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ももとせのちの  作者: 山口 にま
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千駄ヶ谷平民社

「勉強会に来ませんか」

軍学共同研究会で知り合った女子学生、伊藤夏央は丁寧なメールを寄こした。勉強会と言ってもそれは名ばかりで、彼らは抗議活動の計画の為に集まりたいのだ。夏央たちは防衛省の補助金受給が決定した大学や研究所前で座り込みや街宣活動をするつもりだった。


 桜子も軍学共同には反対だ。どこの学校も研究所も研究費不足で苦しんでいる。国家が奨励する学問には金を与え、そうでなければ知らんぷり、それでは研究機関は国におもねるしかないではないか。

学問・思想は国家からの干渉を排除せねばならない。それが桜子の、いや管野スガの想いだ。

 

 桜子は、スガが生きていた千駄ヶ谷平民社時代の窮状を思い出す。

 巣鴨の平民社は度重なる警察の監視を受け、大家から立ち退きを迫られた。スガが千駄ヶ谷で見つけて来たのは自殺者が出た事故物件だった。広い割には家賃が安かった。

 秋水は妻の千代子に離婚を言い渡し、スガが千駄ヶ谷に住み込むことになった。千駄ヶ谷でも警察の監視がついてまわった。警察は平民社前に天幕を張り、出入りする全ての者の帯や足袋の中まで調べるような有様である。平民社を訪れる者は誰もいなくなった。たまに来るのはスガと秋水との不倫ともいえる関係をなじりに来る元同志だけだ。スガは赤旗事件で拘留されたことが原因で勤務先の毎日電報を解雇されていた。


「新しい雑誌を作りたいんだ」

秋水はスガに持ち掛ける。

「無政府共産主義思想を宣伝し、全国の同志への連絡機関誌になればと思ってね。名前は『自由思想』っていうのはどうだろうか」

編集発行人・管野スガ。責任も政府からの弾圧も全てスガが被ると言う意思表示だ。スガは口には出さぬまでも、『自由思想』こそが秋水と夫婦であることの証明のように感じていた。


『自由思想』第一号冒頭で秋水は高らかに宣言した。

「習俗的伝統的迷信的の権威に縛られず唯一の判断者として自由思想をもって進みたい」と。「習俗的伝統的迷信的の権威」それは天皇に他ならない。秋水は社会主義者としてはっきりと天皇に否を突き付けたのだ。

 第一号二号とも新聞紙法違反として発禁処分を受けた。事態はそれだけに留まらず、肺結核で病床に伏していたスガが検挙された。

 スガは赤旗事件で四十七日間勾留されて以来、再び東京監獄に逆戻りだ。新聞紙法違反では四十五日後に釈放されるも四百円という高額な罰金を科された。当時の官吏の初任給が五十円であることを考えると彼女に課された罰金がいかに法外なものか分かるであろう。

『自由思想』発禁と罰金でもはやスガも秋水も追い詰められていた。新たな発禁を恐れた出版社は秋水に著述の注文をしなくなり、彼も生活の糧を失った。夫婦は餓死をも迫る困窮生活を送っていた。

 信州の社会主義者、宮下太吉が持ち込んだ爆裂弾による天皇暗殺計画に、スガも、やがて秋水も傾くようになって行った。


  軍学共同研究会学生部は、防衛省から補助金を受ける企業前で街宣活動をすることにした。この会社は、銃弾を貫通させず、爆風の高熱にも耐える多機能ナノファイバーの開発をしている。戦闘服にはもってこいの素材だ。自らは最大限の防御をした兵士は、丸腰の市民に銃を向け彼等の家屋を焼き払う、それが戦争だった。

「桜子ちゃんも来てよ。人数が多い方が相手に脅威を与えるから」

夏央は桜子を誘う。源治郎は「歌子たちと付き合うな」と言うが、自分を一番に考えてくれない男が桜子の主義主張に口を挟む権利はない。

八月下旬、学生部のメンバーは午前八時から企業前に集まり、通勤途中の社員や、通りかかった会社員たちにアピールだ。気温はすぐに上昇し、桜子は何度も額の汗を拭う。

「国は学問に口を出すな」

「研究者を戦争に協力させるな」

「自分たちの研究結果が人殺しに使われて嬉しいか!」

「学生はこんな企業に就職するな」

「障がい者支援のスポンサーを降りろ」

学生部主催の抗議活動であったが、集まったのは学生ばかりではなく歌子も来ていた。

「横断幕を持って頂戴」

歌子は桜子を抗議団前列に呼ぶ。その横断幕には「軍学共同絶対反対!戦争協力はしないぞ!」書かれていた。

「目立つことをすると源治郎さんがうるさいんですよ」

「あら、そうなの。あの人は頭が固いわね」

桜子は抗議団の後ろで声を上げるに留めた。


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