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十年の初恋、片想いは更新中  作者: 茅未つき
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04. 僕のアン



 御者を急かして飛んで帰ってほどなく、もう一台の馬車が帰ってきた。もちろん、アンと母様が乗って出掛けたそれだ。

 ちょうど着替え終わったタイミングだったことに胸を撫で下ろし、何気ない顔を作って出迎えに行く。


「おかえり、アン。その、早かったんじゃ、ないか?」


 どうにも態度がぎこちなくなるのは、緊張からだ。

 母様が一緒なら玄関からだろうとの予想は当たったけど、そこから入ってきたのはアン一人。都合がいいのか悪いのか。

 会いたかった、それでも報告を聞くのが怖い、でも喋りたい。複雑な気持ちが僕の中で渦巻いている。


「いえ、半日もお役目を離れて申し訳ございませんでした。すぐに仕事に戻ります」

「あ、いや、それは別にだな、アンはほとんど休みも取っていないからたまには休んでくれても、」

「……あんまり放っておくと不機嫌になられる方がいらっしゃいますので」


 ふわ、と微笑が浮かんだ顔に、胸が高鳴る。いつもと違うフルメイク仕様での笑顔の威力は半端ない。

 思わず顔が熱くなるけど、……僕の機嫌のために休めないって、なんて横暴な主人だと思われているんだ。だけど否定もしきれない。


「か、母様は?」

「旦那様のもとです。せっかく近くまで来たのだからと、お仕事終わりに一緒に帰るとのことで。ダンがおそばに」

「そ、そうか」

「着替えて参りますので少々お待ちくださいね」

「あ、ちょ、アン!」

「はい」


 一礼して僕の横を通り抜けようとしたアンに、咄嗟に飛び出た声。呼びかけたはいいけど頭の中は真っ白で、なのに律儀に従う彼女は足を止め、続く言葉を待つ。

 目の前には着飾って見慣れないアン。普段は一つにまとめ上げている深い茶色の髪を綺麗に結い飾り、明るい色のドレスも白を下地にしているからか華美にはならず、レースが清楚に彼女を彩るようで、試着時にも垣間見たというのに改めてと思うとまともに見られずに目が泳ぐ。


「…………ッ」


 抱き締めてみてはいけないだろうかと、一瞬よぎった不埒な考えに汗が吹き出た。

 立ち尽くしたまま言葉を発さない僕に、彼女は心配そうな顔になっているというのに。


「けっ、……結婚、は、決まったのか」


 意を決して開いた口から出てきたのは、想定とまったく違う問い。いや、違うわけじゃない。結局聞きたいのはそこなんだけど、いやでもそうじゃなくて、


「あ、あー……いや、その……」


 泣きそう。

 なんだか全部が上手くいかない。ため息と一緒に頭も垂れ下がって、もういっそトドメでも刺してもらった方がいいような投げやりな気分で、だけどこれ以上無様な姿を見せたくはないと靴先を睨んで堪える。


「坊ちゃん、大変申し訳ないのですけど、」


 世話係を辞めさせていただきます――?


「準男爵のお相手には不採用と、その場で告げられまして」

「………………不採用?」

「はい。自分でも今回のお話は荷が勝ちすぎるとは思っていたのですけど……奥様がお帰りになったらどんな顔をすればいいのかと」


 顔を上げてみれば、アンはその言葉通り、なんともいえない表情を浮かべていた。それでもそこに悲しみは感じられず、

 ……なるほど、不採用。彼女にとっては転職先を斡旋されたようなものだったのだと知る。


「坊ちゃんにも送り出していただいたのに……」

「きっ、気にするな!」


 母様だってここを辞めさせたいから見合いを設けたわけじゃない。幸せを願うからこそだ。

 そこのところ誤解が生じてはいけないと、慌てて手を取る。


「そんなの相手の見る目がなかっただけだからな!」


 その手首の細さに鼓動が跳ねて、離しかけたのを、そっと包むように握り直す。


「僕はアンを手放したいわけじゃないし、母様だって同じはずだ。学園から戻った時にアンが出迎えてくれるとただいまって気がするし、いつまでもそばにいてくれるなら、僕は、」


 まっすぐに、瞳を見つめる。アンはいつだってすぐに逸らそうとするけど、青灰色をしたそれはとても綺麗でいつも僕の胸を詰まらせる。


「……結婚相手が欲しいなら、その、いざとなれば僕が引き取ってやるよ」


 息をひそめるように小さくなってしまった声が憎い。

 いざとなれば、なんて最終手段ではなく、唯一の相手でありたいのに、心臓の音がうるさくてもういっぱいいっぱいだ。握っている手だけが支えのような気がしてくる。

 それなのに……


「いえ、それはいいです」


 アンはあっさり首を横に振った。

 震えそうな足を抑え込んでいた分、その場に崩れ落ちそうになる。


「私ごときが坊ちゃんのお手を煩わせるなんて滅相もありません」


 ああ、僕の世話係はなんて真面目で美しいんだろう。

 その顔は伯爵家の使用人としての誇りに輝くようで、背筋はしゃんと伸び、ドレスに身を包んでいてもそこらの令嬢には見られない強さがあった。


 ……分かっていた、そう簡単に伝わるわけがないことくらい。

 働き者の彼女と不器用な僕では、身分の差だけが障害ではない。


 失礼します、と奥へと下がっていく後ろ姿を見送って、ため息を飲み込む。数分もすれば、彼女はいつものお仕着せでテキパキと働き始めるはずだ。

 初恋は実らないと聞くけど、僕の初恋がそうなるとは誰に言い切れるものでもない。

 僕はあと二年もしないうちに成人するし、彼女との未来に可能性があるなら勉学だって何だってこれまで以上に真剣に取り組もう。誰の反対も抑え込めるくらいには力をつけてみせるつもりだ。



 ――いつか捕まえるからな、僕のアン!



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