爆弾のとぶよと見てし初夢は
「もう少し草原の道を歩いて行きましょう。あなたの前にドアがあります。見えますか?」
「見えます」
「そのドアの向こうがあなたの前世です。さあドアを開けましょう」
桜子、頷く。
「あなたは女の子ですか、男の子ですか」
「女の子」
「どんな服を着ていますか?」
「洋服」
「どこにいますか」
「大きい家」
「地名は分かりますか」
「大阪」
前世の人物の性格なのか、桜子はぞんざいな口調で、前世での生活を話し出す。
「父親が商売で成功して裕福だった。小学校に洋服で通っているのは私だけだった」
しかし、年齢が上がるにつれ、桜子の口から語られる生活は荒んだものになって行った。
「お母さんが死んで、山師だった父親は鉱脈を当てることが出来なくなっていき、狭い家に引っ越して・・・・家にお金が無くなって・・・・」
そこで桜子は椅子に座ったまま首を激しく横に振る。
「やめて!やめて!」
両手を左右に動かし、何かから逃れる仕草だ。
「ここはどこですか?」
「家」
「誰といますか」
「男。臭い、臭い。お酒の匂いがする。やめて!」
桜子は椅子の上で身をよじって、拒絶の言葉を繰り返した。
「その男は誰ですか?」
「継母に雇われた男。いやだーいやだー。うわーん、うわーん、痛いよ痛いよ」
桜子は大きく足を広げ、獣のような声を出した。自らブランケットを蹴り上げ、捲れ上がったスカートから太ももが露わになる。
「桜子、大丈夫か?」
恭平は彼女の元に駆け寄ろうとしたが玲二から手で制された。
玲二は素早く彼女の膝にブランケットを掛けなおし、
「今あなたは安全なところにいます。怖いことなんて何もないのですよ」
と優しい声で桜子に話しかけた。それでも桜子は絶叫を続け、ブランケットの中で大きく足を広げ、そのまま気絶するかのように背もたれに身を預けた。
「今日はもうやめよう」
恭平は玲二に言ったが、玲二は桜子への質問を続けた。
「あなたは大人の女性へと成長していきます。今、あなたはどこにいますか」
「神田にいる。許せない。許せない。カンソンや大杉君やあんな目に遭わせて。いったい私たちが何をしたと言うんだい。ただ旗を振り回して歩いていただけじゃないか。この報復は絶対に・・・・」
桜子は眉間に皺を寄せ、歯ぎしりをする。
「カンソンとは誰ですか?」
「私の夫だった人。でも事件の時にはもう夫婦ではなかった」
「事件?」
「私は無罪になったけれど、他の人たちは禁固刑になった。大杉君も禁固刑」
「大杉君?」
「大杉栄君」
桜子は有名な無政府主義者の名前を口にした。
彼女は目の前の誰かに
「夜間の実験じゃ威力が分からない。昼間立会人をおいてやってこそ意味があるわ」
と説得している風だ。
「実験って何ですか」
「爆破の実験」
話の内容にそぐわず、桜子は忍び笑いをした。玲二は聞いた。
「あなたは今どこにいますか」
「東京。千駄ヶ谷」
「何か楽しそうですね」
「だって忠雄君が私の事をソフィア・ペロフスカヤって言うんだよ」
玲二は手元の紙にソフィア・ペロフスカヤと書きつけた。
「忠雄君?」
「先生の書生」
「他に誰がいますか?
「忠雄君と古河君」
「何の話をしているのですか」
「てんしはたおさねばならぬ」
桜子は低い声で答えた。
「てんし?」
「てんしなるものは、現在には略奪者の張本人、政治上には罪悪の根源、思想上には迷信の根本になっているから、この位置にある人そのものを斃す必要がある」
まるでアジテーションである。桜子は
「ただ先生は駄目だね」
と続ける。
「何で駄目なんですか」
「私に普通の奥さんになれというから。ひところは、爆弾のとぶよと見てし初夢は 千代田の松の雪折れの音、なんて威勢のいい歌を作っていたのに」
と物騒な狂歌を口にする。
「先生があんな感じだから、頼れるのは忠雄君だけだ。その気持ちは忠雄君にも言った。忠雄君は私の六歳年下で、美青年だった。先生と別れたこともあって、私は忠雄君と寝て、夫婦のようになってしまった」