勇者
「……―――。」
ぅ……ん……。
「……――――。」
優しい声が聞こえる。
「――――――――。」
やわらかい女性の声と、窓から射し込む陽の光によってゆっくりと意識を覚醒させていく。
目を覚ましても急に頭は働かない。
知らない天井をぼーっと眺める。
そうか、転移したんだっけ。
働き始めた頭が、昨日の事を思い出す。
「―――。―――――――。」
声を掛けられ視線を向けると、ベットの横にメイド姿の女性が立っており俺の顔を覗き込んでいた。
慌てて体を起こし、女性を見上げる。
アキバや、夜のお店のなんちゃってメイド服では無く、イエローフラッグでいきなりドンパチを始めるメイドが着ていた、ちゃんとしたメイド服を着ている。
メイドさんは、水の入った桶とタオルが乗った台車を5指を揃えて差し、何か俺に言った後、流れるような動作でテーブルの上に朝食を用意していく。
”朝起きたら言葉が理解出来ている”なんてファンタジーは起きないらしく、相変わらず理解出来ないままだ。
しかし、分からないと諦めるつもりはない。
今は分からなくても覚えていくことは出来るし、今だって何となく言いたい事は伝わるはずだ。
俺はメイドさんの様子を見ながらベットに腰掛ける。
水桶の乗った台車は、ベットに腰を掛けたまま顔を洗うのに丁度良い高さだった。
メイドさんは既に朝食の準備を終えこちらを見ていた。
このメイドさんは、一言で言うと美人である。
とても可愛い美人さんである。
何とかさんの家のセイバーさんが、メイド服を着ていると言えば分かる人も多いのではないだろうか。
年齢は19、20くらいだろうか。
青い瞳で、とても綺麗な目をしている。
髪はブロンドで、頭の上にヒラヒラのついたメイドカチューシャが乗ってとても可愛らしい。
髪の長さは綺麗にまとめられているのでわからないな。
まじまじと見ていたせいか、メイドさんが困ったように首を傾げ俺を見ている。
あぁ、本当に凄く可愛いのだ、このメイドさんは。
ずっと見ていても飽きはしないだろう。
しかし、実際ずっと見続けるわけにもいかない。
俺はメイドさんを見ながら日本語で
「おはようございます。」
と、お辞儀をして声を掛けた。
当然何を言われたのかわからないメイドさんは、また困り顔で首を傾げてしまった。
分かるぞー、その気持ち。
いきなり知らない言葉で話しかけられても、どうすれば良いのか分からないのだ。
俺はもう一度メイドさんに朝の挨拶をするが、『え〜っと。』といった感じに困惑するばかりだ。
もしかしてこの世界には、朝の挨拶”おはよう”と言う概念が無いのか?
いや、そんなはずはない。
きっとある。
そう信じて俺は、メイドさんに朝の挨拶をしているのだと伝える為、もう一度ベットに横になり、今起きましたよーっと言わんばかりにあくびと背伸びをセットに上半身を起こすと
「おはよう」
と、日本語で本日3度目の”おはよう”をメイドさんに伝えた。
最初は、何してるのこの人?みたいな目で見ていたメイドさんも、俺の”おはよう”を聞いて数秒後には、分かった!みたいな顔に変わり、俺の顔を見ながら
「おはよう。」
と、これから覚えなきゃいけない言葉で返してくれた。
本当はなんて言ったかなんてわからないが、ここは”おはよう”以外ありえないだろう。
そう信じて、俺はメイドさんの言葉と発音を真似して返す。
俺が言葉を覚えようとしているのが分かったのか、子供に言葉を教えるようにゆっくり、一音ずつ丁寧に”おはよう”を繰り返してくれる。
メイドさんの言葉を、オウム返しで確かめるように
「おはよう」
と言うと、親指と人差し指で丸を作り笑顔で
「おはよう」
と、返してくれた。
それは本当に純粋な笑顔で、見惚れてしまうほど可愛かった。
はっと我に返り、ベットから降りようと足を下ろすと、水桶とタオルの乗った台車を顔を洗うのに丁度よい場所まで移動させてくれた。
俺はメイドさんを見ながら水桶を指差し、顔を洗う仕草で尋ねると、笑顔で首を縦に振って肯定くれた。
あまり水が跳ねないよう気をつけながら顔を洗うと、そっとタオルを広げ差し出してくれる。
まさにメイドである。
本当にメイドなんだっと、感動を覚えながら顔拭いてタオルを
「ありがとう」
と、言いながら返す。
メイドさんは
「どういたしまして」
と言ったのかな?一言添えてタオルを受け取った。
俺がメイドさんの言葉を真似するとメイドさんは
「ん〜」
と口にしながら、顎に指を当て何か考えた後、俺を指差した後そのまま自分を指差し一言言い。
次に自分を指差した後そのまま俺を指差し一言言った。
きっと最初の俺からメイドさんが『ありがとう』で、次のメイドさんから俺が『どういたいしまして』なのだろう。
俺は最初の言葉から真似をする。
どちらもちゃんと言えるまで、メイドさんはゆっくり丁寧に教えてくれた。
そして、ちゃんと言えると笑顔で丸をくれるのだ。
俺は言葉が通じたのが嬉しくて、つい笑ってしまった。
メイドさんも釣られてのか、それとも嬉しかったのか、一緒に笑ってくれた。
本当に可愛いメイドさんである。
惚れてしまいそうだ。
言葉を覚える決めた時、どんな言葉から覚えるべきか考えた。
自己紹介から覚えようか、それとも英語の教科書のようにThis is a penから覚えるべきか。
考えた末出した答えは、挨拶と感謝の言葉だった。
おはよう、こんにちは、おやすみなさい等、挨拶は会話のきっかけにもなりやすく、ありがとう、ごめんなさい、どういたしまして等は、こちらの気持ちを伝える重要な言葉達だ。
これらの言葉は人生で、一番多く使う言葉ではないだろうか。
そう考え、最初に覚える言葉は挨拶と感謝にしようと決めたのだ。
実際、メイドさんには好感触だったようだ。
顔を洗った後は朝食だ。
見た目は前の世界とそう変わらない様に見える。
カットされたフランスパンと、サニーレタスのサラダ、スクランブルエッグにスープだろうか。
水の入ったグラスのそばにフォーク、ナイフ、スプーンが並んでいる。
まぁ似ていると言うだけで、全ての料理に”の様な物”が後に付くとだけ言っておこう。
フランスパンはどことなく黒っぽいし、スクランブルエッグは黄色と言うよりは茶色に近い気がする。
前の世界のテーブルマナーも詳しくは無いが、高級レストランの様に何本もスプーンやフォークが並んでいるわけでもないので、普通に食べれば問題ないだろう。
パンを一切れつまんで、指で千切り口へ運ぶ。
若干硬い気もするが知っているパンの味だ。
バターかオリーブオイルが欲しいところではあるが、サラダやスクランブルエッグも食べれない物ではない。
美味しいかと聞かれたら困る所だが、まずくはない。
醤油やバター等、もう一味あったら美味しいと言えただろう。
それでも『ねぇ美味しい?どうなの、美味しいの?』っと俺の反応を期待して見ているメイドさんに応えるべく、少しオーバーリアクションで美味しさを表現することにした。
この可愛いメイドさんの、ホッとした顔と笑顔が見れればそれで良いのだ。
食事を終え、メイドさんが淹れてくれた紅茶の様な飲み物で一息つく。
メイドさんを見ながら紅茶の様な物を楽しんでいると。
コンコンコン。
っと扉を叩く音が聞こえ、返事をしたメイドさんが扉に向かう。
こちらの世界でもノックはあるのか。
どうも誰かが入室してくる様なので、俺も立って出迎える。
メイドさんに連れられ入ってきた男を見て、この世界の事で一つ、分かった事がある。
俺が今いるところの人間は、白人の様な人種が多いと言うことだ。
貴族っぽい男も、とっても可愛いメイドさんも、そしてこの男も、俺がいた世界で見た白人の俳優さんの様に堀が深く、整った顔立ちをしている。
くそ、イケメン帝国かここは。
彼らから見れば俺なんて、きっと平たい顔族に見えるのだろう。
とにかく、この男もイケメンだ。
年齢は30代くらいだろうか。
髪は短髪で揃えられ、見覚えのある魔法使いっぽいローブを着ているが、今日はフードで顔を隠してはいない。
メイドさんと何やら話している。
多分、俺の様子を聞いているのだろう。
俺を見ては、ほぅっと感心したような仕草が伺える。
きっと今朝の楽しい一時の事を話しているに違いない。
男は俺の3歩前まで来ると、右手を左胸に当て左手は腰を叩く時のように後ろに回し、腰から頭を下げるように上半身をやや倒す。
右足は左足の後ろに下げ
「申し遅れました。私、ノエルと申します。」
と、自己紹介をしてくれた。
何と言っているかわからないが自己紹介だと思う。
きっとメイドさんから、俺が言葉を覚えようとしていると聞いて、こんな丁寧な対応をしてくれたのだ。
どことなくメイドさんがわくわくしている気がする。
その期待、答えてやろうじゃないか。
俺は見様見真似で男と同じ姿勢を作り
「ご丁寧にありがとうございます。私、本田 樹といいます。」
と、日本語で自己紹介をする。
言ってから、普段使わない言葉使いと慣れない仕草に気恥ずかしくなってきた。
男は驚いたような感心したような顔をした後、俺の名前を確認してくる。
どうも”ホンダタツキ”と、繋がってしまうようなので、自分で自分を指を指し”タツキ”だけ強調し、名前で呼んでもらう事にした。
男も、自分で自分を指差し”ノエル”と簡単に自己紹介をやり直してくれ、お互いの名前が分かったところで握手をした。
言葉の壁はあるが、なんとかやっていけそうな気がしてきた。
メイドさんの期待にも応えることが出来たようで、もうニッコニコで俺を見て、うんうんっと頷いている。
とにかく、俺の見様見真似の挨拶は二人に好印象を与えることが出来たようだ。
挨拶が終わると、ノエルはメイドさんに席を外すように伝えたのだろう。
メイドさんは流れるような動作でテーブルの上を片付けると、扉の前でこちらに一礼し部屋を後にした。
その姿はとても綺麗で、思わず見惚れてしまう程だった。
メイドさんが出ていくと、ノエルは俺に椅子に座るよう促し、テーブルに一冊の本を取り出した。
ノエルは俺と向かい合うように座ると、言葉の通じない俺の為に下手な絵や手振り身振りを交えて本の説明をしてくれている。
俺はそれを真面目に聞き、何とかノエルの言いたい事を推測する。
察するに、『この本には俺がこの世界に転移した理由が書いてあり、その理由を伝えに来た。』みたいな感じか。
そして、それは確信へと変わる。
ノエルは、ページの上半分に絵が書いてあり、下半分が文字になっている絵日記の様なページを開く。
絵には、西洋風の鎧を着た男が無数に描かれた兵士を相手に、手から炎を出し戦う様子が描かれていた。
左手に剣を持ち、後ろにいる人々を守り戦う姿はまるで
「勇者」
ノエルの口から、聞き慣れた日本語が聞こえた。
俺は本に落としていた視線を上げ、ノエルを見る。
ノエルは、本に描かれている男を指差し
「勇者」
と言う。
そして、その指をそのまま俺に向け、もう一度聞き慣れた日本語を口にするのだ。
「勇者」と。




