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第十話 堕落の街

 最初の三日は何事もなく過ぎた。食べて寝るだけの日々が過ぎる。

 武神も忙しいのか、顔を見に来る展開もなかった。


(暇だな。行くなと命じられた。だが、行くなと命令されると、やはり気になる。街を見に行くか)

「魔術・クリエイト・アバター」


 クリエイト・アバターは感覚を共有する分身を作る魔術である。作られた分身は本人より肉体的に劣り、反応速度も遅い。なので、本人より弱い。


 だが、破壊されても本人がダメージを負う事態にはならない。

 本来は危険な地域で活動するための魔法だ。


(俺は街には行かない、行くのは、あくまでも俺の分身だ)

 苦しい言い訳ではある。だが、措置を講じないよりはましだ。


(ヘルフリートは酒を飲まないのか、ここには酒がない。酒と(つま)みを買ってくるくらいは、いいだろう。どんな街でも、酒とナッツくらいは売っているものさ)


 アバターに意識を移して、転移魔法で街の近くに飛ぶ。

 高さ十二mの石造りの城壁が見えてきた。


 城壁の前に堀はなく、門は開いていた。門から続く大通りは、閑散(かんさん)としていた。

(門が開いているのに、門衛の姿が見えない。ちょっと妙だな)


 門に近づくと、酒と煙草、それに甘い香りが混じった臭いがしてきた。

(街の入口からして、臭うな。それに、この臭いは阿片だな。どこかの売春宿から漂ってくるならまだしも、街の入口から阿片の臭いが漂ってくるとは、ただごとではないぞ)


 門の向こうには大通りが続く。街から入ってすぐの大通りなのに、人がほとんど見当たらない。

 門を潜ると、武器を手にしただらしない格好の人間が十人、地面に座っていた。


 兵士の恰好をしている。だが、どうにもだれきっていて、門衛かどうか微妙だった。

(たとえ山賊にしても、もっと身だしなみには気を使うな)


 服のボタンが外れて、髭が伸び放題なんて当たり前。鎧を半分、脱いでいる者もいる。

 気にせず通り過ぎようとする。


 男たちが面倒臭そうに立ち上がり、フィビリオを囲む。

 八人の中で一番まともな格好の男が叫ぶ。


「おい、お前。金と食い物を置いて行け。それに酒だ」

(税を払えと要求するならわかる。だが、門を潜って、いきなり恐喝か。何だ、本当にここは街の入口か? それとも、ここは山賊に支配されているのか?)


 男たちの顔に理性の色はない。きちんと食事も摂っていないのか、血色も悪い。

 何かの薬物によって支配されているようにも見える。


(人口五千人の街を支配できるなら、さぞかし大きな山賊だろう。だが、そこまで大きな仕事ができるなら、もっと規律が取れていそうなものだ)


 フィビリオが答える前に、背後から男が槍で突き懸かってきた。

 ひょいと身を躱して、手刀で首を打つ。男は倒れて動かなくなった。


(弱い。脆弱(ぜいじゃく)とか、そんな問題ではない。これでは、健康な一般人のほうが、まだ強い。体が内側から、ぼろぼろだな)


 一人を倒すと、残りの七人も一斉に襲ってきた。

 全員を殺してもよかった。だが、街の現状がわからない。掌底で顎を打つ程度にしておいた。


 二十秒と掛からずに、八人の男たちが地面に転がる。男たちを倒すと、建物の中からこちらを窺う人間たちの視線が気になった。


 顔を上げると、中年女性の顔が見える。顔には怯えの色はない。怒りもない。ただ、感情のこもらない顔で、包丁を片手に佇んでいる。


 フィビリオは女性の感情もなく、武器の包丁を片手に佇む姿に、気味の悪いものを感じた。

 辺りを見回す。建物の窓や陰から多くの人が、通りを監視していた。皆が皆、先ほどの中年女性のように感情がなく、手に何かしらの武器を持っているのが普通だった。


(何だ? この街は異常だぞ)

 歩いて数mで、路上に転がる男がいた。


 近づいて確認すると男は死んでいた。死後、数時間しか経っていないのか体は固い。

 男の傍らには割れた酒瓶がある他は、持ち物らしいものを持っていない。


 体には、包丁で肉を切り取られた痕があった。

(これは死肉から包丁で肉を切り取って持ち去った後だな)


 先ほどの街の入口の光景が思い浮かぶ。

(この街の人間は死肉を食う、ないしは生きた人間を殺して喰うのか?)


 空を見上げる。ゾンビのような意思のない顔をした男性が、虚ろな目でフィビリオを見下ろしていた。


 男性はフィビリオと目が合うと、そっと隠れる。

 嫌な感じがすると思って歩くと、またも異変に気が付いた。商店がほぼ閉まっていた。


 開いている店もあった。だが、閉店間際のように品物が何もなく、商店主もいない。

 一軒だけ開いていて、商店主がいる商店があった。


 だが、店先に商品がなく、商店主は阿片を吸っていた。

「ちょっと、いいか? ここらへんに酒場は、あるか?」


 店主は阿片により心が別の世界に飛んでいるのか、目も合わさない。

(ダメだな、まともな人間が一人もいない)


 少し歩いていくと、大通りを堂々と横切る全裸の女性がいた。目の錯覚かと思った。

 女性はフィビリオに気にしたようすもなく、裏通りに入っていく。


 気になったので尾行して行く。

 女性が裏通りに入ると、嬌声が聞こえてきたなので、深く追うのをやめた。


 表通りに戻ると、路上で包みを持って、ふらふらと歩く酔っ払いがいた。

(もう、この街で昼間の酔っ払いぐらいでは、驚きはしないがな)


 酔っ払いはフィビリオを見て笑う。酔っ払いは包みから(なた)を出して、斬り掛かってくる。

 これも、軽く気絶させる。数歩進むと、路上から子供たちが飛び出してきた。


 子供たちは倒れている酔っ払いの体をあさり始める。

 子供たちは酔っ払いから小銭を取り上げると、酔っ払いを蹴って路地裏に消える。


(ひど)い街だ。規律とか規範が、まるでない。街の大通りでも、こうなんだ。これは酒場なんて行ったら、どうなることやら)


 酒場を探すのをやめて街を歩いていく。

 酔っ払い、不審者、麻薬中毒患者に襲われながら街を歩く。


 街のいたる所に、人が亡くなったと思われ染みが残っていた。

 骨を咥えた痩せた野良犬も見た。


 何の骨かは少し気になった。だが、確かめようとは思わなかった。

 街の外れに教会を見つけた。


 教会ならまだましな人間がいるのでは、と思い扉を叩く。

 扉が開いていたので、入る。


 教会の中からも阿片と酒の匂いがした。

 礼拝道の最前列の席には、一人の男が座っている姿が見えた。


 男に近づいて行くと、礼拝所の椅子の上に寝転がる裸の若い女性五人に気が付いた。

 女性の傍には尼僧が着る僧衣が落ちていた。だが、尼僧が乱暴されたにしては、寝入っている顔はだらしない。気持ちよさそうに寝ていた。


(何なんだ、この街は? 風紀が乱れているとかの問題ではないぞ)

 礼拝堂の先頭席にいる男性を確認する。男性は質素な緑色の服を着た白髪の老人だった。


 老人はフィビリオを見ると、寂しげに微笑む。

「この街の惨状に呆れているところを見ると、旅の人だね。ようこそ、ヒラスカへ――とは挨拶は、できないな。明るいうちに街を出なさい。夜の街は昼より狂っている」


 初めてまとも人間に会えたと安堵した。

「夜は昼以上の惨状って、ある意味において凄い街だな。いったい何があった?」


 老人は疲れた顔で語る。

「最初は働けない者に衣食住を提供する、ほんの些細な善意だった。だが、善意は、いつしか、暴走した。結果、誰もが働かない街になった。その時から街の悲劇が始まった」


「善意の暴走で、ここまで街が悲惨になるのか?」

 老人は苦痛に満ちた顔で語る。


「誰しもこうなると思わなかった。だからこそ、教会が売春宿を上回る状態になった。この街は、酒、麻薬、売春、恐喝、殺人が、今や日常じゃ」


「爺さんの街を悪く評価したくはない。だが、そりゃ、神様も見放すぜ」

「そうじゃろうな。今、街にいる人間は、ごろつき、麻薬中毒患者、汚職役人、老人が、ほとんど。まともな人間は、もう皆、街を出た」


「街を元に戻そうって人間は、いなかったのか」

 老人は疲れた顔で下を向いて、苦し気に語る。


「いたよ。今は全員が墓の下じゃ。もっとも、今の街の状況からすれば、墓に埋葬されただけ、ましだったのかもしれん」


(人心の荒廃、ここに極まりだな。ここにいては、気分がよくなる状況は、なさそうだ)

「そうか。ありがとうお爺さん。忠告に従って街を出るよ」


 フィビリオは立ち上がり、老人に背を向ける。

 老人の祈りの声が聞こえた。


「大いなる存在にして慈悲深き神よ。もし、まだわずかでも、この街に気に懸けてくれるのなら、救ってくれとは頼みません。せめてもの救いとして、この街に安らかな滅びをください」


(正気の人間にしても神に救いを求めず、滅びを求めるか。この街は、もう駄目だな。神様も、あの爺さんの言葉を聞いて、ヘルフリーと野放しにしているのかもしれんなあ)

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