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噂の正体


「殿下。失礼致しました」

「いやいや実に興味深いものを見せてもらった。最初はおまえの見たこともない表情を見られて面白く思っていたが、次第に自分は何を見せられているのか、という心情になっていってな、これがいわゆる当てられた、というやつだなと実感していたところだ」

「あの、殿下。本当に申し訳ありません」


 イリスも恥ずかしさと申し訳なさで謝ると、サミュエルはいいんだと手を振った。


「そもそもきみたちの仲を拗らせる原因になったのが、私にあったようだからな。ラファエルが落ち込んでいるのは、私も見ていられなかった」

「ラファエルが?」

「そうだ。どんよりとした雰囲気でな、普段の彼なら絶対しないミスを連発して、」

「まぁ」

「それで私がどうしたかとたずねると、いきなり私に時間をくれと言い出してな、愛する婚約者に誤解されてしまってもう何も手につかないと、」

「殿下」


 ラファエルが怖い顔をして遮る。


「っと、悪い、悪い。とにかくイリス嬢。私の余計な発言のせいできみたち二人の仲を拗れさせてしまってすまない」

「そんな……殿下のせいではありません」


 イリスが否定しても、サミュエルは「そうとも言えないんだ」と困ったように否定した。


「ラファエルの“氷の騎士”の名を広めてしまう原因も、私にあるんだ」

「殿下に?」


 一体どういうことだ、とイリスが思っているとラファエルが引き継いだ。


「イリス。サミュエル殿下は非常に女性にもてる」

「もてる?」

「そうだ」


 大真面目で頷くラファエルに、未だ話の趣旨が掴めない。


「王子様だから、それはもてるだろうね?」


 ラファエルほどではないが、サミュエルも美しい容姿をしている。おまけに王子という地位だ。人気なのはさも当然ではなかろうか。


「イリスが想像している百倍は人気だ」

「百倍……」

「それはいくら何でも言い過ぎではないか、ラファエル?」


 髪をかき上げながらサミュエルが訂正する。あまりそう思っていない仕草であった。


「いいえ、全く。貴方は隙あらば女性に言い寄られる生活を送っておられます」

「隙あらば……」


 そういえば、とイリスは思い出す。


「お茶会の時、すごく歓迎されているご様子だったわ」

「だろう? あんなのまだ序の口だ」

「あれで?」

「そうだ。本気で王太子殿下の伴侶に選ばれようとする者はもっと積極的だ」


 つまりサミュエルの妃を狙っている女性がたくさんいるわけだ。それは個人の願望もあるだろうし、家の事情を背負った者もいるだろう。


「幸いにも……と言っていいかわからんが、殿下にはまだ決まった相手はいない。だからこそ自分こそが、と立候補したがる女がいすぎて、毎日俺たち護衛の人間が苦労している」


 疲れの滲んだ顔でラファエルはため息をつく。

 彼が日頃大変な苦労を強いられていることはよくわかったが、イリスにはいまいちよくわからなかった。


「それって例えば、どんな感じなの?」


 教えて、とイリスが純粋な好奇心からたずねると、ラファエルは少し躊躇した。


「あまりおまえの耳には入れたくないが……そうだな。例えば以前、びや……惚れ薬を混ぜて作ったという焼き菓子を殿下に食べさせようとしたことがある」

「惚れ薬!」


 昔読んだ絵本に、悪い魔女が王子を誑かそうとして惚れ薬を作る話があった。お伽話だけに出てくるアイテムが実際にもあると知って、イリスは少し胸が躍った。


「ほんとにそんな薬あるんだね」

「あ、ああ。世の中には妖しい薬がたくさんあるんだ」


 おまえも気をつけろよ、と注意され、イリスはこくこく頷いた。


「でも惚れ薬なんて大変……殿下はそのお菓子を食べずに済んだの?」

「ああ。普通王族の口に入れるものは毒味をさせるから、殿下が口にする前に回収して、他の人間に食べさせたんだ」

「えっ、食べちゃったの? じゃあその人はお菓子をあげた子に惚れちゃって、企みがばれたということ?」

「いや、それは……」


 突然ごにょごにょと口ごもるラファエルに、イリスはどういうこと? とどこまでも純粋な気持ちでたずねた。


「ラファエル。私が代わりに教えてあげようか?」


 なぜか笑いをかみ殺している様子のサミュエルが横から口を挟む。ラファエルは軽蔑したような顔で「けっこうです」と即座に断った。


「殿下は余計なことを言わず、黙っていて下さい」

「遠慮せずとも、」

「貴方の言葉でイリスが汚れますから」

「その言い方、酷くないか?」

「いいえ、ちっとも。イリスを守るためですから」

「あまり過保護すぎるのも、良くないと思うぞ」


 サミュエルの抗議を無視し、「とにかく!」とラファエルは強引にこの話を終わらせようとする。


「そういうことがあったから、殿下が飲食物を知らない人間から受け取らないよう、護衛の間で取り決めたんだ」

「もらうのもダメなの?」

「厳しいだろう?」


 愚痴を零すサミュエル。ラファエルは何を言っているのだという口調で主君を窘めた。


「そうでもしないと、貴方はその場で口にしようとするでしょう」

「それは仕方ない。相手の女性がわざわざ私のために、一生懸命作ってくれたのだ」

「貴族の女性が自ら厨房に立つわけないでしょう。料理人に作らせたに決まっています」


 たしかに貴族の令嬢が料理することなどまずない。それは使用人の仕事であり、手を出すことは彼らの仕事を奪い、自分の貴族としての品位を下げる行いだと見なされていたから。


「そんなのわからないさ。中には物好きの女性もいるかもしれない」

「十人も二十人もそんな令嬢いません」

「一人くらいは、いるということだ」


 サミュエルが軽快に言い返す度、ラファエルの顔は険しさを増す。

 しかしベルティーユの兄というだけあって、彼もラファエルの顔色などちっとも気にしていない様子で話を続ける。


「それにな、ラファエル。手作りであろうと、そうでなかろうと、別に私はどちらでも構わない。大切なことは、作り方ではない。私に食べて欲しいと、緊張した、けれどとても可愛らしい表情で彼女たちがお願いしたこと。決死の想いで私に伝えたこと。忘れてならないのは、そういった気持ちだ」


 なぁ、イリス嬢? と意見を求められる。


「それはそう、ですけど……」

「だろう? 断るということは、そんな彼女たちの乙女心を無下にするということだ。残酷で、酷い仕打ちじゃないか。だから私がびや……惚れ薬を飲むくらい、些細な問題だと思わないか?」


 なぁ、ラファエルと問えば、彼は目を吊り上げた。


「大問題です! もしそれが惚れ薬ではなく毒だったりしたら、一体どうするおつもりですか!」

「大丈夫だ。王家の人間として、毒に対する耐性は小さい頃からつけている」


 さらりと衝撃的な過去を打ち明けたサミュエルにラファエルは意表を突かれたように黙り込んだ。苦虫を噛み潰したような顔をして、サミュエルから目を逸らす。


「貴方がそんな調子だから、私たちも常に目を光らせておく必要があるんですよ」

「ああ。だからラファエルや他の騎士たちにもいつも感謝している。ありがとう」


 そう言われては、ラファエルももう何も言えないだろう。

 頭が痛い、と額を押さえて呻く幼馴染の背中を、イリスは労わるようにそっと撫でた。


「大変なんだね、ラファエル」

「……ああ、すごくな。未婚の令嬢相手なら、保護者に言ってある程度取り締まる事ができるが、これが夫人相手となると対処が難しくなる」

「もう結婚した女性まで殿下に言い寄るの?」


 教会で神に誓った相手がいるというのに、どうして夫以外の男性にそういうことをするのだろう。イリスは理解を通り越して、嫌悪感が湧いた。


「どうしてそんなことするの?」

「それは……」

「いろんな理由があるんだよ、イリス嬢」


 笑うようにサミュエルは言ったけれど、その顔はイリスよりもずっと大人びていて、多くのことを経験してきたように見えた。彼の言ういろんな理由とやらをイリスは詳しく知りたい気もしたけれど、今はまだ少し怖くて、それ以上たずねることを拒む自分がいた。


「相手の女性にどんな理由があれ、まだ結婚していない殿下によからぬ噂が立つのはよくない。今後の婚姻にも支障をきたす場合がある」

「……そういう相手には、どう対処するの?」

「やんわり断っても都合のいいように解釈されるから、はっきりと断るのがいい」


 はっきり……


「二度と現れるな、とラファエルは言ったことがあったな」


(それってどこかで……)


『特に女性に対してはそっけなくて、俺の前に二度と現れるなって――』

「あっ」


 以前茶会でベルティーユたちが話していた内容ではないか。


(でも彼女たちは……)


「夫人に迫られたのはラファエルじゃないの?」

「違う。迫られたのは殿下だ。俺じゃない」

「そう、なの?」

「ああ。俺は殿下相手に夫人がしつこく迫るから、それ以上近づかれてはこちらもただではすまないということを、職務上言っただけだ」


 つまり「二度と現れるな」というのは「二度とサミュエル殿下の前に現れるな」という意味だったらしい。


 イリスは驚いて彼の顔をまじまじと見つめた。


「じゃあ、お菓子をもらって毒がないか調べる、っていうのは……」

「俺ではなく、殿下がもらった話だ。俺は菓子なんかもらったりしない」

「手紙をその場で破り捨てた、ってのは……」

「それも俺じゃなくて、殿下宛ての手紙だ。二人きりで会いたいっていう逢引の誘い。しかも差出人はすでに婚約者がいる令嬢だ。ばれたら酷い醜聞沙汰になるような高位貴族からの、な」

「まぁ……」


 ラファエルに寄せられていた好意はすべてサミュエルへ向けたものだったのだ。


「あくまでもラファエルはこっそり処分したのに、なぜか目の前で破り捨てられたことになっている」

「殿下が約束の場所に現れず、私に逆恨みをした女性があえてそう言ったのでしょう」

「そんな……わたしてっきり、王女殿下がおっしゃったことは本当だと……」


 王女たちもまた、ラファエルが本当にやった出来事だと思っているようだった。


「ベルティーユがラファエルと会うことはそうないからな。実際何が起きているか、よく知らないのだろう」

「えっ、そうなんですか?」


 てっきり頻繁に顔を見合わせていると思っていた。


「俺はあくまでも殿下の護衛だ。仮に王女殿下と会うことはあっても、気軽に話すことはない」

「他の護衛もいるからな。あまり贔屓してしまうとかえって軋轢を生じかねないし、人の目があるところでは主と臣下の立場を守るようにしているんだ」


 人の目があるところでは……


「でも、舞踏会では思いっきり話しかけているような気がしましたが」

「あの時は護衛ではなく、きみの婚約者として参加していたからな。臣下ではなく、友人という立ち位置だ」


 仕事とプライベートは別、ということだろうか。

 しかしイリスにはまだ気になることがあった。


「あの、ベルティーユ様のラファエルに向ける感情はどういうものなのでしょうか」



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