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変装した王子様と……

 休憩室と言っても王宮の広間のように広く、天井から吊るされたシャンデリアの光によって夜のように室内は光り輝いていた。……あまり落ち着いた雰囲気とはいえず、三人はそわそわしてしまう。


 アナベルは母親と叔母と来ていたらしく、お茶を飲みながら会話を楽しんでいた。二人ともイリスとラファエルに品よく微笑んでくれて、アナベルと仲良くしてくれるよう頼んできた。


「アナベルさんはお母さま似なのね」


 三人は少し離れた位置に席を取り、軽食を頼んだ。


「そうね。でも性格は父に似ているって言われるわ」

「わたしも外見は母に似ているけれど、性格はどうかしら……」


 ラファエルの方を見ると、どうだろうなと言った。


「シェファール侯爵……ではないと思うが」

「じゃあやっぱりお母さま似?」

「それも……違うと思う」


 強いて言うならどちらも似ていないと言われ、そうかと納得した。イリスも中身は両親にあまり似ていないなと思っていたのだ。


「あら。これから似てくる可能性だってありますわよ」

「これから?」

「そう。イリスさんのご両親がどういうお人柄かは存じませんけれど、親子ですもの。性格や考え方は多かれ少なかれ受け継いでいるものですわ」

「そういうものなのかしら……」


 自分が父や母のように……やはりあまり想像できなかった。


「人は影響し合って生きていく生き物ですもの。今は真っ新でも、出会いや別れを繰り返していくうちにイリスさんだって変わっていくものなんじゃないかしら」


 アナベルは時々うんと大人びたことを言う。


「そう考えると、イリスの両親も変わったからこそ、今のような性格をしているのかもな」

「じゃあ……昔は違っていた、ということ?」

「そうだ。イリスみたいに怖がりだったかもしれない」


 自分のように……なんだか上手く想像できない。


(でも考えてみれば、わたしは今のお父さまたちがどんな人であるかも、実はよくわかっていないのかもしれない)


 一度じっくり語り合うべきなのだろうが、社交界やら何やらでなかなか時間がとれない。またいざ面と向かって話すことになっても、きっと気恥ずかしさがあるだろう。


「アナベルさんはご両親とお話したりする?」

「そうね。母とは世間の流行について話したり、父とは商売について話したりするわ」

「そうなの。ラファエルは?」

「俺は……向こうへ帰った時はするけれど、それも挨拶程度だしな……昔の方が遠慮なくいろいろ話せていたかもしれない」


 将来のことも、と言われ、騎士学校に進む際のことだろうかと思った。イリスも当時のラファエルが何を思って騎士になる道を志したのか知りたかった。いっそここで気軽に尋ねてみようか。いや、しかし触れてはだめな話題かもしれない。


 そんなことをじっと考えていると、誰かにそっと肩を叩かれた。反射的に振り返ると、白い手袋をはめた指先がイリスの頬をつついた。


「やぁ、お嬢さん。婚約者との逢瀬を楽しんでいますか」


 琥珀色の目がポカンと口を開いたイリスを映し、ゆっくりと細められた。帽子を目深に被って片眼鏡(モノクル)もかけているので一瞬見間違いかもしれないと思ったが、こんなことをするのは一人しかいない。


「お、」


 王太子殿下。そう言おうとしたイリスの口を、サミュエルはそっと人差し指を当てて塞ぎ、片目を瞑った。


「すまない。今日はお忍びで来ていてね。あまり騒ぎになりたくないんだ。どうか大きな声を上げないでくれると助かる」


 確かに右も左も王宮に出入りする人間ばかりだ。王子の顔もすぐにばれ……いや、もうばれているのではないか?


 イリスはそっと隣のラファエルを見た。彼は目を真ん丸とさせてサミュエルを凝視していた。そして我に返った様子で「殿下」と呼んだ。とても小さな声で。


「何をしていらっしゃるんですか。こんな所で」

「劇場にいるんだ。芝居を観るために決まっているじゃないか」

「そういうことでは……今日は王宮で過ごされるご予定だったのではないですか」


 一日のスケジュールをラファエルは覚えているらしい。さすがだ。


「もちろん。だが要件は済んだ。空いた時間は有効活用すべきだと、ここへ足を運んだわけさ」


 ラファエルが聞きたいことはおそらくそういうことではないだろうが、サミュエルは「わかってくれたか?」と自信満々に答えた。主君の態度にラファエルはしばし言葉を失っていたようだが、やがてため息をつき、「護衛はもちろんつけていますよね?」と確認した。


「ああ。みな私に気を遣って、目につかぬ所にいるはずだ」

「そうですか。ならいいんですが……」


 イリスは思わずさっとあたりを見渡したが、騎士服を着た人間は見当たらなかった。同じように正装しているのだろうか。


「それより私も席を共にして構わないか?」

「ええ。それは構いませんけれど……」

「ありがとう。おや、きみは……」


 そこでようやくサミュエルはアナベルに気がついたようだ。彼女は一言も発せず、ティーカップを手にしたまま固まっていた。いきなり前触れもなく王子と会う羽目になったのだから無理もない。


「ドラージュ男爵のアナベル嬢じゃないか。きみもラファエルたちと一緒に?」

「いえ、わたくしはここで偶然会って……」

「そうか。それで時間までお茶をしていたんだな。私もご一緒させて構わないだろうか」

「あ、はい。どうぞ」


 ありがとう、と王子は微笑んでアナベルの隣へ腰を下ろした。


 イリスはこちらを見たアナベルの顔が「どういうことよ? なんで王子様がここにいるの?」と言っていることに気づいたがそれは彼女も同じ気持ちであった。


 三人はしばらくどうしたものかと黙っていたが、やがてラファエルが胡散臭そうな目をしてたずねる。


「ところでその眼鏡と帽子は何ですか」

「普段の私だとばれないための変装だ」


 レンズの縁を人差し指と親指で挟んで「似合っているだろう?」とサミュエルは聞いてくる。


「設定としては妻子に先立たれ、演劇だけが生き甲斐の中年貴族という所かな。そのために一昔前の流行を取り入れてみた」

「はぁ……」

「本当は鼻の下につけ髭もしようかと思ったが護衛の者たちに止められてしまってな」

「賢明な判断だと思います」


 イリスは少し見てみたい気もしたが、王子様のイメージを壊しかねないのでラファエルは安心したようだった。


「しかし楽しみだな」


 懐中時計を取り出して上演の時間を確かめるサミュエルの顔は子どもがプレゼントの中身を開ける時のような顔をしていた。


「殿下も、」

「サミュエルだ」

「え?」

「そんな呼び方をされてはすぐにばれてしまう。だから今日は名前で呼んでくれ」


 そう言われても……とイリスたちは困った顔をする。


「あるいはサム、サミーと呼んでもいいぞ」

「サミュエル様もオペラをよくご覧になられるのですか」


 イリスがそうたずねるとサミュエルは少し残念そうな顔をしたが、すぐに「ああ」と頷いた。


「最近は忙しくてあまり来られなかったが、昔は暇があったら訪れていたな」

「そうだったんですか……やっぱり今日みたいな感じで?」

「それは内緒だ」


 悪戯っぽく笑う王子様に対し、騎士の顔は何か言いたげである。


「ラファエル様は護衛として付き添わなかったのですか」


 アナベルが聞くと、「ラファエルはこういうのにあまり興味がないからな」とサミュエルが答えた。


「命令とあれば付き添いましたが」

「そんな仏頂面では私も息抜きできん。それにおまえの出で立ちでは逆に目立ってしまって、私の変装が無意味になってしまう」


 どうやら変装も大事な息抜きらしい。


 舞踏会の正装姿といい、お洒落が好きで楽しいのかもしれない。今の格好をお洒落と称していいかはイリスにはわからなかったけれど……。


「というか貴方は専用のボックス席でご覧になられるのでしょう? 変装していても、ばれてしまうのではないですか」


 舞台の袖近く、二階のボックス席が王族専用とされている。彼らが観客として予約していない際は他の人間も観ることが可能だが、そんな人間は滅多におらず、値段も一番高かった。


「あそこは観にくくて仕方ない。私はいつも正面のボックス席で観ている」


 それでも二番目に高い席で観るのだからさすが王子様といったところだろうか。


「きみたちも一緒に観るか?」

「私たちもすでにとっていますから」

「ボックス席か?」

「いえ、普通に平土間席ですが」

「前の方か?」

「いえ、後ろの方だったと思いますが」

「それはいけない! あそこは前の席に胴長の者が来てしまうと悲惨なことになってしまう」


 サミュエルはやはり一緒に観ようと言い出した。


「しかし悪いですよ、そんな……」

「いいや。素晴らしい芝居は特等席で観てこそだ。絶対に私の席から観た方が感動する!」


 熱のこもった口調で力説するサミュエルにラファエルは「落ち着いて下さい」と宥める。イリスはなんだかベルティーユを思い出した。好きなものについて語る時の熱量は兄妹そっくりらしい。


「よし。今日ここできみたちに会えたのも何かの縁だ。一緒に観劇を楽しもうじゃないか」


 こうしてサミュエルに押し切られる形で四人はボックス席で観ることになったのだった。



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