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ももとせのちの  作者: 山口 にま
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あんたは管野スガか

 その時、桜子は強い力で手首を引っ張られた。捕まった、桜子は観念する。

 桜子の手首を掴むのは四十がらみの男だ。白いTシャツと色あせたジーパンを着た男はとても警察には見えなかった。男は桜子の手首を掴んだまま裏路地に入る。警察に捕まるよりはましだ、桜子も走って男に付いていく。男はラーメン屋の脇に停めてあるスクーターの座席からヘルメットを二つ取り出し、一つを桜子に被せた。

「乗りなさい」

桜子がスクーターの後ろにまたがると、そのままスクーターは発進した。靖国通りも白山通りも機動隊だらけだ。桜子はヘルメットを被っているというのに顔を伏せてしまう。どうやら埼玉方面に逃げているらしい。

 

 三十分も走っただろうか、桜子の尻が痛くなったころスクーターは止まった。

「ここまでくりゃ大丈夫だろう」

男はヘルメットを脱いだ。改めて男を見ると、男はずんぐりむっくりした体形で、目尻に皺が寄り、お世辞にもハンサムとは言えない。年の頃は三〇代後半か。桜子もヘルメットを脱いだ。電柱に書かれた住所で、ここが東京のはずれだと分かる。


 「あんたがなんの思想を持っているか分からないけれど、あんなことをして。はねっ返りもいいとこだよ!」

男は桜子を叱りつけた。

「すみません・・・・」

「まあいいや。俺もあのデモはねぇなと思っていたし」

男は桜子の顔をまじまじと見ながら

「顔が青いぞ。大丈夫か?」

桜子の足はまだ震えていた。

「軽く食っていけ。賄い飯ぐらいはできるから。ここ俺の店なんだ」

二人がいるのは居酒屋の前だった。「居酒屋 湊」と看板が出ている。昭和末期に建設されたような安普請の店舗で、古民家と言うには中途半端な築年数だ。桜子は警察から逃れて安堵したと同時に小腹が減ってきた。男は入り口の鍵を開けて店内に桜子を招き入れた。


 「座っていなよ。あんたも疲れただろう」

男の言葉に従って桜子はカウンター席に着いた。男は冷房を入れ、

「しかし驚いたよ、ペットボトルとはいえ危険物をデモ隊に投げ入れるなんて。あんたは管野スガかソフィア・ペロフスカヤかよ」

「管野スガ?」

桜子は思わぬところでスガの名前を聞き驚く。

「まあ若い子は知らないよな」

「知っています。大逆事件で死刑になった女の人ですよね。ソフィア・ペロフスカヤはダイナマイトでロシア皇帝を暗殺した・・・・」

男は桜子を見返す。桜子は自分が管野スガの転生者とは言えず、

「管野スガの事を調べていて・・・・」

と取り繕う。

「へえ、あんた、大学生?」

「いえ、まだ」

「ってことは高校生?進学はするの?」

「はい一応」

「じゃあなおさらペットボトルなんて投げちゃ駄目だよ。逮捕されたら進学どころじゃなくなる」

「そうですよね。でも、あの人たち敗戦記念日に日の丸を振り回して軍歌まで歌って。何だか戦争を賛美しているみたいに見えました」

「そういう感覚はある意味まともだ」

男は桜子の前にどんぶりを出した。

「昨日の残り物だけど、食べてみな」

白米の上に乗っているのはキャベツの千切りとたれ味の焼き鳥だ。桜子は警察から逃がして貰ってその上食事まで頂いたら図々しいかと思ったが、断るのも失礼なので、手を合わせて箸を取った。

「美味しいです」

甘めのたれが食欲を増進させた。桜子はどんぶり飯を平らげる。


 食後に出して貰った冷たいウーロン茶を飲みながら店内を見渡すと一枚のポスターが目に留まった。

「子ども弁当やっています!子どもは無料。大人三〇〇円。第一、第三金曜日。午後四時から配るよ。みんな来てね」

男は桜子の視線に気づいた。

「この辺は貧困家庭が多いんだよ。なんで金曜日に配っているか分かるか?」

「さあ」

「土曜日は給食がないだろう。金曜の夕方に受け取って土曜日の昼に食って貰いたいからさ。こども食堂の弁当版みたいなものだな。俺が靖国にいたのもこども食堂の仲間に食材を届けるためだったんだ」


 子ども食堂、桜子はその名をテレビやネットでは知っていたが、自分のそばに貧困問題があるとは思えず無関心だった。

「そうだ、あんたもやってみないか。ただでとは言わないよ。コンビニぐらいのバイト料は出すし、余った弁当は持ち帰って貰える。どうだ?」

「私に出来るかしら」

「出来るって。店にやって来た子どもに弁当をあげればいい。ちょうど子どもたちが来る時間は俺は仕込みで忙しんだよ。夏休み中だろう?どうだやってみないか」

「やりたいです」

国家から見放されている貧困層を救済する、これも一種の革命だ。

「俺、湊っていうんだ。店の名前も湊だ」

男は名刺を差し出した。湊 源治郎。それが男の名前だった。

「緑川桜子と言います」

男は手元のメモ用紙に桜子の名前を走り書きし、

「桜子ちゃんね。よろしく。じゃあ今度の金曜日に来てよ」


 桜子が焼き鳥丼の代金として千円札を渡しても源治郎は受け取らなかった。

「何から何までありがとうございます。危ないところを助けて貰って、美味しい食事まで」

桜子は深く礼をして店を出て、辺りを見渡す。彼女を尾行する者はいない。警察を警戒するなんて生前の管野スガと同じだと桜子は一人苦笑する。店の外にも子ども弁当のポスターが貼ってあった。

 桜子は世界が急に広くなったような気持ちで夕暮れの下町を歩いた。



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