無政府主義者
桜子の帰宅後、玲二から電話が掛かってきた。
「メール見たよ」
「あはは、笑っちゃいますよね」
「笑う?逆に心配だよ。急にいろんなことを突き付けられて。大丈夫?」
玲二は電話越しに桜子を案じる。自分の墓との遭遇は十代の桜子には衝撃的な事件であった。玲二の優しさに安堵し涙が出そうになった。
「お寺の名前は憶えている?」
「しょうしゅん寺です。正しいに春と書きます。たまたまお寺の名前を見たら、自分の妹の葬儀を思い出しました。貧困で治療が受けられなくって、十九歳で死なせちゃった」
桜子は鼻の奥がつんとする。涙声にならないように喉に力を入れた。
「妹さんのお墓はあった?」
「それが見つけられませんでした。自分のものらしいお墓はありましたけれど」
「どうして自分のお墓だって分かったのかな?」
「墓石に彫られていた短歌を見て」
「その短歌は自分が書いたものだって分かったんだ」
「はい。墓石の裏に名前が書いてあって、それを見て前世の名前が分かりました」
「墓石の裏に何て書いてあった?」
桜子はためらいながら答えた。
「・・・・・革命の先駆者 管野スガ ここに眠ると」
「それを見て、君はどう感じたの」
「一気に記憶が蘇りました。記憶喪失の人が記憶を取り戻すみたいに」
「その時は一人?」
「いいえ、恭平君も一緒です」
「あいつ、何か言っていた?」
「凄い凄いって言って私の前世の経歴をネットで検索していました。謎解きゲームを楽しんでいるみたいに」
桜子は怒りを含んだ声で言う。
「あいつどうしようもねぇな。あ、失礼、桜子ちゃんの彼氏に」
「ううん、もっと言って、もっと言って!」
こんなに男に馴れ馴れしい話し方をする女性だったかと玲二は訝しく思った。
「桜子ちゃんが前世で最後に言った言葉を覚えている?」
「革命万歳、我主義に死す、でしたよね」
「その言葉を聞いた時、君が管野スガだって分かっていた。彼女は有名な無政府主義者だし」
「あの、無政府主義って何ですか?」
桜子は自分の無知を恥じ入りながら聞いた。
「アナーキーって言葉は知っている」
「パンクロックとかで聞いたことはありますが、詳しい意味までは」
「アナーキズムと無政府主義は同じ意味さ。人間が相互扶助する世の中になれば誰しも安心に生活できるようになるから政府はいらないって言う思想だよ」
「ユートピアみたいですね」
「彼らの主張によると歴史の摂理で無政府社会はいずれ必ず実現するが、五百年から千年かかると。だから早く実現させるために現状の破壊活動に勤しむ主義者もいるようだよ。だからこそ明治政府が彼らを恐れて・・・・。あはは、アナーキストの転生者に対して釈迦に説法だな」
「そんなことありませんよ。本当に私、何も分からなくって」
「前世の記憶が蘇ったら、僕に無政府主義を講釈してくれ、桜子先生」
「もう!」
桜子は笑いながら玲二に抗議の声を上げた。しかし、次の瞬間桜子は改まった口調になり、
「スガも破壊活動をするような人だったのでしょうか」
「そうだねぇ」
玲二は即答を避けた。考え考え、
「天皇暗殺の話し合いをしたのは事実みたいだけど、それは無政府主義を実現させるためってよりも、古い因習を打破するためにやろうとしたみたいだよ」
「古い因習?」
「戦前は天皇陛下っていったら天子様と言われ神様だと思われていたよね。管野スガたちは天皇を襲撃対象とすることで、天皇も同じ人間だと国民に伝えたかったんじゃないのかな。スガは百十年前まで生きていたし、当時の写真も残っている。自分で調べてみればいい。更に記憶が蘇ると思うから」
「そうですね」
「思い出した事があったら教えてよ。前世療法は前世を見せて終わりじゃない。クライアントが前世の記憶を糧にして、今生をよりよく生きられるようになることが目的だ」
クライアント。他人行儀な言い方だなと桜子は落胆するも、こうやって自分の荒唐無稽な話に耳を傾けてくれるのも玲二さんの仕事の内なんだからと思い直した。
玲二は電話を切ると小さくガッツポーズを取る。管野スガと言う歴史上の人物を前世療法で呼び出したのだ。経過をつぶさに観察、記録し、可能であれば公表したかった。彼はヘッドホンで通話し、桜子の言葉を逐一タブレットに記録していたのだ。
彼はメールでのやり取りは必要最小限に留めた。自分の発言の証拠を残さないように。先ほど桜子のメールに電話で応答したのも同じ理由である。玲二のメールが独り歩きをし「兵藤玲二が誰の前世をこう言った」などと利用されたらたまったものではない。そもそも彼は金にならない文章は一字たりとも書きたくはなかった。