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ももとせのちの  作者: 山口 にま
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ソフィア・ペロフスカヤ

 前世療法は桜子を疲弊させた。彼女は早い時間にベッドに入り、眠気が訪れるまでスマートフォンで「兵藤カウンセリングルーム」のサイトを眺めて過ごした。桜子はサイトに貼り付けてある動画を一つ視聴してみる。玲二は切れ長の目で微笑みながら視聴者に語り掛けた。

「原因があるから結果がある、それがこの世のことわりです。あなたの悩みの原因が生まれる前にあるとしたら?私,兵藤玲二と一緒に生まれる前のあなたに会いに行きませんか?大丈夫、あなたならば過去のご自分ときっと会えますよ」

顔はまあまあだけど声はすごく綺麗、桜子が玲二に持った印象だ。


 今一緒に住んでいるのは本当のお父さんじゃない、桜子には分かっていたことだ。それなのに彼女は本当の子のように振り舞っていた。母親が理想とする家族を演じたかったからだ。桜子は見事に演じ切り、自分の感情さえも演じることが出来た。玲二の声に導かれ過去に戻る草原を歩いていると、継父から背を向けられている幼子と出会えた。幼少期の自分だ。


前世への扉の向うにあったのは、明治期の大阪だった。周囲の人たちは和服である。裕福だった子ども時代。しかしそれは父親の事業の失敗で長くは続かなかった。

 次に桜子が見たイメージは自分にのしかかってくる中年男の顔だ。男は酒臭い息を吐き、自分の膝を少女の足に割り入れた。少女はまだ十代で男性を知らない。自分の貞操を守るには幼く、あまりに非力だ。声の限りに助けを求めても家族は不在で、いきなり家に押し入ってきた男の欲望の餌食となるだけだった。 

 少女は男に犯されながら、痛みと屈辱の為にいつしか気絶していた。帰宅した家族が見たのは、衣服を乱して失神していた少女だった。

「家族がいない時に男を連れ込んで。なんて汚らわしい女だろう」

継母は口を極めて少女を罵った。連れ込んだんじゃない、押し入られたんだ。少女のそんな抗弁を継母は勿論実父でさえ耳を貸そうとはしない。

「だいたいあんたに隙があったんでしょ。いつかこういう事になると思っていた。あんたがだらしがないから」

自分の何かが男を刺激したのだろうか。見知らぬ中年男に貞操を奪われた。こんな恥ずかしいことは誰にも言えない、少女は自分の受けた暴行を胸にしまった。

 ある日、自宅に入ろうとした少女に、隣の長屋に住む女性が声をかけた。

「ねぇ、この前の夜、男の人が家に来ていたよね?」

あの時の事を言っているんだ、少女は身構えた。女性は声を潜め、

「あの男の人、お継母さんの知り合いなんだよ」

その言葉は少女に衝撃を与えた。継母はあんたが連れ込んだとか、あんたに隙があったなどどことさら少女の落ち度のように言い募ったが、実は継母の計略であったのだ。少女が物を言えないでいると、隣家の女性は気の毒そうな顔をして自分の家に入った。


 千駄ヶ谷の新聞社兼政治結社に集った彼女と二人の男性はある陰謀を企てていた。

「あなたはソフィア・ペロフスカヤみたいだな」

そう彼女を称するのは六歳年下の忠雄だ。追従だと知りつつ、彼女はまんざらではない。ロシア皇帝、アレクサンドル二世の暗殺で重要な役割を担ったソフィア・ペロフスカヤは彼女にとってあこがれの女性だ。もう一人の男は身長が百四十センチ程の背が低い青年だ。顔も子どものようであるが立派な二十四歳である。彼らは精神的指導者であり、政治結社代表の男を計画に加えるか話し合った。彼女は言う。

「あの人は加えないわ。全然やる気がないし」

二人の男も彼女の意見に同調した。三人はあみだくじで陰謀実行時の順番を決めた。信州の同志は千駄ヶ谷に来られなかったので、彼の分は彼女が引いてやった。


 次の記憶は冬の朝である。彼女は三畳ほどの独房にいる。小さな文机に向かい、手記をしたためようとしていると看守が呼びに来た。彼女の気持ちは落ち着いていた。すでに辞世の句も書いてある。

 

やがて来む終の日思ひ限り無き生命を思ひほゝ笑みて居ぬ

 

死ぬのは怖くない。それどころか自分を捧げることにより革命が近くなることを彼女は信じていた。多くの死刑囚が看守に引きずられるように絞首台に上るのに、彼女の場合はなんら躊躇なく一人でその階段を上って行き、看守が急いで追いかけると言った塩梅だった。

 階段を上り切り、顔に目隠しをかけられると、彼女は声高らかに宣言した。

「革命万歳!我、主義に死す」


 桜子は目を覚ました。レースのカーテンを開けると朝日が部屋を満たした。白い壁紙、白い家具、ピンクのベッドカバー、いつも通りの朝のはずなのに、昨日の朝とは違う。いや、世界が変わったのではなく、自分自身が変わってしまったのだと桜子は思った。

 ダイニングでは父親が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。

「おはよう」

桜子は落ち着いた声で朝の挨拶をした。父親はその声を意外に感じ、新聞から顔を上げて娘を見た。普段の朝ならば桜子はもっと高校生らしい快活な挨拶をしていたはずだ。しかし桜子はもう嘘はやめたいと思う。互いに血のつながりがないのに、本当の親子のように振舞ってきた。それも昨日で終わりだ。父親も「おはよう」と静かな声で応えた。

 桜子は自分でパンをトーストし、ヨーグルトを器に盛った。父親が読んでいる新聞は毎日新聞だ。毎日、毎日、その字が桜子の眼を捉えた。生まれる前の記憶がまた一つ蘇って来た。

 

 私はここの新聞社で働いていた。

 


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