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ももとせのちの  作者: 山口 にま
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大切な顧客

「じゃあお言葉に甘えて」

「でも少し遠いですよ」

二人は地下鉄で新宿に出て、山手線で上野に向かい、更に埼玉方面の地下鉄に乗り換えた。確かに遠い。


 「ここなんです」

桜子が案内したのは、足立区内にある赤ちょうちんの居酒屋、湊だ。壁に「子ども弁当やっています!子どもは無料 大人三百円」と書いたポスターが貼ってある。

「ここの焼き鳥丼が美味しいんです」

桜子は勝手知ったる様子で暖簾をくぐる。玲二も後に従った。

「桜子ちゃんじゃないか!久しぶり」

二人の男が同時に声を上げた。

「こんばんは。今日はお客さんとして来ました」

源治郎は桜子の後ろに玲二がいるのを認めると、

「座敷を使っていいよ」

と座敷にメニューとおしぼりを置いた。桜子は座敷に上がるとキャメル色のコートを脱いだ。紺色のワンピースと赤ちょうちんの店がなんとも不釣り合いだ。

「ここでボランティアをさせて貰ったんです」

桜子は状況を飲み込めずにいる玲二に説明した。

 桜子は焼き鳥丼を、玲二は鉄火丼を注文した。源治郎が料理を座敷まで持ってきた。

「ご無沙汰しちゃって」

桜子は頭を下げる。

「大学は決まったの?」

「はい、付属の生活科に行くことにしました。大学生になったらまた子ども弁当のお手伝いをしてもいいですか?」

「勿論」

「出来ればバイトもしたいな」

「ここで?大歓迎だよ。特に週末が忙しいんだ」

「私も週末が都合がいいです」

「じゃあ待っているよ。ところでこちらは彼氏かい?」

源治郎は聞いた。

「違うんですよ」

「違います」

二人は同時に否定した。


 源治郎が厨房に戻った後、桜子は声を潜めて、

「あの店長さんにも言われたんです、管野スガみたいだって」

自分以外にも桜子の前世を言い当てた者がいるのか。玲二は吃驚するが、同時に桜子がスガ並みに何かのテロや破壊活動をしたのではないかと怪しむ。

「何で彼はそんなことを言ったんだろうね」

玲二が聞くと桜子はさっと顔を赤らめ、

「そ、それは聞かないで下さい」

と狼狽えた。

 

 この焼き鳥丼は靖国神社前で源治郎の手引きで警察から逃げ切り、その後に食べた味だ。今日改めて口にすると、戦争賛美デモへの怒り、追手から逃れたことの安堵、源治郎への感謝、暴力行為を犯してしまった後悔、色んな感情が蘇ってくる。

「荒畑寒村って言う前の旦那さんが、自伝で私の悪口を散々書いていますよね。私が文学者のお妾だったから、大した才能もないのに新聞記者になれて小説も発表出来たとか」

桜子は眉をしかめる。

「それ、僕も読んだよ。スガの事をその道のヴェテランとか、言いたい放題だったね。死体に口なしだから」

「寒村以外も私を悪く言う人が多くて。私が文学の先生と決別したのは、異父兄と男女の関係になったことを先生に知られたからだと」

「違うよね。文学上の師匠であった宇田川文海は日露戦争容認派だったけれど、スガが反戦小説を発表したから関係がこじれたんだよね」

桜子は玲二がスガについて精通していることに驚く。

「スガの事を調べてくれているんですか?」

「そりゃそうだよ、桜子ちゃんの前世だもん」


 桜子は著名なテロリストの生まれ変わりだ、彼女へのカウンセリングを重ねたら前世の存在を証明できるかも知れない。そういう意味で桜子は玲二にとって大切な顧客であり被験者であった。

「今後も催眠療法を続けるんですか?」

桜子は聞いた。

「どうだろう。ありがたいことにお客さんは来てくれるけれど、催眠療法なんて所詮は無資格で出来るセラピーでしょう?大学院に行って臨床心理士や公認心理師の資格を取りたいんだ。その資格で勤務するかも知れないし、開業するかも知れない。いずれにせよ心理職に就くつもりだ」

「玲二さんならば向いていると思います」

「二十一世紀、未開の地は消滅している。未だに解明されていないのは人の心だけだ」


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