第十八話:少女と伝説と激戦の予兆
〇黒曜樹海 開拓中継基地 休憩スペース
開拓中継基地の休憩スペースの一角。給湯室へ繋がるドアの前で、たむろしていた男たちの視線が、相対する中年男性に移る。
体格は偉丈夫たちに劣らない。整えられた顎髭、濃いもみあげ、フソウ人にして彫りの深い目元が、精悍さを醸し出していた。強者を思わせる風貌の中で浮いている、少年のようにキラキラとした瞳が印象的だった。
偉丈夫たちが畏まる。
「あ? ……え? あんたは?」
精悍な男は、その畏怖を当然の物として受け取っていた。逆立つ短髪を掻きながら、妙にとぼけた声を出す。
「俺の事を知っているのかな? それは光栄だけど、まずは開けてもらっても?」
「ああ、もちろん……です」
おずおずと道を開ける偉丈夫たち。精悍な男は優しく微笑んできた。
「ほら、君も今のうちに」
「は、はい」
二人で水を汲みながら、男に礼を述べる。
「あ、あの。ありがとうございます。えっと……」
言い淀んでいると、男が短髪を掻きながら不思議そうにキラキラした瞳を向けた。
「俺の事を知らないのか?」
「え? 初対面ですし」
それを聞いた男が、歳に似合わぬ悪戯な笑いを浮かべた。
「じゃあちょうどいい。五分だけ、ちょっと話を聞いてくれないかい? 適当に相槌を打ってくれるだけでいいんだ」
「え? いや、その……」
「そうだな。何か奢るから」
その時、腹の虫が再度鳴る。
「……あ! これは、その」
耳が熱くなるのを感じながら見上げると、男はにこやかに笑みを浮かべていた。
「よし! 買いに行こう!」
気づけば、あっという間に食品販売機の前に連れてこられた。呆然としていると、男がさっさと自販機で食べ物を買い進める。
「さあ。これでどうだい?」
差し出されたのはカレーのパックだった。戦慄きながら唾を飲む。
(こ! これは!? じゃがいもがいっぱい入った!?)
パッケージには、土壌で育てた高級じゃがいもがゴロゴロ、などと言う謳い文句が載っている。鼻腔をくすぐる香辛料も高級ならば、入っているバイオミートも高級。普段なら絶対に買えないご馳走だった。
警戒と食欲の天秤は、あっという間に傾いた。
「ご、五分だけなら」
気づいたら、食品販売機近くの席へ男と一緒に座っていた。
「いやぁ。なんだか悪いねぇ。知っている奴らには話し辛くて」
話を聞きながら、カレーから目を離せない意志の薄弱さを嘆いた。
(ボクのバカ!)
その一方で食指は勝手に動く。にこやかな男の視線を感じながら、食事を進める。
「それで、俺は武装警備員なんだが――」
そこからの話は他愛もないものだった。
男は武装警備員らしく、若い頃の志や、苦労などを一人で嬉しそうに語っていた。適当に相槌を打ちながら、スプーンに乗せたカレーを頬張る。
薄味のペーストとは比べものにならないほどの凝縮された、様々な食材の旨味が舌に広がった。
(美味しい! けど、なんだかホッとする味……)
初めて食べる高級品なのに、どこか懐かしい。身体に染み渡るような優しい滋味。それは、人類が母星の大地と暮らしていた頃の記憶なのかも知れないと思った。
(この頃、ずっとお腹が空いていたからなぁ……)
次々とスプーンを口に運び、まくまくと頬張る。
そのうちに、腹が満たされて自分の身体が軽くなるのを感じた。同時に、さっきまでの重苦しい気持ちも軽くなっている事に気づいた。
(そっか。ボク。疲れてたんだ……)
ふう、と一息つくと、男の口調が真面目なものに変わる。
「この頃、思うんだよね。頑張ってきたつもりなんだけど、本当に意味があったのかなって、ものすごく不安になる」
もう一人の自分の冷笑を思い出す。同時に、似た悩みを持つ者がいると知って、孤独の冷たさが少しだけ癒えた。
精悍な顔つきと歳を重ねた貫禄に不似合いな、少年のように純朴な瞳が見つめてくる。
「君もそういう時ってある?」
この人になら言っても大丈夫。なんだか、そんな気がした。
「ワタシもです。いつも不安で」
男は、何も言わず頷いた。
「色々考えているつもりでも、頑張っているつもりでも、周りから見たらそうじゃないんじゃないかって。もしかして、ワタシがいる理由は、ただの人数合わせなんじゃないかって……。みんないい人たちだから、今までみたいにひどい事は言われないけど……」
男が力強く笑う。そして、随分とはっきりとした口調で断言した。
「それはない。君には見どころがある。俺が保証する」
言葉自体は嬉しかったが、あまりにも根拠のない賛辞に苦笑いが出てしまった。
「会ったばかりですよ?」
「あのトモエが雇ったんだ」
言い当てられた恐怖に、さっと身を引いた。
「どうして? なんで知っているんですか?」
懐いてくれた小動物が逃げ出したように慌てる男は、みっともないくらい困り顔になった。
「そんなに警戒しなくていい。その制服はサクラダ警備の物だろう? 社長のトモエと古い知り合いってだけだ」
男の困り顔はどこまでも自然だった。
人を騙すとき、大抵は多動になるか、それを隠すためにあえて余裕の態度を取るはずと学んでいた。だが、目の前の男に取り繕う様子は見られない。
猜疑心が徐々に薄らいでいく。
(多分、嘘はついていない)
警戒を解くと、男が安堵の息を吐いた。
「信じてくれたかな? それで理由だが、アイツは人を見る目がある。アイツが雇うってことは、きっと君の中に何かを見ている」
自分は信じられないが、トモエは信じられる。それが元気を後押しした。
「随分とトモエさんを信頼しているんですね」
「それなりに長い付き合いだったからな。まずは君のできる事をやればいい。きっと周りが認める時が来る」
「……そう思う事にします」
まとわりついた重いネバつきが消え、身体に力が湧いている。
「なんだか気持ちが軽くなりました」
「それはよかった。心の泥は早めに吐き出した方がいい。そのうちにこびりついて、取れなくなる。ついでに美味い飯を食えば、最強だ」
まるで、最初からそれが狙いだったかのような物言いだった。
「もしかして……、自分が言いたかった訳じゃなくて、ワタシのために?」
「え? まさか? 俺が愚痴を言いたかっただけだ」
だが、男の目は落ち着きなく泳ぐ。頬には冷や汗も浮かんでいた。
(あからさま過ぎ!)
明らかな嘘に、思わず吹き出してしまった。
「分かりやすいですね」
「バレたか。昔から演技は下手でね」
「どうして、ワタシなんかのために時間をつぶしてまで?」
「困っていそうな人間を放っておけない。そういう性分なんだ。まるでガキみたいにね」
そう言ってはにかむ様子は、本当に少年のようだった。
その時、人影が床に写り込んだ。視線を上げて戸惑った。
「……え?」
鉄仮面のような頭部に首の部分も機構が見え、本来ならば肉がある部分まで食い込んでいる。袖から覗く手も機械化されていた。
(サイボーグ? まさか……アンドロイド?)
そして、異常さを感じさせたのが居住まいだった。
微塵も身じろぎをせず、不動を保っている。アンドロイドが出来たと言うニュースはないが、あまりにも人間離れした雰囲気を纏っている。
その人物が男に向かって話しかけた。
「こんなところに。時間まであと少しです」
「セイか。すまん、すまん。ついな」
「至急、搭乗準備を」
「分かった」
よっこいしょ、という掛け声と共に立ち上がる男。立ち去ろうとする男の背に、慌てて叫ぶ。
「あの! いつかお礼をしたいので名前を!」
「俺か? セゴエだ。トモエによろしくな」
振り返りもせずにひらひらと手を振る男。セゴエの背に深々と頭を下げた。そして、その名に引っ掛かりを覚えた。
「セゴエって……。どこかで聞いたような」
そして、サクラダ警備での日々を思い出す最中で、ソウとの誓いの日を思い出す。ソウが目標としている警備員の名前だった。
「あ! あのセゴエさん!? そういえば、自分の顔と名前を知っていて当然みたいな感じだったし、他の人の態度もそんな感じだったし」
思い出してみれば、大物でなければ取れないような対応がいくつもあった。その名を知られた武装警備員で間違いないだろう。
「……どうしよう、凄い人に悩みをきいてもらっちゃった」
思わず有名人に会って浮かれる。休憩所に戻る足取りはすっかり軽くなっていた。
休憩室に戻るとそこにはトモエが戻っていて、ソウと話し込んでいた。近づくとトモエが気づき、顔を向ける。
「アオイ。戻ったか」
「はい。トモエさん、さっきセゴエさんにあって――」
トモエは先程のエピソードを聞きながら、昔を懐かしむような笑いを浮かべた。
「相変わらずだな。あの人は」
「いつも、そんな事をしてるんですか?」
「ああ。後先考えない子供みたいな事もある。時間があれば挨拶をしたかったんだが、聞く限りでは邪魔になるか」
「そうかも知れませんね。……何かソウと話していたみたいですけど、どうしたんですか?」
「お前たちが見つけた遭難機だが、意外と早く身元が分かったぞ。どうも資源調査中に行方不明になったらしい」
「資源? あそこらへんって、何かありましたっけ?」
「人戦機の骨格にも使われるバイオストラクチャー合金があったらしい」
ソウが珍しく会話に割り込んで、トモエへ質問した。
「人戦機に使われる素材と言う事ということは人工物のはず。どうしてそれが、都市から離れた未開拓地に?」
「ああ、噴出したトレージオンによって作られたんだろう」
「トレージオン?」
「なんだ。ソウ。知らないのか?」
「ええ。知りません」
ソウの返答を聞いて意外に思った。トレージオンという物質は現代社会において必要不可欠で、相当な人生を送っていない限り聞いたことがある名前だからだ。
「そうか。トレージオンというのはな――」
その時、地震が一帯を襲う。かなり大きな地震だ。
「うお!」
「きゃあ!」
「ぐっ!」
揺れはすぐに収まった。
オロオロと周囲を見回していると、休憩所の各員が持つ携帯端末からけたたましいアラートが鳴る。端末画面を見た面々は、一様に喜色を浮かべた。
「うそだろ!? ついてるぞ!」
「お前ら! 出撃の準備だ! 他のやつらに遅れるな!」
熱に浮かされるような雰囲気があたりを包む。訳が分からず、トモエに答えを求めた。
「まさか。クソ。よりによってこんなタイミングで……」
だが、トモエから答えは無い。
誰よりも信頼するトモエの顔には焦りの色がありありと浮かんでいた。アオイには、ただその事が不安だった。




