9. 氷の女王
日が高く昇っている。
「ぐ……え……」
「ぐえー……」
ティティとケイティが退屈そうにあくびする中、緩やかな坂道をいくつか越える。草原に挟まれた湿った土の道を徒歩で進むと、遠くに黄緑に近い金色の山が見えてきた。
「あれは――」
山の形をしたそれは柔らかな光を帯び、透けて見える内側には広大な石造りの町、それに大きな森がある。
正体は一目瞭然だ。あれほどの存在感、迫力――うわさに名高い結界魔術に違いない。ということは。
「やっとか……」
「着いた! 着いたのね! 間違いないわ、あれが『籠の町』よ!」
ミィチが息をつき、プリーナが飛び跳ね、後方に続く百を超える人々が疲労と感動の混じった声を漏らす。
『籠の町』、ネアリー。
現在、この世界でもっとも多くの人々が集う大都市が、ようやく見えてきたのである。
――長かった。本当に長い道のりだった。移民と共に村を出発してから、ここへ到るまで実に二十日以上もかかっていたのだ。
あの村はネアリーから比較的近いほうの地域だったはず。それでこれなら、確かに全ての移民を終えるとなれば一年はかかってもおかしくない。まともな移動手段が徒歩しかないというのはそれほど大変なことなのだ。
いくらマイスやティティのように足が速く、人を背負っていけるような者がいたとしても、百を超える数の者を同時に運ぶなど不可能だ。
魔術を使えば何とかなりそうなものだけど、一般に魔術は攻撃的なものが多く、変身や浮遊といった特殊なものは希少というのが実情らしい。移動に使える魔術があっても、さらに数百人規模を動かせるものともなると望むべくもなかった。
それでも何とかぼくたちはたどり着いた。村人たちを含め誰ひとり傷つくことなく、長い道のりを乗り越えることができた。
ちなみにぼくが魔族であることは未だばれていない。何度か顔を洗ったあとで見られたことがあったけど、耳を隠していたからか顔色が優れないようにしか思われなかったのだ。人型の魔族に疎いのかもしれなかった。
でも、とぼくは密かに唾を飲む。
おそらくここからはそうはいかない。黄色い膜のような結界を間近に見上げて思う。ぼくたちは仲間を得るためにネアリーに来た。だけど下手をすれば、失うことだってあり得る。その可能性は常に頭を置いておかなければならなかった。
「あの、やっぱり念のため、ぼくだけ外で待っていたほうが……」
「いけません」
切り出した瞬間、ツワードに即答された。
「魔王城に乗り込むにはあなたの力が必要です。我々の策を提案するにも、あなたの存在を隠していては筋が通らない」
それは道中何度か話し合われたことだった。ぼくの存在は仲間を得る障害になりかねない。かといって『扉』を開ける権利を持ったぼくがいないことには、戦争を避け魔王のみを撃破するという策自体が使えない。
どの道ぼくの存在を明かすことになるのであれば、初めから堂々と出向いて後ろめたいことはないと示すべきとなったのだ。
とはいえ全ての人々に存在を認めてもらう必要はない。ぼく個人としてはネアリーに住む女王にだけ顔を見せれば十分とも思うのだけど……。
多少の危険は冒すくらいじゃないと誠意は示せないってことなのかな。
「来たみたい」
ノエリスがいった。
結界のそばに着いて間もないというのに、早くも集団がやって来る。その速度が尋常なものではなかった。たった今まで米粒より小さかった影たちが、瞬きの直後にはその姿をはっきりさせている。
馬に乗っているようだ。魔術で脚を強化しているのに違いない。
「……手練れ揃いだな」
マイスが後ろで呟く。ここから見ただけでよく分かるな、という感想は置いておいて、彼が言うなら間違いなさそうだ。
ネアリーにはあらゆる魔術の使い手が集っている。少なくともこの時点で、大規模結界、町の外を監視する優れた目、他者を強化する魔術、それらを一気に見せつけられたことになる。
これだ。この多種多様な力を求めてぼくたちはやって来たのだ。
大きな期待と大きな不安に一筋汗を垂らすと、ついに集団が目の前で止まり、先頭の馬から人が降りた。
「移民の方々ですね。よくぞたどり着きました」
流れるような白い髪に、氷のように冷たく光のない瞳。
ぼくは――いや、ネアリーにたどり着いた人々全員が息を飲んだ。その容姿、その微笑み、その迫力。その全てが、うわさに聞いた通りのものだったから。
彼女の名は『籠の町』と共に、大陸に広く知れ渡っている。ぼくはあまり詳しくなかったけど、ここまでの道中に村人やツワードから噂を小耳にはさんでいた。
「私はネアリー・コードガン。このネアリー、いえ、ケンペラード王国を治める女王として、あなた方を歓迎しましょう」
彼女が両腕をわずかに広げると、黄色い膜の一部がぱっくりと開いた。呆気に取られるほどあっさり許可を下され、誰もが喜ぶどころか驚きに声を失うばかりだった。
氷の女王、ネアリー・コードガン。『籠の町』を作り出した王にして大魔術師とも呼ばれるという。加えて、今や国どころか大陸のトップとも言える人物であった。この町こそが人類にとって最後に希望なのだから当然だ。
そんな大人物に町に訪れて早々出迎えられるなんて、いったい誰が想像するだろうか。
「さあ、お通りください」
まるで家臣が王に対するような丁寧さで背後を示し、コードガンはいった。さっそく入りたいところだけど、旅慣れず疲弊の色を隠せないでいた村人たちをまずは先に行かせる。彼らはぼくたちと女王へ交互に頭を下げながら結界の中へ入っていった。
「――それじゃあ」
全員入ったのを見届け、ぼくたちも後につづく。
けれど。
「お待ちください」
何故かぼくが通ろうとした時、女王が前をふさぎに来た。
思わず息を飲んだ。青白い瞳がぼくを見下ろし、凍てつくような威圧感を浴びせられる。
大きい。すぐ前に立たれるとその迫力は何倍にも増して感じられた。
「な、何か」
問いには答えず、彼女は背後の部下たちに伝える。
「私は彼らと話があります。移民たちを頼みますね」
「はっ!」
部下は一声で従い、即座に女王から離れていく。ここまでまともに軍というもの目にしないできたものだから、一つの生き物のように統率された動きについ注意を奪われてしまった。
「おい、ラージュ」
ミィチに手を引かれ後ろへ下げられる。ツワードとプリーナが前に立つ形になった。
「女王陛下、お目にかかれて光栄にございます。わたしはプリーナ・ワマーニュ、とある事情で……」
「その前に」
プリーナが名乗ると、女王に手で制された。
「理由を問いましょう。なぜ魔族がここにいるのです」
「……!」
ここで目を見張るのは正体を白状しているようなものだけど、ぼくには動揺を隠すことができなかった。
「彼は人間の味方です」
プリーナが答える。コードガンは冷たい目で彼女を見下ろし、さっと視線をそらした。
「なるほど。捕らえてきたわけでも、操っているわけでもないのですね。魔族を利用できるならば大きな力になります。少し期待したのですが――」
「――ラージュ!」
ミィチが叫ぶとともにぼくの体が後ろへ引かれ、吹っ飛ぶ。
直後、さっきまでぼくの立っていた場所が爆ぜた。
何かが降ってきたらしい。背後のミィチを巻き込み地面を転がりながら、ぼくは土煙から伸びる黄色い膜のようなものを目にしていた。
それはおそらく、ネアリーを包むのと同じ結界。それのごく小規模なものがコードガンの身を包み――触手のように自由自在にうねっていた。
「残念ですが信用なりません。ソレはこの場で始末します」
冷酷にコードガンは告げる。
結界の触手は群れとなり、再びぼくらに襲いかかった。




