アナベルとの会話
「アナベルさんとこうしてお茶をするのは初めてよね」
「……そうね」
アナベルは居心地悪そうに身を動かした。それを見てイリスは不安になる。
「ひょっとしてお口に合わないかしら」
イリスの気に入った茶を淹れさせたのだが、アナベルの口には合わなかっただろうか。
「いいえ、わたくしもこのお茶、好きだわ」
「ほんと? よかった」
安心してイリスが微笑めば、アナベルは何とも言えない微妙な顔をした。
「アナベルさん?」
どうかしたの? とたずねれば、彼女は手にしていたカップをソーサーの上に置き、こぼれた髪を耳にかけた。
「いいえ。ただ、学生時代のことを考えれば、今こうして貴方とお茶しているのが本当に信じられなくて」
アナベルは空色の瞳でじっとイリスを見つめた。
「貴女、わたくしのこと嫌っていたでしょう?」
「えっと……」
「隠さないでいいのよ。朝の奉仕活動が一緒になった時とか、いつも怯えた態度でわたくしに接していたもの」
「うっ……」
気づかれていた。
「……ええ、ごめんなさい。正直、アナベルさんのことは怖いと思っていたわ」
「そうでしょうね」
「でも……苦手だったけれど、決して嫌いではなかった……と思う」
「あら。上手い言い訳ね」
ふん、とそっぽを向く彼女に、イリスは本当だよと必死で言った。
「すごいなって、思っていたよ。勉強や掃除も、誰に言われなくてもきちんとやっていたし、規律だって少しも破らないよう努力していたもの」
「当たり前でしょ」
「うん。そうなんだけど、その当たり前が難しいんだと思う」
つい仲の良い子たちと話し込んでしまって、先生に叱られることの多かったイリスは、いつも真面目な生活を心がけているアナベルに感心していた。
思うに彼女が陰でいろいろ言われていたのも、そうした態度を揶揄する心があったからかもしれない。
「それにアナベルさんが言っていること、言葉や言い方はきついけれど、ほとんど正しいことばかりだったもの」
「わたくしだって、別にいつも品行方正なわけではなかったわ」
「そうなの? ……そう言えば、みんなでラファエルのことを話していた時は会話に入ったきたし、王宮でご令嬢たちの話も熱心に聞いていたような……やっぱりアナベルさんもそういうことには興味あるんだね」
イリスがそう言うと、アナベルは一瞬狼狽えたが、すぐに「そうよ」と開き直った様子で認めた。
「だって気になるじゃない」
わたしも、とイリスは打ち明けた。
「でもわたし、彼女たちの話を聞いてとても驚いてしまったわ。都会の殿方ってもう少し素敵な方だと思っていたのに」
「しょせん男は顔だけじゃないってことね。いい勉強になったわ」
「アナベルさんは将来どんな方とお付き合いしたいの?」
「結婚する人間はお父様が決めることだから、その質問はあまり意味がないように思うけれど……そうね、強いて言うなら、わたくしより美しくない男がいいかしら」
「えっ?」
アナベルより美しくない男?
「アナベルさんより美しい男、ではなくて?」
「いいえ。美しくない男よ」
イリスは目を真ん丸と見開いた。
「なによ、その信じられないという顔は」
「えっと、なんだか意外で……」
彼女のことだから、自分の隣に立っても見劣りしない容姿の美しい人間を条件にあげると思っていた。
「自分より美しい男が隣にいたら、そちらにばかり目が行くじゃない」
「だめなの?」
「だめよ、そんなの。夫が妻より目立つなんて許しがたいわ」
「はぁ……」
そういうものなのだろうか?
学校では妻は夫を立てるもの、なんて教えられたが、アナベルの考えはその真逆である。
「わたくしはね、イリスさん。夫にはわたくしという存在を崇め立てるように、接して欲しいと思っていますの」
「崇め立てる……それはアナベルさんのことを神様のように思うってこと?」
「そうよ。わたくしの顔を見るたびに自分はなんて美しい人と結婚できたのかと幸福を噛みしめて欲しいの。わたくしはそんな夫を深く愛するわ。それで周りも、わたくしたち夫婦を見て、あの夫婦はなんて素晴らしいのだろうって感激するのよ」
完璧ではなくて? とアナベルは自信たっぷりに、夢見るように言った。
(アナベルさん、こんなこと考えている人だったんだなぁ……)
ラファエルが見かけで人を判断するなと昔言っていたが、全くもってその通りだと今の話を聞いて思った。
「じゃあ、アナベルさんにとって、王太子殿下やラファエルのような人間は対象外ということ?」
「ええ。論外ね。お二人とも、とても素敵なお顔立ちだけど、一緒に並んでいたら絶対にわたくしの存在が霞んでしまうし、なんであんな女が? って女性陣からの妬みを買う可能性が高いもの」
アナベルは冷静に自分とサミュエルたちの容姿を分析した。
「特に貴女の婚約者は、絶対に勘弁願いたいわ」
「はぁ……」
勘弁願いたいと言われても、すでに彼はイリスの婚約者であるからアナベルの心配は杞憂である。
(でもここまで言われるラファエルの美貌って……)
イリスはラファエルの隣に立つのが不安になってきた。
「まぁ、ラファエル様は容姿の件を抜きにしても、いろいろ怖い噂があるようだから、結婚相手には嫌厭されているようだけれど」
「でも、冷たく拒絶する必要があるくらいには言い募られているわ」
ラファエルとの喧嘩を思い出し、ついイリスは棘のある口調でそう返していた。
「あら、貴女もそんな顔できるのね」
「そんな顔って?」
「嫉妬で歪む、醜い顔」
とっても不細工よ、と言われイリスは思わず頬に手をやる。ふふ、とアナベルが初めて面白そうに笑った。
「アナベルさん。辛辣だわ……」
「あら、思ったことをはっきり言ってあげるのが、友人というものではなくて?」
「こういう時に友人って言葉を使うのはずるいわ」
ふん、とアナベルがまたそっぽを向く。
「あんな顔のいい婚約者がすでにいるのに、貴女がいつまでたってもうじうじ考えているのが悪いのよ」
「……うじうじ考えているかしら、わたし」
「考えているわよ。ついでに茶会の帰りに、馬車の前でみっともなく喧嘩している姿を晒した所も、わたくしどうかと思うわ」
「えっ、アナベルさん昨日の見ていたの!?」
「ええ。偶然ね。わたくし以外にも見ている方はいらしたんじゃないかしら」
(うそ……)
恥ずかしい、とイリスは顔を両手で覆って呻いた。
「……アナベルさん」
「なぁに?」
「わたし、ラファエルと喧嘩してしまったの」
「見ればわかるわよ」
うん、とイリスは手をどけて、困ったようにアナベルを見つめた。
「わたしたち、ずっと幼い頃から結婚するって約束していたんだけれど」
「惚気なの?」
「わたしがこちらへ帰ってきてから、お母さまたちはラファエル以外の男性にも目を向けなさいって言って……王宮ではラファエルが氷の騎士って呼ばれていて、王女殿下やご令嬢たちにも人気らしくて……でも、ラファエルはそのことにちっとも自覚がないようで……」
「だから?」
「不安になってしまったの。本当にラファエルと結婚できるか、お母さまたちをきちんと説得できるかどうか、ラファエルが他の女性と何かあったらどうしようとか……そんな、どうしようもない、些細なことばかり考えてしまって……」
アナベルがはぁと深いため意をついた。イリスはびくっと肩を震わせ、「ごめんね」と謝った。
「こんなこと、アナベルさんに言っても困るだけだよね」
「本当よ」
「うっ、本当にごめんなさい……」
「わたくしに言ってどうするのよ。そういうことは貴女の婚約者に伝えなさいよ」
いいこと? とアナベルが言う。
「貴女たちはいずれ夫婦になるんだから。当人同士の問題は当人同士で解決するしかないでしょ。不満や不安も言えない夫婦の仲なんて、すれ違いの始まりで、取り返しのつかないほど拗れてしまって、最後には破綻するだけよ」
「……アナベルさんの言葉、なんだか説得力あるね」
「当然よ。わたくしのお母様とお父様たちの自論なんですから」
たしか彼女の母親は男爵令嬢で、父親は平民である。いくら商人で、お金持ちだからといって、決して平坦な道とは言えなかっただろう。
「言っておきますけど、二人ともとっても仲睦まじいのよ」
「そうなの?」
「ええ。もちろんですわ。巷では金や爵位目当ての結婚だなんて言われてるけれど……」
「違うの?」
「……まぁ、多少そういう打算的な考えはあったでしょうね。なにせお金や名誉は大切だもの。たとえ貧乏でも幸せになれるなんて、わたくしはただの負け惜しみだと思っているわ」
「そうかなぁ……」
お金がなくとも幸せな恋人や夫婦はいる。その方が夢があっていいなぁとイリスは思ったが、アナベルは違うようだ。
「ともかく! お互い得るものはあったとしても、まず何よりお二人は恋に落ちたの。愛していたの。だからたとえ大変なことが待っていようと、結婚しようと決めたの。それを履き違えないでちょうだい」
大事なことだと言わんばかりにアナベルは語気を強めた。
誤解して欲しくないのだろう。
(ご両親のこと、大切に思っていらっしゃるのね……)
「わかったわ、アナベルさん。あなたのご両親が深く愛し合った末に結ばれたこと、きちんと覚えておくわ」
イリスがしっかりそう伝えると、アナベルは満足そうな、誇らしげな顔をした。気の強い少女の意外な一面を見た気がして、イリスは微笑ましく思う。
「アナベルさんも、ご両親のような素敵な出会いがあるといいね」
「ええ。そのためにずっと努力してきましたもの。必ずこの手で掴み取ってみせますわ」
「そ、そっか……」
ガシッと空を掴む動作をするアナベルに、逞しいな、とイリスが少し圧倒されていると、彼女は「貴女もよ」と言い放った。
「婚約者であることに胡坐をかいていたら、横から掻っ攫われるわよ」
「それは……ラファエルが?」
「他に誰がいるっていうのよ」
イリスは慌てて「でも!」と言った。
「さっき、ラファエルは結婚相手には嫌厭されるって……」
「あら。全員が全員そうとは限らないわよ。中には顔と家柄だけを目当てに近づく女性だっているかもしれないんだから」
「そんな人、いるの?」
「いるに決まっているじゃない」
逆にどうしていないと思うわけ? とアナベルは呆れた顔をする。
「貴女だって、あのお茶会で、ご令嬢たちが王太子殿下相手にぐいぐい迫っている姿見たでしょう? あれをもっと積極的に行う女性だっているはずよ。それこそ見栄も外聞も捨ててね」
周囲の視線など気にせず、ラファエルに迫る女性……。
「そんなの、嫌だわ……」
自分以外の女性がラファエルにべたべた触るなど、イリスは考えるだけで嫌だ。
「だったら戦うのよ」
「戦う?」
「そうよ。女性には女性の戦い方があるの。貴女がラファエル様の特別ですって周りにアピールして、他の女性の手になんか絶対渡らないわよって相手の女に突き付けてやるの」
どうやって……と聞こうしたイリスは何やら部屋の外が騒がしいのに気づいた。何かしら、と腰を上げかけると、扉が乱暴に開かれる。その顔を見て、イリスは「まぁ」と声を上げた。
「ラファエル。一体どうしたの?」