両親の考え
ラファエルと再会したら怒涛のようにたずねたいことが浮かんできて、途切れることなく話をするものだと思っていた。でも実際に会ってみると、彼の成長ぶりに戸惑って、一体何から話したらいいか、どんなふうにこれまで自分たちが会話していたかわからなくなってしまった。
そんなイリスをよそに、ラファエルは自分から淡々とここ数年のことを教えてくれる。
「手紙にも書いたが、俺は騎士学校に入って、今は王太子殿下の護衛を務めている」
王太子殿下といえばこの国のトップである。未来の王様である。
「王子様を守る職に就いているなんて、さすがラファエルだね」
「護衛って言っても、近衛騎士団の中の一人に過ぎないけどな。俺が一番下っ端だ」
「それでもすごいよ」
イリスの惜しみない称賛に、ラファエルはやや複雑そうであった。どうしたのとたずねれば、いや、と彼は珍しく言葉を濁した。
「本当に俺なんかが殿下の護衛でいいのか、少し不安でな」
「でも、ラファエルが努力したから選ばれたんでしょう?」
「上からの命令で配属されたというより、殿下直々に頼まれた」
「殿下直々に?」
なおさら凄いことではないかとイリスは仰天した。
(あれ、でも……)
「ラファエルはずっと騎士学校に通っていたのよね? 殿下も一緒だったの?」
「いや……剣術大会があって、それをたまたま見に来ていた殿下が俺に興味を持って、話しかけてくれたのがきっかけだ」
「なんだか……運命的な出会いだね」
「ただの偶然だろ」
「そんなことないよ」
きっと短い出会いの中で王太子はラファエルの聡明さを見抜いたのだ。あともしかしたら世話焼きで放っておけない性格も。だから将来自分を守ってくれる要職に就くよう頼んだ。この人なら何があっても裏切らない。信頼に値する人だと。
「未来の王様に信頼されているんだよ? もっと自信持ってもいいと思う」
「……イリスに励まされるとはな」
「それってどういう意味?」
「成長したなってことだ」
またそれ? とイリスが文句を言おうとした時、ガチャリと扉を開けて入ってくる者がいた。
「イリス! お帰りなさい!」
「お父さま。お母さま」
イリスが立ち上がってそばへ寄ると、母のマリエットがぎゅっと抱きしめてきた。香水か何かわからないけれどものすごく良い匂いがしてイリスはどぎまぎしてしまう。そっと抱擁を解くと、手袋をはめた手でイリスの両頬を包んできた。
「迎えに行ってあげられなくて、ごめんなさいね」
二人揃って出かけていたようである。社交を優先するのは昔からなのでイリスは特に何も思わなかった。
「いいえ、お母さま。こうして会いに来て下さっただけでも、わたし、とても嬉しいわ」
「まぁ、イリス」
娘の言葉にマリエットは感激したようだった。イリスと同じ薄紫色の目にさっと涙を浮かばせた。化粧を施した母の顔はとても十八の子持ちには見えず、少女のような若々しさがあり、けれどイリスにはない大人の色香を漂わせていた。
「イリス。私にも顔をよく見せてごらん」
今度は父のシェファール侯爵に抱擁され、顔をまじまじと見られた。何だか医者に悪い所がないかじっと探られているようで、少々居心地が悪くなる。
「マリエットの若い頃にそっくりだね」
「そうね。小さい頃は貴方に似ていると思っていたけれど……こうして見てみると、私に似ているかしら」
「ああ。これからますます綺麗になるさ」
手が離れ、二人はイリスの成長が楽しみだと口々に述べた。イリスとしてはもう十分成長しきったつもりなので、何だか複雑な気持ちになる。
「あの、お父さま、お母さま。ラファエルもね、わたしに会いに来てくれたのよ」
娘の指摘に、両親はようやくラファエルの姿が目に入ったという顔をした。
「おお、ラファエルくん。きみも来ていたのか」
「はい。お嬢さんに会いたくて、お邪魔させてもらっています」
たぶんラファエルのことだから事前に連絡はしていたのだろうけど、多忙な二人はすっかり忘れている。
「そうか。わざわざすまないね」
「いいえ。彼女の婚約者ですから」
ラファエルの言葉は別段おかしなものではなかった。二人が互いの婚約者であることはもうずっと前から決まっていたことだから。
けれどなぜか、一瞬シンと静まり返ったことに、イリスは緊張を覚えた。
「お父さま?」
「そうだね。イリスはラファエルくんの婚約者だからね。迎えに来て、当然だ」
にっこりと侯爵は笑うと、今日は夕食でも食べて行ってくれと勧め出した。マリエットもそうねと相槌を打つ。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、そうさせていただきます」
イリスの話も聞きたいしな、と言うラファエルも変わらないように見えた……気がしたけれど、少し怒っているように見えたのはイリスの気のせいだろうか。
両親との食事は久しぶりで、食べながら交わされる会話に昨日の自分は果たして上手く答えられただろうか。イリスは朝の身支度をメイドにされながら自問する。
(ラファエルがいてくれてよかった……)
彼は両親の問いかけにもその都度上手く答えながら、政治など難しい話題になって置いてけぼりになっているイリスのことも気にかけて、わかりやすいよう説明してくれたりした。
母にも最近流行っているという菓子の話をしたりして、会話を楽しませようという姿勢が見えた。
(ああいう所は、少し変わった気がする)
昔はもう少し、他者を寄せつけぬ雰囲気があった。この六年でやはり社交を身につけたということだろうか。
(わたしも、頑張らなくちゃ……)
意気込むイリスを、櫛で髪を梳かしていたメイドが不思議そうに見つめたのだった。
「イリス。ちょっといい?」
「はい、お母さま」
メイドが支度を終えた頃、母のマリエットが部屋へと入ってきた。母がこの時間に起きているのは珍しい。いつも、というよりイリスが幼い頃は夜会などに出席して、起きるのはたいてい正午過ぎだったというのに……昨夜ラファエルの帰りが早かったためだろうか。
「イリス。この後あなたのドレスを作るのにお客様がたくさんいらっしゃるから、そのつもりでね」
「はい。お母さま」
イリスの返事に、マリエットは微笑む。
「懐かしいわ。私もちょうどあなたと同じくらいの年に社交界に出て、お父さまとお会いしたのよ」
「まぁ、お父さまと?」
「ええ。金色の髪をきれいに後ろに撫でつけてね、少し緊張した面持ちで私と踊って下さるよう申し込まれたのよ」
「素敵な思い出ね、お母さま」
イリスもラファエルと踊ることを想像して、胸がどきどきした。
(……足を踏まないように、気をつけないと)
下手すれば醜態を晒す可能性がある、と考えてもう緊張してくる。これは念入りに練習しておかねば、と思っていると「ねぇ、イリス」と母が内緒話するように声を潜めて呼びかけてきた。
「あなたもそういった出会いがあるかもしれないわね」
「え?」
母の言葉にイリスは戸惑う。
「出会いって、お母さま。わたし、ラファエルの婚約者なのよ? だからもう出会っていますわ」
新たな出会いなど必要ない。イリスはそう言ったが、マリエットは鏡越しに赤い唇を悪戯っぽく吊り上げた。
「あら、わからないわ。ラファエルより素敵な殿方があなたを射止めて、お嬢さんと結婚させて下さいと我が家に申し込んでくるかもしれないし」
「……だとしても、お断りするでしょう?」
マリエットは微笑むだけで、何も言わない。それにイリスは不安が押し寄せてきた。
「ね、イリス」
母が娘の両肩にそっと手を乗せ、耳元で甘く囁いた。
「あなたは長い間修道院で、異性と触れ合わずに過ごしてきたから知らないでしょうけど、世の中にはたくさんの殿方がいるのよ?」
「お母さま。何がおっしゃりたいの?」
ふふ、とマリエットは笑ってイリスから離れた。
「ラファエル様以外にも目を向けなさいってこと」
「どうして?」
「娘がとびっきり素敵な相手と結婚して欲しいと思うのは、親として当然の願いよ」
「……わたしは娘が一番嫁ぎたいと思う相手に嫁がせることが、何よりの幸せだと思います」
それにラファエルはとびっきり素敵な相手である。
イリスが思い切ってそう言うと、マリエットはちょっとびっくりしたように目を丸くさせた。でもすぐに揶揄う口調で頬を撫でてくる。
「まぁ、あなたがそんなこと言うなんて。大きくなったのね、子猫ちゃん」
「お母さま!」
「よく考えて決めることよ、イリス」
お父さまも同じ思いよ、と言い残してマリエットは部屋を出て行った。