9. ずっと欲しかった言葉
2019/01/18 改稿しました
誰か、ぼくを許してほしい。
あの時ぼくは、耳をふさいで震えていることしかできなかった。青年に見つかったのはぼくのせいだったのに。
犯人は捕まった。死刑に向けた裁判も進んでいる。けどそんなことどうだっていい。お姉ちゃんは戻って来ないんだ。
あの日、裏山へ行こうなんて言わなければ。あの時、転ばなければ。あの瞬間、叫び声のひとつでも上げられていれば。ぼくが、いなければ。
お姉ちゃんは逃げることだってできたし、犯人と会うことすらなかったし、万が一にも殺されることなんてなかった。
まるでぼくは、お姉ちゃんを殺すために生まれてきたみたいだ。
誰か、ぼくを許してほしい。
ぼくが生きるのを、許してほしい。
「――へぇ? そんなの、許すに決まってるじゃないですかあ」
まぶたの裏から光を受け、眠りから目を覚ます。木漏れ日が眩しい。
それを遮るように、優しく目を細めた大人の女性の顔が視界に飛び込んだ。
「……えっ?」
「ずいぶん探したんですよぉ、お坊ちゃま」
その女性は大胆に胸を開いたドレスを着ていた。長い耳はぴんと張り、肌は青白く、くらくらするような甘い香りが鼻腔をくすぐる。
思考が現実に戻ってくる。そこにいたのはメニィだった。
頭に柔らかい感触がある。
ひ、膝枕っ?
慌てて起き上がる。そこは奇しくも、あの青年を目撃した場所に似た急な坂の中だった。
「どうして急に行っちゃったんですう? びっくりしましたよう」
「それは」
あんなもの見せられたら誰だって……いや、お姉ちゃんなら。
話を逸らす、そういう口実の元、ぼくは静かに問いかける。
「あのさ、メニィ。さっきのって何のこと?」
「はいぃ?」
「許す、って」
「あらぁ、寝言でしたぁ? ワタクシが呼びかけるなり、お坊っちゃまが『許して』と仰られたのでぇ。生きるのを許してほしい、みたいなことをぶつぶつとぉ」
「――許して、くれるの?」
「当たり前じゃないですかぁ」
暖かな木漏れ日の中、ぼくは一瞬目を大きくして、けれどすぐ苦笑する。
「あ、違うんだ。ぼくじゃないよ。実はね、変な夢を見て」
「夢、ですかぁ?」
「うん。ぼくは何故か子どもで、お姉ちゃんがいて。それで、とんでもなく強い怪物――えっと、人間がいたんだけどね。隠れてやり過ごそうとしたら、ぼくのせいで見つかっちゃったんだよ」
現実に起きた、ほとんどそのままのことを説明する。お姉ちゃんが殺されたこと、それなのに動くこともできずただ震えていたこと。
「本当、情けないよね。どうかな、メニィはそれでも、その子どもは生きていていいんだって思える?」
「もちろん」
事もなげに、彼女はいった。
木々がざわめく。落ち葉がからからと音を立てる。
「だって死ぬ理由がないじゃないですかぁ。せっかく拾った命ですよお? 許すも何もないと思いますう」
何も言い返せなかった。
こんなにあっさり許してもらえるとは思っていなかったから。驚きのあまり思考が止まった。
生きていてもいいのだと。ずっと欲しかった許しを、今、何でもないことのように手渡される。
頭は動かないのに。どうしてか、胸の奥がじわりと苦しくなって――。
「えっ、ええっ? どうしてそこで泣かれるんですうっ? ひえぇ、何か変なこと言っちゃいましたぁっ?」
慌てふためくメニィにも、やっぱりぼくは、何も言えなかった。
――そのときだ。いきなり現れた腕に、首を掴まれたのは。
くらくらするような甘い香りに当てられ、警戒心が緩んでいたのかもしれない。メニィはどうだったのだろうか。
とにかくぼくたちは、すぐ近くに現れた空間の裂け目に気づけなかった。
裂け目。そうとしか言いようがない。大きな袋を刃物で切り裂かれたような、深い暗闇の覗く穴が浮かんでいる。それはふわふわと漂うでもなく、その場に張り付いたように微動だにしない。
裂け目はガラスを引っ掻くような音と共に広がり、奥の暗闇をさらに露わにした。
そこから出てきたのは、腕。
「ぅぐっ!」
「お坊ちゃま!」
伸びてきた腕に首根っこを掴まれると、ぼくはあっという間に引きずり込まれた。
視界が暗転する。炎で包まれたような痛みが全身をくまなく襲い、否応なく声を上げた。
「ああ、素敵――思わぬ収穫だわ」
勢いよく流れる川の音がする。その裏で、そんな声を耳にした。
痛みで動けなくなったぼくを引きずり、声の主は川に飛び込む。水の中にいきなり突っ込んだせいでたくさん水を飲む羽目になった。
どこまで流れたのだろう。しばらくすると川から上げられ、森の中へと引きずられる。
「お……前、は……」
答えはない。すぐ回復するはずの体は、まだ動かなかった。
やがて、木々を分け入った深いところまでやって来る。そこでようやく手を離され――お腹を刺された。
「ぐぅッ! ――がァっ!」
まさか、まさか……焼かれた痛みで半ば遠のいていた意識を、強制的に引き戻される。
昨日目を覚ました時と同じだ。木々の密集した森の中。馬乗りになった人影が、ぼくのお腹を刺している。
しかして影は、今度ははっきりその姿を晒していた。
「ああ、なんてこと。わたしったら、大切な兵の仇を前にして、こんな……」
うっとりと熱くて白い息を漏らすのは、フードから二束のお下げを垂らした少女。昨夜ぼくを殺し損ねた魔術の使い手。マリターニュの領主、その娘――。
宝剣を逆手に持ったプリーナ・ワマーニュが、ぼくの上で恍惚とした笑みをたたえていた。