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 ――ドアが開いた病室のベッドで、何やら童謡を口ずさむ長い髪の少女が、あやとりをしていた。


「千代。松枝はんが来てくれたで」


 キヨのその言葉に、少女がゆっくりと顔を向けた。途端、


「ヒェーッ!」


 松枝が悲鳴を上げた。


 白粉(おしろい)をべったりと塗った真っ白い顔に真っ赤な口紅を塗った少女が、にぃーっと笑った。


「あやとりしまひょ。ねぇ、あやとりしまひょ」


 松枝を誘った。


「ち、ち、ちゃう!うちちゃう。うちは殺してへん。いゃーっ!」


 松枝は、訳の分からないことを(わめ)いて後ずさりすると、逃げるように出ていった。



 そんなある日。聡は浩一郎と差しで話をした。


「……結婚したい人がいます」


 聡は真剣な顔つきを構えた。


「千代菊か」


 浩一郎がズバリと当てた。


「あ、……はいっ」


 咄嗟に浩一郎を視た。


「あかん。嫁に芸子はあかん」


「どうしてですか。田所の名誉ですか」


 聡は何年か振りに熱くなっていた。


「そのとおりや。千代菊は(めかけ)にしときなはれ。結婚相手は毛並みが()ないとあかん」


 頑迷固陋(がんめいころう)なる浩一郎の偏見が聡は鼻に付いた。


「分かりました。そしたら、田所と縁を切らせてください。それから、会社も辞めます」


 聡は覚悟を決めると、ソファから腰を上げた。


「ちょい待て!本気で言うてるんか」


 浩一郎が狼狽(うろた)えた。


「ええ、もちろん本気ですよ。息子の見る目を信じられない親に、ついて行ける訳がないでしょ?」


 聡は理路整然(りろせいぜん)と言った。


「うむ……。勝手にしなはれ」


 浩一郎は面白くない顔をすると、横を向いた。


「三十二年間、ありがとうございました」


 聡は頭を下げると、居間から出ていった。


 当座の着替えを旅行(かばん)に詰め込むと、住み慣れた家を後にした。



 千代菊との愛の巣に到着すると、何だか(うま)そうな匂いがしていた。割烹着に身を(くる)んだ千代菊が、笑みを(たた)えて迎えてくれた。


「お帰りなさい。あら、旅行?」


 提げた鞄を視た。


「……家出してきた。今日からここが我が家だ」


 聡は腹を決めた。


「ほんまに?うれしいわ」


 華奢(きゃしゃ)な千代菊が聡の首にぶら下がった。


 料理は苦手な千代菊だが、料理本を見ながら、聡のために心を込めた。


「すき焼きと、ほたての()え物を作ってみたの」


 千代菊は心配そうに、聡の食べる顔を眺めていた。


「うむ……。うまい」


 割下(わりした)が少し甘かったが、不味(まず)くはなかった。


「えー、ほんまに?うれしいわ」


「千代菊は、東京弁と京都弁がごっちゃになってしまったな」


「そやかて、折角、聡はんに東京弁教えてもろうてるのに、使わな勿体ないもの」


 すき焼きの焼き豆腐を口に運びながら、千代菊が上目(づか)いをした。


「それは構わないが、なんだか可笑(おか)しくてな」


「いけずやわ。もっと上手になるさかい、待っとって」


「ああ、期待してるよ」


 教え子ができたみたいで、聡はくすぐったかった。



 一方、あれほど出歩いていた松枝は、部屋に閉じこもり、独り言を呟いたり、訳の分からない童謡を歌ったりと、小粋(こいき)だった芸妓時代の面影はどこにもなかった。



 キヨは、千代に会わせた時の松枝の言葉が気になっていた。


「うちは殺してへん」


 一体、誰のことを指して言ったのか。……まさか、善蔵のこと?だか、菅井は不治の病だと告げた。


 菅井に確認することにしたキヨは、徒歩二十分ほどの〈菅井医院〉へ行った。〈菅井医院〉は、亡夫の亀吉の主治医で、菅井の父親の代からの付き合いになるが、善蔵の死後は菅井とは会っていなかった。


 待合室には誰もおらず、院内は閑散(かんさん)としていた。奥から出てきた菅井は、キヨの顔を視た途端、驚いた顔をしたが、すぐに平静(へいせい)を装って、目を笑わせた。


「ご無沙汰(ぶさた)しとります」


 キヨが深々と頭を下げた。


「こらこら。お元気そうで何よりどす」


 当時は黒々としていた髪も、(びん)には白いものがあった。アイロンの折り目がない着古した白衣から、世話を焼く人が身近に居ないことが察知できた。


「……善蔵のことで――」


 キヨのその一言(ひとこと)で、菅井は向きを変えると、診察室のノブを握った。――カルテを捲る菅井に落ち着きがなかった。


「……善蔵はほんまに不治の病やったんでっしゃろか」


「どないしたんどすか?今頃になって」


 菅井は手を動かしながら、キヨを見ないで訊いた。


「へぇ。なんでか知らへんけど気になるもんどすさかい。……殺され――」


「いぇ!不治の病どす」


 キヨの話が終わらないうちに、そう、強く断言すると、キヨを(にら)んだ。キヨは息を呑むと、眼球を覆っていた(まぶた)を上げた。……あの、穏やかな菅井と同じ人間と思えなかった。


「当時の医学では病名が分からんかった。そやから、不治の病とだけ告げたんどす。すんまへんけど、患者はんの予約入ってますさかい」


 菅井はそこまで言うと腰を上げて、キヨに背を向けたまま棚の資料に指を置いた。


「……突然にすんまへんどした。ほな」


 菅井の背中に挨拶をした。


 ……あの、狼狽(うろた)えぶりは何だ?……善蔵は殺されたというのか?……一体誰に?仮に殺されたとしたら、菅井はなぜ、不治の病と診断したのか?もしかして、誰かと共犯なのだろうか……。


 信じていたものが、音を立てて崩れた。不安と戦慄(せんりつ)の中で、キヨは激流に呑み込まれた思いだった。

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