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ももとせのちの  作者: 山口 にま
34/65

私で良ければ

 翌朝桜子は二日酔いで目を覚ました。おまけに寝不足だ。外は台風一過で雲一つない快晴である。源治郎の「ごめん」が胸に引っかかり桜子は未明まで輾転反側した。謝るとは愛情がないのに桜子に触れたという事か。彼女はしばらくベッドの中でだらだらしていたが、恭平との約束を思い出し、布団から這い出た。合格祝いにイタリアンレストランのランチに連れて行ってくれると言うが、美味しい物は昨日散々食べて、打ち明け話までして、キスまでされてしまった。もはや恭平と会う理由がない。

 化粧を終えた桜子はシーズン初めに一目ぼれして買った濃い紫のノースリーブワンピースを手に取るも、今夜も湊でバイトである。着飾ったなりで現れたら、日中男と逢ったと源治郎に勘づかれてしまう。結局桜子は普段の通学着であるカットソーとロングスカートで出かけた。


 桜子と恭平は日比谷で待ち合せた。

「おめでとう!」

恭平は小さなブーケを手に駆け寄って来た。昨夜の裏切りを露とも疑っていない。桜子は恭平の顔を見ることが出来なかった。

 恭平は高層階にあるレストランに桜子を導いた。彼は桜子にシャンパンを勧めたが、桜子は「これからバイトだから」と断り、リンゴジュースを頼んだ。

「桜子が他大に行きたいって言いだした時は実現不可能な夢だと思ったけれど、その夢を実現させるとは。桜子は凄いよ」

「ありがとう」

その夢の背後には多くに人物がいる。源治郎、佐々木、そして実際に編入を勧めた玲二だ。桜子は結局一度も恭平に進路を相談しなかった。

「直接おめでとうが言えて良かった。結果が来週だったら俺はイギリスだ」

恭平は来週大学主催の語学研修に旅立つのだ。


 食事を済ませ、軽くカフェでおしゃべりをしたらもう桜子のバイトの時間になる。暫く会えなくなるのだ、恭平には昼間のデートは物足りない。

「明日、バイトの後会えないかな?」

恭平は誘った。湊のバイトは午後九時に終わる。バイト後に会うという事は一晩中一緒にいたいと言う願いに他ならない。桜子の唇にも体にも源治郎の感触が残っていた。

「親が何て言うか」 

桜子は遠回しに断った。

「俺、不安だよ」

冷房の効いたカフェで恭平は自分の気持ちを吐露する。

「桜子の勉強が忙しいから碌にデートも出来なくって、やっと時間が出来たと思ったら今度は俺がイギリスに行くことになって」

大学に入ってから桜子は変わってしまった。恭平に相談もなく何でも決めてしまう。バイトも、子ども弁当のボランティアも、編入試験も。

「俺はもっとゆっくり桜子と過ごしたいんだ」

「じゃあ火曜日の夜は?火曜日ならば午後から空いているわ」

桜子は妥協案を出す。

 恭平は桜子を見据え、

「俺に隠し事してない?」

「隠し事?何にも」

桜子はへらへら笑いながら軽薄に答える。

「昨日連絡が付かなかったけれど、どこにいたんだ」

「金曜日はいつもバイトだよ」

「台風なのに?」

「うん、雨が収まるまで店にいさせてもらった」

「ふうん。一度桜子のバイト先に行ってみたい。桜子の働く姿を久しぶりに見たいな」

「狭い店だから来ないで。私そろそろ私行かないと」

桜子は席を立つ。恭平も伝票を掴んで桜子に続く。

「バイト先まで送って行く」

恭平はごねたが、一緒にいるところを佐々木に見られて源治郎に言いつけられたら目も当てられない。途中のターミナル駅で恭平を追い払うように「ここでいいわ」と別れを告げる。恭平が唇を寄せて来たので、仕方なく唇を許した。固くてただ押し付けて来るだけの口づけだった。恭平から貰ったブーケは紙の手提げに入れて決して外から分からないようにした。


 ではバイトが楽しみかと言ったらそうでもない。昨日の今日だ。源治郎とどんな顔をして会っていいのか。桜子は湊の前で足が竦むも、大きく息をして、

「おはようございます」

と扉を開ける。

「おはようっす」

佐々木の威勢のいい声の後、いつものように「おはよう」と源治郎が挨拶をする。桜子はなるべく源治郎を見ないようにしてエプロンを付けた。幸い土曜も日曜も客の入りは良く、桜子は私情を挟む余地もない。桜子は仕事以外では源治郎に話しかけなかった。

 

 日曜午後九時、閉店前に桜子はバイトを終える。

「お先に失礼します」

挨拶をして湊を出ると、源治郎が外まで追いかけて来た。

「あ、あのさぁ」

大杉栄もかくやと思うほどどもりながら、

「と、友達がビストロをオープンしたって言うんで、お祝いがてら、い、行ってやりたいんだよ。一人で行くのもなんだし、で、できればあなたと・・・・」

しきりとジーパンの腿の辺りをこすりながら言った。桜子は張りつめていた緊張の糸が切れて笑い出してしまう。一頻り笑った後、「私で良ければ」と返事をした。


 定休日の水曜日、源治郎は桜子を外食に連れ出した。ある時、桜子は本音を漏らした。

「よそのレストランよりも源治郎さんの料理の方が美味しい」

次の定休日には源治郎は営業していない湊に桜子を招き、手料理を振舞った。


 定休日の度に、桜子と源治郎は自然と二人で過ごすようになった。

「俺だって洋食ぐらい作れるんだぜ」

得意げに源治郎が出したのはひき肉をふんだんに使ったポロネーゼだ。

「すごく美味しい。パスタがもちもちしている。レストランの味みたい」

「生パスタで作ったんだ」

二人は湊の座敷で向かい合い、食事を楽しんだ。その時テーブルに出したままの桜子のスマートフォンが鳴った。源治郎の視線が電話の画面に注がれる。電話をかけて来たのは恭平だった。桜子からイギリスにいる恭平に連絡することはない。冷淡な桜子に痺れを切らした恭平がユーラシア大陸越しに桜子を呼んでいるのだ。桜子は通話拒否にしてマートフォンを鞄にしまった。

「出なくていいの?」

「用があったらまたかけてくるでしょう」

桜子はそっけなく答えてパスタを口に運んだ。


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