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十年の初恋、片想いは更新中  作者: 茅未つき
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02. 僕は無力な子供



 僕には、好きな人がいる。


 真面目で優しくて、働き者で、何も言わないでもあれこれ察して動いてくれるような優秀な人で、そのくせおかしなところで鈍感で。とても、とても可愛らしい人。


 屋敷に入ったばかりの、ちょこちょこ走り回って働く姿が愛らしかったのを覚えている。当時の僕はまだ片手ほどの年齢だったけど、懸命になりすぎて難しい顔になっていた彼女が僕を見て微笑んだ、それがトドメっていうから自分で思うのも何だけど、僕はちょろい。


 その瞬間から今日この時まで、ずっと恋しく想い続けて……いつの間にか十年。

 僕の片想いの日々は、また更新されていく。


「おかえりなさい、母様。お待ちしておりました」

「あら、エンリック。珍しいこと」


 衝撃から立ち直った僕は、諸悪の根源であるらしい母様の帰宅を待ち構えた。あの話のせいで勉強も何もかも手につかず、普段よりぐっと長く感じる一日を過ごすのは、もうそれだけでなかなかに苦しいことだった。


 それでもまだ、この話が出たのが学園の長期休みの間で良かった。そうでなければ僕の知らないうちに、何を間違ってかトントン拍子に結婚、なんてことになった可能性はある。なんせアンは魅力的な女性だ、まさしく恋している僕が言うんだから間違いない。

 もしも、万が一にも、そんな展開になったなら、再会を楽しみにひさしぶりに帰省した家にはいるはずの彼女の姿がなく、ようやく会えたとしても「坊ちゃん、私、結婚しました」なんてにっこり笑顔を向けられ……、いや、想像しただけで僕はこれから先、生きていける自信が無くなってしまう。


 馬車で帰ってきたばかりの母様は、仁王立ちで出迎えた僕の姿に察するものがあったのか、一瞥してにっこりと笑ってみせた。

 母様の指示を受けたメイドがテラスに席を設ける。テーブルにのるのは形ばかりの軽食のセット。昼食もろくに喉を通らなかった僕は当然そんな気分でないし、母様は外で甘いものなんかをいろいろ摂取してきたみたいだし、でもまあ何もないよりは手慰みにでもなるだろう。


「それで?」


 優雅な手つきでカップを持ち上げた母様が、ゆったりと口を開いた。穏やかに吹く風が、まだ高い陽射しの熱をのせている。


「……見合いってなんですか」

「あなた、その歳になって見合いが何であるかも知らないの?」

「そんなわけないでしょ! 茶化さないで!」


 思わず手をついたテーブルの上、茶器がガチャンと鳴る。母様は見咎めるように眉をひそめ、その仕草に怯んで座り直す僕に、小さく肩をすくめてみせる。


「だってねえ、あの子もそろそろいい歳でしょう」

「まだ十八ですっ」

「あら詳しい。アンのことになると必死ねえ」


 うふふと微笑まれても、今の僕にとっては神経を逆撫でられるだけ。


「でも十八ともなると、結婚していてもおかしくはないのよ、知っているでしょうに。むしろ遅いくらいだわ」

「だけど母様、アンは上手くいったら辞めるようなことを言うんだ、そんなの困るじゃない」

「そうねえ、あの子は働き者だもの」

「だったら!」


 今度はテーブルを揺らさないよう身を乗り出して、気合いを込めた視線で母様に訴える。

 アンは僕の世話を一手に引き受けてくれている。なんたってわがままでお子様な主人が、まあつまりは僕が、他の人間に手を出されると途端に不機嫌になるからだ。

 ……というような理由はひとまず棚上げで置いておくとして、雇い主としてもそんな彼女に辞められたら痛手のはず。後任を探すのも大変だし、使い物になるかも分からない、教える手間もかかる。ほら、アンを辞めさせるわけにはいかないじゃない?


「でもあの子には、身寄りもなくして懸命に働いてくれるからって、わたしたちは甘えていたと思うのよ」


 母様の視線はまっすぐ僕に向かい、はっきりと諭しているのが分かった。


「恋だって趣味だって、いろんな世界が広がる年頃の娘なのに、悪いと思っていたの」


 お前の甘えで彼女の人生を狂わせていいのかと、言っているようだと思った。

 身分違いの恋――。

 僕には嫡男としての責務があり、平民出の使用人との未来など望めるものではない。それでも僕はまだいい、妾でも何でも手元に置く手段はあって、その犠牲になるのは他の誰でもない彼女だ。その責任を背負えるのかと、初恋の熱に踊らされるばかりの僕を窘めている。


「……それでも、僕は……」







 譲れない感情に反して結局は無力な自分。葛藤をしながら日々を過ごす僕のそばで、アンは母様指示のもと、その日その時のためにと準備を進めていく。

 いつも通りのお仕着せでいいじゃないか、不貞腐れた気分もあってそう思っていたのに、母様の見立てはさすがで、彼女の魅力を引き立てる色形に素材にと選び抜かれて用意されたドレスは、しっかり者の世話係を立派な淑女へと変えてみせた。知らない者が見たなら、どこかの貴族の令嬢と聞かされたところで疑うことはないだろう。


 ありのままのアンこそが魅力的なのだと知っているのに、使用人たちの手により強引に試着させられた姿に思わず惚けてしまった。

 当の本人がほとんど無表情なくらいの顔をしているのは、乗り気ではないからだと思いたいけど、母様の選ぶ相手だ、気に入られてしまえば最後……アンの意思なんてきっと聞き入れてはもらえないんだろうと、まだ子供でしかない僕にも分かっていた。


 子供にとって親の言うことは絶対。僕が何を思おうが、今回の件は母様が決めたこと、口を出すことは許されていない。

 僕のためじゃなく他の男のために綺麗になっていく彼女を、ただ見ているしかないなんて。



 ため息が、重い。



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