喧嘩別れ
「そろそろお開きにしましょうか」
「そうですわね」
アナベルから心躍る商品の話をされ、満足した様子で令嬢たちは頷き合った。
「では王宮の外まで、私の騎士に送らせよう」
「まぁ、そんな悪いですわ」
「気にするな。ベルティーユの護衛騎士がいる。私はここに残っているから、きみたち、彼女たちをちょっと送ってきてくれ」
サミュエルの命に近衛騎士は「しかし……」と躊躇した表情を見せたが、一番年上であろう騎士が何か言うと、すぐに命令通り動き始めた。
エスコートする形で見送られることが果たして本当に必要なことかはわからないけれど、イリスはラファエルに右手を差し出された。
「どうした?」
「……ううん」
ラファエルと会うのは舞踏会以来だ。少し、照れ臭い。
しかし今は人の目があるので、素直に言うのも躊躇われ、イリスは黙ってラファエルの手を取った。
「それじゃあ、みなさん。どうかお気をつけてお帰り下さい」
「また遊びに来てくれ」
さようなら、と見送る兄妹は実に楽しそうにこちらを見ていた……ように見えたのは気のせいだろうか。
「今日は楽しい時を過ごせましたか?」
「ええ。とっても」
騎士というものは存在だけで何となくかっこよく思えるものだ。年頃の娘ならなおのこと。しかもサミュエルの護衛をしている騎士たちはみな身長が高く、顔立ちも整っている者が多い。令嬢たちも愚痴を述べた時とは違った、楚々とした雰囲気で男性たちと言葉を交わしている。
(まさか顔が基準……?)
いや、いくら何でもそんなことはあるまい。偶然であろう。
「さっきから黙ってどうした?」
イリスとラファエルは前を歩く彼女たちと少し距離を空けて歩いていた。見送りとはいえ彼はまだ勤務中であり、気軽に話しかけていいものか迷っていたイリスは黙り込んでしまっていた。
「えっと、今話していいのかなって……」
「まぁ、少しくらいいいだろう。前のやつらだって話しているしな」
それもそうか、とイリスは思って肩の力を抜いた。
「疲れたか?」
「うん、少し。でも、有意義な時間だったと思う。助言もしてくれて……」
『一人の人間で無理ならば、他の相手からも意見を聞いてみるといい』
サミュエルの言葉に、イリスはもう一度両親と話し合ってみようと思った。今度は母のマリエットだけではなく、父のシェファール侯爵からも。
「助言って、何か悩みでもあるのか?」
「うん。ちょっと……でも、何とかなりそう」
「……ご令嬢たちに相談に乗ってもらったのか」
「ううん。王太子殿下から」
イリスがそう言うと、ラファエルは驚いた声を上げる。
「殿下から?」
「そうよ。さすが王子様ね。言葉に説得力があったわ」
揶揄って遊ぶ点は苦手だけれど、と心の中でこっそり付け足した。
「相談なら……」
「うん?」
「俺にすればよかっただろ」
「ラファエルには……」
できない、とイリスは小さくつぶやいた。
「なんで」
「それは……」
「今まで、ずっと俺に相談してきただろう?」
たしかに今までならラファエルを真っ先に頼った。他のことなら、間違いなくそうしただろう。
でも今回はだめだ。マリエットがラファエルの家を下に見ていること。婚約をいつでも簡単に破棄できると思っていること。言ってしまえば、きっとラファエルを傷つけてしまう。
(それにこれはわたしの家の問題だもの)
自分の家族のことくらい、自力で説得したい。そうして初めて、胸を張ってラファエルと結婚できる気がした。イリスにだってできるはずだ。
「わたしだけで解決したいの」
「殿下に相談した時点で、自力とは言えないだろ」
ラファエルはイリスの答えに納得がいかないと、不満そうな声で言った。
「それは……」
「殿下には相談できても、婚約者である俺にはできないのか」
「わたしから相談したわけじゃないよ。流れで、そういう話になったの」
そもそも相談したとも言えない。サミュエルはただイリスの顔を見て何か悩んでいるのだろうと察しただけだ。
しかしラファエルにそう説明しても、彼の顔は疑わしいままである。信じてくれない態度に、イリスはちょっと腹が立った。
「わたしから殿下に悩みを相談するなんて、そんな大それたこと、できるはずがないじゃない」
「どうだろうな。けっこう楽しそうに話していたじゃないか」
「楽しそう?」
あれが? と思った。
「わたし、すごく緊張していたわ」
「そうか? 俺にはそう見えなかった。殿下もいつもより笑っていらした。イリスだって、なんだかんだ言って楽しかったんだろ」
いつになく決めつけたような口調。自分ではなく、サミュエルの態度を基準に判断した考え。ちょっとの怒りが、とっても大きく膨らんだ。
(わたしはラファエルに助けを求めていたのに!)
「……そうだね。楽しかったよ。わたしの知らないラファエルのこと、たくさん教えてもらったもの」
「俺のこと?」
「そう。ラファエルが女性にすごくモテているってこと!」
「は?」
なんだそれ、とラファエルが呆気にとられる。その表情を、白々しいとイリスは思った。
「隠さないでいいよ。夫人に迫られて、ファンクラブまであって、月みたいで、氷の騎士って呼ばれているくらい、女の人に人気なんでしょ!」
「いや、後半言っていることがよくわからないんだが……」
では前半はわかるということではないか。夫人に迫られたことは事実で、認めるわけだ。
イリスはますます面白くない気持ちにさせられた。
迎えの馬車が見えてきて、もうすぐお別れだというのに、ちっとも名残惜しくない。
「おい、イリス。一体茶会で何を言われたか知らんが、おそらく誤解している部分がある」
「どうして? ベルティーユ様が教えてくれたんだよ? ラファエルのこと、ずっと近くで見てきた人たちが言ったんだよ? 間違えるはずなんてないよ」
「いや、ベルティーユ様は……」
王女殿下の名前を出されたことが、今だけはなぜか許せなくなって、イリスはラファエルの手を振り解き、ラファエルが何かを言う前に口を開いた。
「ええ、わかっているわ。ラファエルはすごく真面目だもんね。相手の女性から誘われても、きちんと断っているんでしょ。でもね、ラファエル。いくら断るにしても、プレゼントしてくれたお菓子に毒がないか疑ったり、手紙を破いたり、二度と俺の前に現れるな、なんて酷いこと言ったりするのは、わたし、どうかと思うわ」
あの令嬢たちの話し方に感化されたわけではないだろうが、イリスは自分が自分ではないような気がした。こんなふうに相手を言葉で責めるなど、今までなかったのだ。彼女がラファエルに対して怒る時は、たいてい拙い言葉で、一言二言、言い返すだけ。それもただ己の感情をぶつけるだけだった。
「相手の女性だって、きっとすごく勇気を出したのに。それを冷たい言葉で切り捨てるなんて酷いよ。ラファエルがそんな人だったなんて、わたし知らなかったし、悲しかったし、ショックだった!」
はっきりと自分の酷いと思った点をイリスは伝えた。
そんなイリスの言葉と態度に、ラファエルは呆気にとられたようだった。しかしすぐに我に返ったようで、「違う!」と反論した。
「いいか、それはサミュエル殿下が――」
イリスがもう少し冷静であれば、いや、いつものイリスならば、ここでラファエルの言葉に素直に耳を傾けようとしただろう。彼にも事情があったのだろうと一度立ち止まって思い直したはずだ。
けれどこの時のイリスは怒っていた。もうラファエルなんて知らない! と思うくらい。
だから彼女は実際「言い訳なんて聞きたくない!」と捨て台詞を吐いて、迎えの馬車へと駆け込んだ。そして「イリス!」というラファエルの焦った声も無視して、御者に馬車を出すよう命じたのだった。




