4. 金色の万華鏡
2019/08/19 ミスがあったので修正しました
およそ二年前、サーネルはヘレナ・フローレスという少女と出会った。魔王ブラムスの息子として数々の非道を行ってきた彼であったが、どれほど苦しい思いをしても他者への献身をやめない彼女を観察するうち、その心に変化が生じた。
少女を苦しみから解放し、自由に大空の下を走らせたい。いつしかサーネルはそう願うようになっていた。
そのために必要だったのは魔族に支配された世界を変えること。彼は父であるブラムスの元へ真正面から乗り込み――逆鱗に触れた。
ブラムスは部下であるガラードにサーネルの抹殺を命じ、それは確かに果たされた。
それがサーネルの最期。実に呆気なくひっそりとしたものであった。
けれどサーネルは少女の幸せを諦めてはいなかった。
彼には特異な魔術がある。彼の体に今なお残る幾つもの魔術――そのどれとも趣の異なる力が彼の最期の希望だった。
遥か彼方の世界より魂をつかみとり、自身の元に降臨させる。それこそがヘレナをこの世界に引きずり込んだ力の正体であり、魔王の息子にふさわしい問答無用の大規模魔術だった。
本来は他者の肉体を利用するそれを使い、彼は朽ちゆく体に新たな魂を呼び寄せた。
間もなく彼は息を引き取り――魂を失い干からびた肉塊として残るはずだった遺体は、強引に閉じ込められた魂の力で少しずつ回復し文字通り生き返った。
そうして呼び込まれた魂は新たな肉体と共に目を覚まし、サーネルの名を得たのである。
*
「この体にぼくを入れたのはサーネル自身です。彼の魔術がぼくを呼んだんです。魔王に今も支配される外の大陸――そこよりももっとずっと遠い場所から、ぼくは来ました」
きっと常識では考えられない話であっただろうに、皆は口を挟むことなくぼくの話を聞いていてくれた。
サーネルが殺されたその事実を、ツワードやノエリスは……ミィチはどんな思いで受け止めるのだろう。そんなことを想像しながら、ぼくは先を続ける。
「実はこの体に呼ばれる直前まで、サーネルとは話したこともなかったんです。元のぼくは特別な力なんて何もないただの子どもで、サーネルがぼくを選んだことにも特別な理由はないんです。
ただ偶然、声の届くところにいたから未来を託された。ぼくとサーネルとの関係は、それだけでした」
今は少し、違うけど。
何故なら今は、サーネルの想いもその重さも知っているから。
「サーネルが戻らないのは、確かなことなのですか」
ツワードが尋ねる。その表情から感情は読み取れなかった。
「はい。サーネル自身が言ったそうです」
ヘレナの魂を入れられたキャシィについて、もう元に戻ることはないとサーネルは言ったらしい。だからヘレナは今のぼくを見て泣いたのだ。その時のキャシィと同じ状況のサーネルも、戻って来ることはまずないだろう。
「言った? それはヘレナから聞いたのか?」
ミィチが戸惑ったように尋ねる。ぼくは頷いた。
「そうだよ」
「ってことは、ヘレナはこのこと知ってたのか?」
「うん。ぼくをラージュって呼ぶようになったのはそれからだよ」
ミィチは灰色の瞳を揺らした。ゆっくりと顔を両手でおおい、ため息をついた。
「そうか……知っちまったのか」
苦しげにつぶやく彼女にぼくは声をかけられない。
人の苦しみを想う時の無力感がまたどれだけ人を苦しめるのか、ぼくもよく知っているから。
ぼくはそっと目をそらし……プリーナからの視線に気づいた。
「ねえ、いいかしら」
「何?」
「本当のあなたのことが知りたいわ。わたし、何も知らないんだもの」
「それは……」
ぼくは言葉を詰まらせる。情けないことにまた目をそらしてしまう。
「ごめん。ぼく自身のことは話したくないんだ。記憶喪失なんて言ったのも、だからだよ」
「なら、せめて名前を」
「それも……ごめん」
プリーナはほんの一瞬碧い瞳に陰を浮かべたけど、すぐに笑って頷いてくれた。
「わかったわ。でも、きっといつか聞かせてね」
ああ、やっぱり情けない。せっかく仲間が増えても結局このざまだ。
でもきっと、いずれは。ひそかに拳を握る。
いつか魔王を倒して、プリーナとの約束を果たせたら――その時は胸を張って、ぼくの名前を教えるから。
そう。いつか――ろくでもない自分を許して、好きになることが出来たら。
「む。サーネル……ではないのだったな。ではラージュ」
マイスが身じろぎ一つしないまま小声で言った。
「どうしました?」
「後方から視線を感じる。何か見えるか」
言われて視線を移す。岩で潰された家や畑しか見えない……と思っていたら、視界の中でわずかに動くものを見つけた。
「石壁の上に、誰か。あれは……人間?」
「石壁だな。承知した」
マイスは瓦礫に腰かけたまま短く息を吐く。
「マイスさん、どうするつも……」
ぼくが聞き終えるよりも先に、二メートル近い巨体が地面から放たれる。
「り?」
彼は座った体勢のまま雑なCGみたいな動きで後方へ跳躍していた。一体何がどうなっているんだ。
遅れて彼のいた場所から砂煙と突風が巻き起こり、小さいミィチは尻もちをついた。
「いてっ……! あ、あいついきなり」
空中で掲げられたマイスの手に四メートル級の大剣が召喚され、一瞬で戦闘の準備が整う。あの人影が敵のものなら決着はついたようなものだ。
けどマイスはその誰かを襲うことはしなかった。握った剣を石壁に突き刺し、高速で飛んでいく体を強引に止める。すると人影はマイスのほうに駆け寄った。
「よかった。敵ではなさそうね」
「何か話してるのかな」
向かったのがマイスだからさほど心配はなかったけど、それでもわずかに不安な思いを抱きつつ様子を見守る。
今のうちに頭に包帯を巻いて長い耳を隠しておく。遠目ではぼくが魔族とは分からないだろうけど、近づかれたらさすがにばれる。唇や頬にも戦化粧みたいに泥を塗っておいた。
少しして、壁の上の人を抱えたマイスが戻ってくる。だんだん近づいてくると、人間の青年だというのが分かった。
「ぎやああああああっ」
抱えられた誰かはマイスの跳躍に絶叫する。着地して砂煙に包まれてもなお叫び続けていた。
「し、死ぬかと思った……」
地面に降ろされ、青年は青ざめながら呟く。その傍へ歩み寄り、プリーナが聞いた。
「あなたは?」
「そ、そうです! 大変なんです! 皆が魔族に襲われて!」
「! 魔族に? いま襲われているの?」
「は、はいっ。まだ何とか凌いではいますが、このままでは……でも勇者様たちであればあんな奴ら!」
「勇者様? まあいいわ、そういうことなら今すぐ向かいましょう。場所は?」
「あっ、案内しますっ!」
慌てて駆けだした青年に続き、ぼくたちは町を出る。
早くも息を切らし始めた青年を、マイスが肩車する。
「あのっ、これはっ?」
「お前の脚では遅すぎる。方向だけを教えろ」
「わ、わかりました!」
そうして、ティティ、ケイティに乗ったぼくたちと青年を乗せたマイスとで再び走り出す。
現場にはすぐ到達した。幾つも連なる山々の間を縫うようにして走る道に、百は超えるであろう人々が立ち止まっていた。
「あれは……移民?」
「籠の町へ行こうとしていたんです。そしたらそれを阻もうと奴らが」
奴ら――青年の指さした先、移民たちの向こう側には、確かに魔族の集団がいた。
カビの胞子が寄り集まったような球体の魔族を先頭に、毒々しい色のキノコを生やしたヘビや蜘蛛のごとき怪物たちが人々と対峙している。
移民たちは必死に抵抗したためか疲労の色を隠せていなかった。既に何人か酷い傷を負って倒れていた。
けど、妙に静かだ。不思議なことに今は誰も魔術を放って戦うような者はいないようだった。
「あれ? あんな奴いたか?」
青年が呟く。今初めて駆けつけたぼくらには誰について言っているのかは知る由もないし、さほど関係もない。その時はそう思った。
全身を包帯で覆った魔族を視界に捉えるまでは。
「……!」
一瞬、呼吸を忘れた。
金色の瞳が見える。万華鏡のような模様をした、ギラギラと輝く迫力に満ちた瞳。
ボロボロの着物から伸びた細すぎる手足は余すことなく包帯でぐるぐる巻きにされ、けれど妙に力強い。
その魔族をぼくは知っている。その魔族と、既にぼくは出会っている。
「ガッハッハッハ! こいつァ面白ェ! 意外な客人が見えたモンだァ!」
その豪快な笑い方を知っている。その恐ろしいまでの怪力を知っている。
マイスとどちらが強いかは分からない。でも、ここで戦って、周囲の人々が無事で済むとは到底思えない。
なのに、出会ってしまった。
「久しぶりに会えて嬉しいぞォ! なぁサーネル! お前さんもそう嬉しいだろう! はっはははは!」
コンズと共に挙げられる魔族屈指の実力者であり、本物のサーネルを殺して見せた最強の刺客――包帯の怪物ガラードが、ぼくたちを前に大声で笑っていた。