噂の出どころ
「遂に桜子の前世が分かったぞ」
恭平は、キッチンで飲み物を用意する玲二の背中に向かって切り出した。
「どうしてまた?」
玲二はテーブルの上にアイスティーを並べる。
「代々木でいきなりよその墓に入り込んで、ここが自分の墓だって」
「へえ」
玲二は初めて聞くような声を出す。玲二は催眠療法士として秘密厳守を旨としている。
「それが有名な人の墓で」
「誰の?」
「管野スガ。明治の大逆事件で死刑になった人」
「ふうん」
玲二の反応は薄い。
「玲二は分かっていたのか?」
「何となく」
恭平はアイスティーを口に運んだ。玲二は何げなく聞く。
「自分の墓を前にして桜子ちゃんはどんな感じだった?」
「例によって年増女の声になっていた。憑依か多重人格だな、ありゃ」
「年増って何歳だよ」
「三十ぐらい」
「三十の女性に失礼だろう。桜子ちゃんは自分の前世を知って何か言っていたか?」
「うーん、墓の前では泣いていたけれど。・・・・実は彼女を怒らせちゃって。俺がスマホで管野スガを調べようとしたらスマホを叩き落された」
「こえーな」
玲二は大げさに肩をすくめた。
「まあ管野スガって色々噂のある女性だし、そういう前世を知られたくなかったんじゃないかな。ネットで調べたよ。流行作家の愛人になって、彼の口利きで自分の小説を雑誌に載せて貰ったらしいじゃないか。しかもスガって異父兄とも出来ていたんだろう?」
「そういう話はあるな」
「他にもスキャンダルには事欠かないぞ。地方の新聞社の副編集長を任せられた時に編集長と男女の関係になっておいて、編集長が筆禍事件で刑務所に入っている時に他の雑誌の編集者とも関係したとか。六歳年下の旦那と結婚した後、旦那が収監中に旦那の上司とダブル不倫し、奥さんを追い出して自分が妻の座に収まったとか」
恭平はスガに関する悪評を並べ立てた。彼は現世の桜子にも同じく淫蕩な気質が受け継がれることを恐れている。玲二は恭平が話し終えると冷笑を浮かべた。
「その噂の出所を教えてやろうか?」
「どこだ?」
「管野スガの元旦那の荒畑寒村だ。戦後国会議員にもなったぜ。左翼の古老さ。彼の自伝に管野スガの悪口がたんまり書いてある。まあ異父兄の件は寒村の師匠の堺利彦が言い出しっぺらしいがな」
「なんで昔の旦那が」
「そりゃ捨てられた腹いせだろうが。何て言ったって寒村が刑務所に入っている間に、先輩である幸徳秋水に自分の女房を取られたんだから。それに当時は恐ろしいほどの男性優位社会だろう?女性が少し目立つと、やれあの女は身持ちが悪いだの、権力者を色仕掛けで籠絡してのし上がって来ただの色々言われるんだよ」
「ふうん、そんなもんかね。『大逆事件は控訴なしの一審制で裁かれ、十二人が死刑になった。被告の多くは冤罪であった』ってよ」
恭平はスマートフォンで大逆事件を調べ、その画面を読み上げた。
「スガに関しては冤罪じゃないけれどな。殺る(やる)気満々だった」
玲二は一部訂正した。
「なんかなあ」
恭平は頭の後ろで腕を組んでぼやいた
「最近桜子とはうまく行ってないんだよ」
桜子とは毎週末会っているし、会えばキスするし、夏休みは二人で旅行に行く計画も立てた。二人の関係は何も変わっていない、表面上は。しかし、桜子との間に見えない壁を感じる。前世の話は今や二人の間ではタブーであるし、それ以外でも桜子は恭平の言葉をうるさそうにする。
「退行した後は誰でも神経過敏になるからな」
玲二はそう言うが、恭平は桜子に前世療法を受けさせたことを後悔していた。桜子の中に桜子じゃない人格がいる。恭平は桜子を持て余した。
「そろそろ帰るわ。お客さんが来るんだろう」
恭平は立ち上がった。
「悪いな」
「繁盛しているみたいでなによりだよ」
「俺は他のセラピストより安いからな」
二時間二万円が安いのか恭平には分かりかねた。
「じゃあまた来るわ」恭平は部屋を出た。
玲二はすぐにパソコンを開いて、「緑川桜子 管野スガの転生者」のページに書き込みを加えた。
「本人がスガの墓を発見した際、交際相手(二十)も一緒だった。交際相手は憑依か多重人格を疑う。本人は交際相手の干渉を嫌い、前世者を調べようとした交際相手のスマートフォンを床に叩き落すなどの攻撃的な行動を見せた」