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ももとせのちの  作者: 山口 にま
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我が讐敵

 玲二は桜子を前世へと導くため、意地の悪い質問をしてみた。

武富たけとみ わたるを覚えている?」

武富、武富。その名前を反復すると、桜子の腹はマグマのように沸き立って来た。

「忘れぬものか」

テーブルに置かれた彼女の手は震えている。東京地裁の武富済検事こそスガ達社会主義者を弾圧した蝶本人である。

 

 スガと武富検事は悪い因縁で結ばれていた。

 明治四十一年、社会主義者たちが路上で赤い旗を振り回したと言う理由だけでスガを含む十四人が逮捕され、大杉栄、荒畑寒村ら九人が一年二カ月から二年半の実刑を言い渡された。所謂赤旗事件である。赤旗事件でスガの取り調べに当たったのが鬼検事として鳴らした武富済だった。スガは四十七日に渡り勾留され、無罪判決を受けたが、勤務先の毎日電報は解雇になった。

 その翌年、千駄ヶ谷平民社で病臥していたところをスガは新聞紙法違反で検挙され、四十五日間東京監獄に収監された。その時に取り調べに当たったのも武富検事だ。スガは釈放されるも四〇〇円という莫大な罰金を科せられた。当時の官吏の初任給の八カ月分である。

 さら翌々年の明治四十三年、大逆事件で逮捕されたスガが取り調べ室で向かい合ったのも武富検事だった。スガは武富に投げつけるため手元の灰皿を手繰り寄せ、彼への供述を断固拒否した。その時の調書が残っている。


 「(赤旗事件)当時未決監在監中、憎むべき吾讐敵武富検事を殺さずんば止まずと決意し、もし革命運動を起こす際には、第一に貴官(武富検事)の頭へ爆裂弾を自らなげうたんと覚悟しました」

と大変な剣幕である。武富済は明治天皇と共に国家権力の象徴だ。たおさねばならぬ。

 

 武富検事への恨みを思い出した桜子は氷だけになったアイスティーのグラスを掴んだ。それを投げつけられたらたまらない。玲二は桜子の手に自分の手を重ね、彼女を押さえ込む。もう片方の手で桜子からグラスを取り上げた。

「革命が起きたらまっさきにあいつをやっつけてやりたかった」

桜子は完全にスガになっている。興奮して目を血走らせている様は脳病でヒステリーだったスガそのものだ。

「ねぇ教えて。誰か武富にかたきを討ったかしら」

「残念ながらそれはないね」

「大杉君もやってくれなかったの?」

桜子は暴れん坊だと言われていた大杉栄の名前を出す。

「大杉栄はスガが死刑になった十二年後に殺されたよ。甘粕正彦という憲兵に」

「そういえばそうだったわね。本に書いてあった」

「甘粕の弁護に当たったのが、検事を退官し弁護士になった武富済だ」

 

 桜子はかっと目を見開き、

「何だって!武富の奴は甘粕をどう弁護したんだよ」

「武富はこう言ったよ。赤旗事件や大逆事件を起こした社会主義者達は乱暴で、酷い者は留置場内で放尿までした。彼らは天皇を否認し、天皇や国家政府の奴隷である役人の取り調べを受ける義務がないと放言した。大杉栄はそのような社会主義者の一人であったことを留意して欲しい。大杉夫妻は無政府主義を奉ずる者であり、しかも日本における巨頭として大勢力を有した者だ。国家の公敵として一日も存在を許すべからざる者と、国民らの認める大罪人だ、と」

一日も存在を許すべからざる者、国民らの認める大罪人。これ以上死者を貶める悪口あっこうがあるだろうか。

「あいつは、甘粕が大杉君を殺してくれてよくやったと言いたいのか」

桜子は椅子を蹴って立ち上がると、玲二の部屋を出ようとする。

「どこに行くの?」

「武富済の墓を暴く!あいつは火葬か?土葬か?火葬ならば遺骨をごみの上にばらまいてやる。土葬ならばその遺体を切り刻んでやる!」

「そんな・・・・武富の墓は知っているの?」

「ああ、知っているよ。多磨霊園ってところだろう」

「今からじゃ無理だよ」


 夜に墓場など行かせられない。しかも今の桜子ならば本当に墓に毀損行為をしそうである。玲二は桜子の肩に手を置いたが、桜子はその手を振り払い、玄関で靴を履いた。玲二は後ろから桜子の胴に腕を回し、彼女を引き留めた。桜子は女とは思えない力で玲二の腕を自分の胴から外した。

「君を傷つけて悪かった。だから出て行かないで!」

玲二はいつしか桜子を抱きしめていた。玲二の胸の中で桜子はもがき続け、

「今度こそ絶対に革命を起こす。でなきゃ生まれ変わった意味がない。革命だ、革命!」

と前世の報復を誓う。玲二は桜子の怒号が近隣に聞かれるのではないかと気が気ではない。


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