年がしおらしくなった。
(あら、意外と素直なのね)
少年の豹変をまじまじと見ていると、気弱そうな少女がバイザー型視覚デバイスを覗き込んでいた。
「トモエさん。それで今日の護衛対象ですけど、ここで待ち合わせでしたっけ? どんな人か知っているんですか?」
「ああ、事前に顔は調べている」
「じゃあ、どこに?」
長身の女性がこちらを向いた。
武骨なバイザー型視覚デバイスと傷跡が目立つ。しかし、よく見ればスラリと伸びた脚に鍛えた者特有の均整の取れた身体。顎のライン、唇、鼻筋のどれもが美しい。
同性から見ても溜息が出そうな造形に見惚れた時に、薄い唇から凛とした声が耳に届いた。
「今回の護衛を担当するサクラダ警備です。お見苦しい所に立ち会わせてしまい、大変申し訳ありません」
その一言に、胸の高鳴りは一気に鎮静化した。代わりに湧いてきたのは、ぐったりするような脱力感だった。
(今回は……外れね)
碌な調査にはならなそうだ。そう思いながら、サトミは頭を抱えた。




