そして、勇者は伝説になった。
勇者は魔王を追い詰めていた。
魔王が城を構えるこの地は、かつては緑の広がる美しい草原であった。
今は草の一本も生えない不毛の地。
その中心で、勇者は魔王と対峙していた。
勇者は今にも倒れそうなほどの、酷い傷を全身に負ってはいたが、気力だけで立ち上がり、剣を構えて魔王を睨んでいた。
魔王もまた立ってはいたが、力を使い果たしたその体は、既に限界を迎えていた。
勇者の勝利は確実であった。
その手に持った剣の一振りで、世界に平和が戻るのだ。
一歩、勇者は前に踏み出す。
その背に、無念に散った仲間の思いを、滅ぼされた町の人々の思いを、そしてなにより愛する両親の思いを背負い、また一歩、踏み出した。
もはや動くことのできない魔王に、その切っ先が突きつけられた時、魔王はその口元に笑みを浮かべた。
「素晴らしきかな、勇者よ。
数多の絶望を退け、よくぞ私をここまで追い詰めた。
そなたの強さを讃えて、約束通り、願いを叶えようじゃないか」
その言葉の直後、魔王の体が光り輝き始め、勇者は目を開けていられなくなった。
剣を手放し、目を塞いだ。
そして、光が全てを飲み込んだ。
勇者が目を開けた時、
そこには美しい緑の草原が広がっていた。
勇者は目を疑った。
自分は夢でも見ているのか?
あるいは、今までの事はすべて夢だったのか?
しかし、勇者の身に刻まれた無数の傷は確かにあり、今にも折れそうな剣は傍らに落ちていた。
だというのに、草原は元からそうだったかのように、雄大に風に揺れていた。
勇者は体に鞭を打ってその場から走った。
嘗て辿った絶望の道を、もう存在しない故郷への道を。
そこで見たものは──
皆殺しにされ滅んだはずの町が、活気に満ち溢れていた。
家族を失い、戦いに身を投じ、そして散っていった仲間が、武器を持たず幸せな家庭を築いていた。
そして
「──! どこに行っていたんだ!」
「よかった……心配していたのよ」
目の前で、魔王の手で殺されたはずの両親が、勇者の帰りを待っていた。
この世界から、魔王は消えていた。
現在からも、そして過去からも。
魔王に殺されたはずの人々は、何事も無い日々を過ごしていた。
破壊されたはずの町は、脅威に晒されることなく存在していた。
時が経ち、勇者は確かに魔王と戦い、打ち滅ぼしたはずなのに。
初めから、魔王は存在しなかったことになっていた。
勇者は、修行の旅に出ていたことになっていた。
この世界に勇者などいない。
勇者は、ただの青年となった。
少年の夢は、城の騎士である父より強くなることであった。
父に勝ち、立派な騎士になり、そして優しい母と共に、平和な世界で暮らすことであった。
ある日、平和な世界に魔王を名乗る存在が現れた。
魔王は世界の人々を無差別に襲い、世界を支配しようとした。
少年の両親は、少年の目の前で、無残にも殺された。
魔王が少年に手を伸ばした時、少年は酷く怒りに満ちた目でこう言った。
「殺す!
殺す殺す殺す殺す殺す!!!
お前を殺す! 絶対に殺してやる!!」
魔王は、伸ばしていた手を止めて、くつくつと笑った。
「面白い。
ならば待ってやろう。 お前が私を殺すその時まで。
もしもお前が私を殺すことができたならば、願いを叶えてやろう」
そう言って、魔王は姿を消した。
まるで何事も無かったかのように辺りは静かであるというのに、血の匂いが濃く染み付いていた。
少年は、父の剣を手にとった。
母に最後の抱擁をした。
少年は、勇者となった。
青年は父を打ち倒し、騎士となった。
そして城一番の騎士も倒し、国で、そして世界で一番の強者と讃えられた。
王に重宝され、人々に礼賛され、何一つ不自由の無い生活を手に入れた。
父と剣を交え、母の温かい手料理を食べ、
青年は望んだ全てを手に入れた。
だというのに、
その胸の内は、鉛となってしまったかのように重かった。
誰も死ななかった。
何も滅ばなかった。
人々は平和の世界で生き、悲しい記憶も存在しなかった。
喜ばしいはずであった。
しかし、青年は世界を嘆いた。
両親は死んだのだ。確かに死んだのだ。
幾多の町が、国が滅び、人々は絶望の中で苦しみながら死んでいったのだ。
共に戦い、無念を嘆いて死んでいった仲間がいたのだ。
それは夢ではない、事実であった。
勇者が託された思いは、本物であった。
だからこそ、数多の絶望に晒されても、倒れることなく進み続けられたのだ。
あの日染み付いた血の匂いは、今でもはっきりと匂ってくるのだ。
全て、実際にあったことのはずであった。
しかし、今、青年が生きるこの世界には、それを証明するものは何一つ残されてはいない。
魔王のことなど誰も信じず、青年は勇者ではなかった。
世界一の騎士は、一冊のボロボロの日記を残して死んだ。
その日記には、人々の知らない歴史が残されていた。
世界に魔王が現れ、一人の少年が勇者となり、人々の思いを背負い、数多の困難を退け、魔王を討ち滅ぼし、世界に平和を取り戻した。
そんな歴史である。
人々はそれを素晴らしい物語だと讃え、後の世代に語り継いだ。
そして、勇者は伝説となった。
ふと思いついたアイデアをそのまま書き連ねてみました。
少しでも面白いと思っていただけたのであれば幸いです。