第二十三話 少女と氷と光の洞窟
◯光晶空洞 建設現場 凍結区域
光晶空洞の天井は人戦機の丈を遥かに超す。高い天井の所々に、日の光が差し込む大穴が空いていた。
天から差し込む光によって、洞窟の中とは思えぬほどに明るい。差す光が洞窟壁面の光晶に反射して、あたりを照らしている。明るさを一層強めているのが、氷だった。岸壁はほとんどが氷に覆われ、しんと空気を引き締めている。
冷たく澄んだ空気を抜けた光が、二機の人戦機を照らす。見えた影は、大鎧をまとったモノノフに似ていた。それはサクラダ警備のソウとアオイの機体だった。
先頭のソウ機が、アサルトライフルを構えながら周囲を見回す。リラックスしているようにも感じる自然な動きで、しかし動作に無駄はない。キビキビと動くソウ機が止まる。頭部視覚センサーに、赤い瞳の輝きが映り込んだ。
直後、スピーカーから抑揚の薄いソウの声が洞窟の冷気を震わせた。
「アオイ、支援を頼む」
「わかったよ!」
ソウ機が敵集団へ突撃する。背後に備えるアオイ機が軽機関銃を構える。
「ソウ! 射線に入らないようにね!」
「了解!」
ソウ機が洞窟壁面へ寄り、中央を空ける。青く輝く弾道予測線が攻性獣たちに重なった。
「ターゲット補足! いっけぇ!」
トリガーを引くとともに、弾丸が軽甲蟻の群れを襲う。被せるようにソウ機のアサルトライフルが銃火を吹いた。
「そこだ!」
軽機関銃掃射の霰の中に、アサルトライフルの必殺の弾丸が混じる。ソウの射撃が、攻性獣の六脚を撃ち抜く。激しく動き回る節目を確実に狙ってだ。
「すごい!」
曲芸じみた射撃に思わず声が出た。
足を撃ち抜かれた軽甲蟻が、バランスを崩した。巨躯が転げ、柔らかな腹部が無防備にさらされる。通信ウィンドウに映る、切れ長の三白眼が、冷たい凄みを放つ。
「丸見えだな」
そう言って、ソウ機が跳ねた。猛烈な速さで浅い放物線を描く。転げた攻性獣たちを見下ろしながら、跳んだままにアサルトライフルの銃口を向けた。
「死ね」
攻性獣の腹から次々と黄色い飛沫が飛び散った。通信ウィンドウのソウが、さしたる感慨もなくつぶやく。
「命中率、想定どおり」
ソウ機が黄色の血霧をふわりと裂き、静かな音とともに着地する。
「視野内の攻性獣、すべて掃討」
今回の会敵も無難にこなせた。ふぅと一息をついて、辺りを見回す。敵影はなし。
「これで終わりっと。ソウ、お疲れ様」
バディを組んだ当初は噛み合わなかったリズムも、今は随分と心地よいものになっていた。ソウ機が一発ずつ攻性獣の死骸に弾丸を打ち込み、生死を確認する。
ピクリとも動かない死骸に取り囲まれながら、ソウ機が弾倉を交換した。
「想定どおり損耗も無し。順調だな」
「ボクたちの担当時間は……あともう少しかぁ」
いつの間にか、全身に疲労感が張り付いていた。ゴワゴワとした戦闘服に包まれながらの勤務は、ピンチが無くても中々に疲れる。
「ふぅ。ちょっと肩が」
コックピット内で肩を回すと、ゴキゴキと音がなる。ついでに首もほぐし、そのまま洞窟の奥を見る。氷が張り付き、キンと澄んだ空気だけが見えた。
「攻性獣たちも、こっちからしか来ないからやりやすいね」
「氷の壁のおかげだな」
ソウ機が向いた方には、一層分厚い氷の壁があった。霧をはらんだまま凍りついたような白のグラデーションの奥に、細長い物体が潜んでいた。
「奥に管っぽいのがあるけど」
「都市内のパイプに酷似しているな」
「でも、トレージオンが作った天然物なんだよね?」
「ああ、管束天樹につながるものらしい」
「管束天樹って、洞窟の上の山脈から生えているやつだっけ……?」
「そうだ。どうして疑問形なんだ?」
「いや……、その。あんまり覚えてなくて」
自分の記憶力の無さに苦笑いしつつ、湧いた疑問を口にした。
「じゃあ、あの氷の壁の中にある管は、木の根っこみたいな……? とは言っても、植物じゃないんだっけ」
「生物に分類されるかも不明だからな」
不明、不明、また不明。
ウラシェについてから、ずっと不明なことばかりだった。
「本当にこの星って、分からないことだらけなんだね」
「開拓が困難だからな。電波障害、雲、攻性獣。どれも阻害要因だ」
「でもさぁ、流石に入植してから数十年だよ? 本当は誰かが調べていて――」
背後から、興味津々といった感じのシノブの声が聞こえた。
「お? 何だ、アオイ。そういう噂話が好きなのか?」
振り返れば、サーバルⅨとファルケが歩いてくる。
「シノブさん、ということは」
「ああ、帰投の時間だぜ」
「ルートは一緒なんでしたっけ?」
「そうそう。まとめて帰った方が、いざっつう時に安心だろ?」
「それもそうですね」
「とはいえ、大体倒しちまったから、そこまで気張る必要もないけどな」
サーバルⅨが凝りをほぐすように首を回す。おそらくは中のシノブがそうしているのだろう。それからサーバルがファルケを向いた。
「じゃあ、帰りますか? イワオさん?」
「うむ。フォーメーションはいつもどおり。とはいえ、もはや気張る必要もあるまい。帰投ルートを送る」
モニターの端に表示されたマップを確認すると、矢印が道なりに続いていた。いくつかの分岐はあるが、どの分岐が続く先も氷の壁が表示されている。繋がっている道は建設基地以外には繋がっておらず、分岐からの奇襲の心配もなさそうだった。
「これなら、安心かな」
そう思いながらマップをチェックしていると、メインモニターに映るサーバルⅨが手招きをした。奇襲の心配はないとはいえ、一応は斥候のシノブが先頭を行く。
「うし。いくぞ。なんか聞こえたらハンドシグナルで知らせる」
シノブを先頭にして四機揃って歩いていると、ふー、と疲れのこもったシノブの吐息が聞こえる。
「で、アオイが話してたやつだけどよ」
答えてよいか迷った。
(索敵の邪魔にならないかな?)
が、イワオは何も言わない。おそらくは返答しても大丈夫な状況だろうと考える。
「開拓してても、何もわかっていない……ってやつですか?」
「ああ。そこらへんは色々と噂があるんだけどよ。実は最初の開拓団が色々と見つけているけど、それを秘密にしているとかな」
「なんでそんなことを?」
「なーんか、とんでもなくヤバいものを見つけたとかなんとか」
「ヤバいもの……ですか? それって?」
「さあな。そこまでわかってりゃ、さすがにうわさ話どころじゃねえだろ」
そこに、イワオの呆れた声が割って入る。
「シノブ。相変わらず与太話が好きだな」
「聞こえちゃうんですよねぇ」
「その噂も懐かしいな。ワシもイナビシの頃に聴いた」
「まぁ、イナビシが開拓初期の主要メンバーですからね。なんか知ってても、って思っても不思議じゃないと」
「やろうと思えばできるがな。所詮は与太話だ。確かめようがない」
「確かめられないっちゃそうですが――」
シノブの声が不自然に途切れる。なんだろう、と思って話しかけた。
「シノブさん?」
「わりぃ。少し静かに」
慌てて口を塞ぐ。同時に、ソウ機とイワオ機の視線もシノブへ向いた。シノブが耳を澄ましている時は、何かがある。
「キシキシ鳴ってるが……。壁? それに水の……」
「何か起こっているのかも知れぬな」
「イワオさん。どうします?」
「確認しよう。確認と対処は早めが定石。どこからだ?」
「あっちです」
「通りすぎた分岐か」
サーバルⅨの後を追い、来た道をやや戻る。見えてきた分岐を曲がると、洞窟とは思えない量の光が出迎えた。
「わぁ……」
そこには光の洞窟があった。両壁と天井は氷で出来ていて、空から振ってきた光が中を踊っていた。
「氷の通り道……」
光をたっぷりと含んだ氷の回廊を通り抜けていく。
「岩の洞窟に氷の壁ができた感じ……なのかな?」
疑問にソウが答えた。
「その可能性が高い」
「どうして氷ばかりになったんだろう?」
「流転氷原の寒冷期に成長したのでは?」
「ああ、こんなところまで……ってことか」
「そう推測される」
回廊をしばらく進むと、大広間に出た。
天井には蓄光結晶が散りばめられ、たっぷりと育った氷が下がっている。光を八方へ散らす結晶は、大広間を彩るシャンデリアを思わせた。
「すごい……。こんなのが、自然に」
「アオイ。置いていくぞ」
「ま、待って!」
もう少し見ていたかったと、後ろ髪に引かれながら部隊のあとをついていく。しばらく進んだ時、視覚センサーの直前に水滴が落ちた。
見上げれば、氷の天井がしっとりと濡れていた。所々から雫が垂れている。
「ソウ。なんかポタポタしてるけど、氷が溶けてきてない?」
「む。確かに融解している」
「なんだろ。気温の表示は……あれ? こんなに高かったっけ?」
「いや。任務中に比べ、明らかに上昇している」
何が起きたのだろうと困惑していると、通信ウィンドウにイワオが映った。元から鋭い鷹の目には、警戒の色が見える。
「お前たち。後退だ。ここはまずい」
「ま、まずいって?」
「後退しながら話す」
とにかく四機で洞窟を駆けていく。何事だろうと焦る中、通信ウィンドウにイワオが映った。
「でかしたな。シノブ」
「ここでやらないと基地に来る所でしたね」
イワオとシノブが何を話しているのか分からず、その意味をイワオに問う。
「これは、いったい? イワオさん、何があったんですか?」
「極比熱流体の流れが変わった」
「流れが変わる?」
「極比熱流体は覚えているか?」
「えっと、確か銀色の液体で――」
極比熱流体とは、多量の熱を蓄えられる液体のことだ。僅かに漏れ出る程度でも雪を溶かし、蒸気がもうもうと上がっていた事を思い出す。
しかし、極比熱流体は大抵の場合は低温だ。局所寒帯では、極比熱流体が周囲の熱を奪い、白銀と氷の世界を創っている。そんなことを思い出しながら、イワオの言葉に注意を向ける。
「流転氷原では、管を流れる極比熱流体の温度が変わる。そして、温度が変わったらしい。一気に高温になったな」
「え!? ということは、この洞窟の氷も!?」
「急速に溶ける」
周囲を見回すと氷の壁が溶け始めていた。ぬらぬらと濡れて透明度が増した氷の奥には、今まで塞がれていた通路が見える。
今までは道を塞いでいた氷の壁も、溶けて消えるだろう。そうすれば、何が起こるのか想像がついた。
「イワオさん! 色々と通れるところができるってことですか!?」
「うむ。攻性獣たちの侵入経路が変わるぞ」
「だから下がらないと……!」
「挟まれる。急ぐぞ」
喋りながらも四機で駆け続けた。そして、もと来た分岐点を抜ける。
「ここなら、不意をつかれることもあるまい」
イワオのつぶやきと共にファルケが止まる。
「どうしてここに?」
「時間がある……か。まずは自分で考えてみろ」
「う。分かりました」
キョロキョロとあたりを見回すが、なぜここかは分からなかった。通信ウィンドウの中から、鷹の目がこちらを見ている。
「分からぬか」
「その! ……すみません」
「打ち筋を解説する。覚えておけ」
「は、はい!」
「ここは岩壁に囲まれている。氷壁の溶融によって奇襲を受けることもない」
「なるほど……」
「そしてここは分岐路の手前。左右から来る攻性獣が滞る」
「そこを狙い撃てば」
「うむ。殲滅できる。万が一抜かれそうになっても、先程の広間まで戻れば良い」
「さっきの……。シャンデリアみたいな氷があるところですか?」
「うむ。……そろそろ来るか。皆、フォーメーションは良いな。ワシはサブマシンガンで行く」
ソウとシノブ、イワオが前衛になった。射線を遮らないように三機が膝立ちで銃を構える。三機の後ろで、軽機関銃を構える。銃口から伸びる弾道予測線がファルケのすぐ脇を抜けた。
「来るぞ」
イワオの声とともに攻性獣の足音が洞窟に反響する。雷とも錯覚するような低く響く音が、徐々に大きさを増す。
轟轟と殺到する響きが耳から溢れそうになる頃、洞穴の奥に赤い目が無数に見えた。通信ウィンドウにイワオの顔が映る。
「ひきつけろ。その後は派手に行け」
「派手に……ですか。地下鉄道内を思い出して、ちょっと怖いです」
「ここの岩壁は銃弾程度では崩れない。爆発物を打ち込むような真似をしなければ大丈夫だ。それより、出し惜しみをしてやられるような真似はするな」
「わ、わかりました」
ゴクリと唾を飲みながら、合図を待つ。
片膝をついたファルケは、まだ片手を上げたままだった。その、待ての合図をぎゅっと見つめながら、タイミングを待つ。
一方でゴーグルモニターには、無数の敵性存在表示が映っている。視界を覆う赤い表示が、不安を掻き立てる。胸が締め付けられるようだった。
緊張の圧に逆らうように、わざと大きく息を吸って腹に溜め終わった時。
「撃ぇ!」
ファルケの手が振り下ろされる。同時にトリガーを握った。
曳光弾の赤い輝きが、壁面を照らしながら奥へと消えていく。前衛三機の銃口からも、閃光と弾丸が飛び出る。まず銃声が、次いで甲殻を砕く高い音、最後に肉を穿つ鈍い音が響いた。
「次は! あれを!」
メインモニターに映るガイドが次に撃つべき敵を、つまり近い敵を知らせる。迫りくる攻性獣の群れを、順々に削っていく。
特にひやりとすることもなく、最後の個体が黄色い血を吹き出して力尽きた。
通信ウィンドウにイワオが映る。
「よし、弾倉交換。シノブは索敵も継続」
「りょうか――」
不自然にシノブの声が途切れた。斥候役が会話を打ち切って集中する意味はただ一つだった。隊をまとめるイワオが、その詳細を問う。
「シノブ、何があった?」
「なんか、後ろから変な音が」
「変な音?」
「低くて響くような」
「攻性獣の足音か?」
「いや。ちょっと違って……」
サーバルⅨが後ろを振り返る。皆もそれに倣った。サーバルⅨの頭部に生えている大耳のようなセンサースロットがピクピクと動いている。
「壁? いや、なんだ? 何が?」
「ワシが見よう」
ファルケの頭部装甲が、くちばしを広げる鷹の如く開いた。透明シールドに収まった観測カメラが音を鳴らしながら駆動する。
その間も地面からかすかな揺れが伝わってくる。最初はカタカタとした僅かな揺れが、徐々に勢いを増していく。
嫌な予感が胸を騒がせた時、イワオが声を上げた。
「あれは!」
次回も1~2週間後の更新です。




