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ももとせのちの  作者: 山口 にま
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研ぎ澄まされた刀、秋水

 夏休み前、桜子は学校の図書室を訪れた。管野スガが起こした事件は「大逆事件」と呼ばれ、彼女を含め十二人の死刑囚と十二人の無期懲役囚を出した。世を騒がせたオウム真理教が十三名の死刑囚を出したことを鑑みると、かなりの大事件だったことが分かる。「管野スガ」の名前を冠する本はなかったので、『明治の歴史』『明治時代事件簿』などと銘打たれたハードカバーを数冊借りた。


 早速桜子は帰宅途中の電車の中で本を取り出し「大逆事件」のページを開いた。


 「大逆事件とは天皇、皇后、皇太子等を狙って危害を加えたり、加えようとする罪、いわゆる大逆罪が適用され、訴追された事件の総称。一般に明治四十三年(一九一〇年)の幸徳事件をさして『大逆事件』と呼ぶことが多い」

その記述と同じページに事件の中心人物として幸徳秋水の顔写真が掲載されていた。彼は橘の紋の付いた羽織を着て、切れ長の目でこちらを見ている。

「先生・・・・」

桜子は口の中で小さく呟いた。もし人目がなかったらページを開いたままその本を胸に掻き抱いていただろう。「明治社会主義の一等星」と異名を取った幸徳秋水、彼こそが管野スガの事実上の夫であり、同志であった。


 幸徳秋水なくして日本の社会主義は発展し得なかった。

 「万国のプロレタリヤ、団結せよ!」の結びで有名な『共産党宣言』を堺利彦と共に訳したのも、足尾銅山鉱毒事件で明治天皇への直訴状草案を書いたのも秋水であった。日露戦争が起こると秋水は社会主義運動の中心組織「平民社」を堺と共に結成し、非戦を訴える平民新聞を発行した。

秋水とは日本刀の研ぎ澄まされた刃を指す。天皇を頂点に抱き、古い因習国家である日本を鋭く切りつける革命家だ。

 平民社のモノクロ写真も掲載されていた。

 二階建て家屋に「平民新聞」の大看板が掛かる。写真の説明文は「巣鴨平民社。巣鴨村(現在のJR大塚駅前)」。

桜子は自分が平民社を覚えていたことに改めて驚いた。玲二を訪ねるために降りた大塚駅こそ巣鴨平民社の跡地だった。

 


 明治四十一年(一九〇八年)赤旗事件が勃発した。


 「無政府主義万歳!」

無政府主義者・大杉栄やスガの内縁の夫、荒畑寒村を含む数人が赤地に白の文字で「無政府共産」「社会革命」などと書かれた赤い旗を翻し、絶叫した。彼らはその勢いのまま路上に繰り出したのだ。その日は社会主義者の出獄を祝う集会があった。祝賀会会場前を警戒していた警官隊は、街頭に現れた社会主義者の面々を認めるや駆け寄って赤旗を奪おうとし、これを拒んだ彼らともみ合いになったのだ。


 肺を病み虚弱であったスガはその騒擾を遠巻きに見ていた。彼女は連行された仲間の面会を求めて神田警察に向かうと、警官からいきなり腰を蹴られて転倒。そのまま逮捕された。

警察署内で、大杉栄と荒畑寒村は警官に裸にされ、蹴り倒され、廊下を引き釣り回されていた。スガの勾留は四十七日間に及び、他の十三人と共に起訴された。

 

「サカイヤラレタスグカエレ」同志の逮捕を告げる電報が秋水に届いた。秋水は半年のアメリカ遊学を終え、故郷の四国で静養中だった。


 秋水が上京し、同志十四名の裁判に駆け付けると、「一等星」の到来に廷内はざわついた。勿論スガも気がそぞろになった一人である。秋水は切れ長の目で管野スガまでもが検挙されたかと言いたげに彼女を見つめた。秋水は新聞記者及び同志荒畑寒村の妻としてスガの事を知っていた。

 女性逮捕者はスガを含めて四名だ。裁判官は言葉尻を捉えて不利な判決にするつもりか、被告の一人一人に「被告は無政府主義者か」と尋ねた。女性の被告たちは明言を避けたが、唯一スガだけが

「私の一番近い考えは無政府主義です」

と堂々と答えた。

 裁判上自己に不利になるとスガも分かっていた。しかし秋水に対する己の気持ちを表現せずにはいられない。先生を敬愛しておりますと。そのスガの気持ちは秋水にも届いた。革命を行う同志としてこれ以上の女性はない。秋水はスガから目を離せなかった。

 

 彼女が廷丁(裁判所職員)に背中を押されるように退廷させられる刹那、彼女は振り返りもう一度彼の視線を受け止めた。スガ二十七歳、秋水三十七歳である。スガと同じく被告席に立った夫の荒畑寒村はまだ二十一歳でしかなかった。


 

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