再び王宮へ
急いで駆けつけてきたのか、ラファエルは息を切らしていた。だが呼吸を整える時間も惜しいとばかりにイリスの方へ大股で近づいてくると、ガシッと肩を掴んできた。
「イリス」
「ど、どうしたの。何かあったの?」
怖いくらい切羽詰まったラファエルの顔。緊迫した雰囲気にイリスはごくりと唾を飲み込んだ。
「俺と今から王宮までついて来て欲しい」
「王宮に? 今から?」
そうだ、と彼はイリスの返事も聞かず、そのまま部屋から連れて行こうとする。状況が見えぬ彼女は「ちょっと待って」とその場に踏みとどまった。
「急にそんなこと言われても、困るわ。きちんと説明してくれないと」
「王太子殿下に会って欲しいんだ」
イリスは一瞬聞き間違いだろうかと思った。
「サミュエル殿下に会って欲しい」
「そ、それはわかったけれど、どうしてまた……」
「昨日のこと……イリスが茶会で聞いたことを説明する。殿下も一緒にいた方が説得力がある」
だから一緒に来てくれ、と言われてもイリスは困ってしまう。客人を放り出して出かけるわけにはいかない。
「アナベルさんが遊びに来てくれているのよ」
「あら、イリスさん。わたくしのことなら気にしないで。そろそろ帰ろうと思っていたところだから」
「でも……」
「アナベル嬢。突然邪魔してしまって申し訳ないが、今日の所はどうかこちらに譲ってくれないか」
ラファエルが早口でそう申し出ると、アナベルは令嬢たちに商品の紹介をした時と同じ顔を作り、綺麗に微笑んだ。
「もちろんですわ。もともと急に押しかけてしまったのはこちらの方ですもの。貴方の婚約者は、貴方が訪ねてくるのを恋い焦がれるように待っていたのに」
アナベルの言葉にラファエルが驚いたようにイリスを見た。イリスは恨みがましい目でアナベルの方を見る。
「ふふ。イリスさん。どうぞ存分に戦ってらっしゃい」
いってらっしゃい、とアナベルが手を振る。
「行こう。イリス」
「わかったわ……アナベルさん。遠慮せずゆっくりしていって」
それから、と彼女はラファエルに引っ張られながら伝える。
「また二人でお茶しましょうね」
アナベルがなんと答えたかは、部屋の外に連れ出されたのでわからなかった。
「パトリス。少し出かけてくるわ」
「かしこまりました」
もっと色々聞かれるかと思ったが、あっさりと執事は了承した。
「遅くならないうちに必ず帰らせる」
「かしこまりました」
いってらっしゃいませ、とパトリスは頭を下げて見送ったのだった。
「お母さまたちに何も言わず出てきて、大丈夫だったかしら……」
馬車に乗り込み、王宮へと走り出しても、イリスは不安に駆られていた。いくらラファエルが婚約者とはいえ、未婚の女性がほいほい異性と出かけるのはやはりよろしくない気がした。
「大丈夫だ。昨日のうちにイリスを王宮に連れて行く許可を願い出ておいた」
「そうだったの?」
一体何のために……とイリスは思ったが、そこでようやく自分はラファエルと喧嘩、と言うにはあまりにも一方的であったが、とにかく後味の悪い別れをしたことを思い出した。
「あの、ラファエル。わたし……」
「イリス。今は何も言わないでくれ」
真剣な顔でそう言われ、イリスも圧倒されるように頷いてしまった。
それから王宮に着くまで二人は一言も話さず、けれどラファエルの手はイリスが逃げるのを許さないというように固く握りしめていたのだった。
「……ねぇ、本当に王太子殿下に会うの?」
「そうだ」
「ご迷惑じゃないかしら」
昨日ぶりの王宮を前に、イリスは急に怖気づいてしまう。
「緊急事態だ。やむをえない」
行くぞ、と彼はイリスの手を繋いだまま、ぐんぐんと先を急いだ。途中すれ違う人間が何事かというように振り返り、好奇心に渦巻いた目や中には心配した顔を向けてきたが、ラファエルの歩きは速く、また他人の目など気にならぬといった様子でただ真っすぐと目的地へ進んでいた。
「――殿下!」
そうしてサミュエルがいるであろう部屋の扉を豪快に開け、主君の名を呼んだ。そばで見守っていた衛兵に目もくれなかったし、彼らもまたラファエルの方をちらりと見ただけで一言も発さなかった。
「やぁ、ラファエル。そんなに慌てて、どうした」
立派な机に座って書き物していたサミュエルが特に驚きもせず、まるで茶が入ったような態度でゆっくりと顔を上げる。
「何か大変なことでも起きたのかな」
「殿下」
怒りを滲ませた声にスッとサミュエルは片手を挙げた。
「ああ、わかっている。きちんと説明するさ」
そう言うと彼はイリスににっこり微笑んだ。
「やぁ、イリス嬢。昨日ぶりだな。元気だったか?」