33. 宣戦布告
今起きていることを、ぼくのほうが信じられなかった。
高い崖の下で町長が町の人々と話している。真の犯人が分かった旨を伝えているのだ。
ぼくのしたことは取り消せない。破砕した遺体を戻すすべはない。だから何のお咎めもなしとはいかないだろう。けど今はそんなことより、ヘレナと町が救われることのほうがずっと重要だった。
割れるような胸の痛みはおさまった。隣ではプリーナが人々を見下ろしている。彼女がいなければ今ごろぼくはどうなっていたか分からない。
いつもこうだ。プリーナと自分自身のためにと旅をつづけながら、ぼくはいつだってプリーナに救われていた。助けられるばかりで、ぼくは何も返せていない。それどころか傷つけてしまったらしかった。
「怒ってる……よね」
「そう言ったじゃない。次同じようなことしたら許さないわ」
プリーナはそっぽを向いて答えた。とても気まずい。先に彼女を地上へ送ったのはこれを避けたかったからでもあった。
どうしたものかと困り果てていると、プリーナはちらりとぼくに視線を向けた。
「でも誤解はしないで。どんなことがあっても、わたしはあなたを愛しているから」
「え」
ぼくが目を丸くすると、またそっぽを向いてしまう。
その代わりに手を差し出してくれた。手のひらをぱっと開き、つなげと無言で催促してくる。
「絶対味方になるとは限らないけれどね。さっきみたいに」
「……うん」
手をつなぐ。なんだか普段より気恥ずかしいけど、胸のくすぐったさが心地よかった。
「あら?」
プリーナが呟く。見ると、崖の下に集まる町長たちに赤い光が近づいていた。
そういえば広場を逃げ出した直後あの光を目にした覚えがある。
近づくにつれ正体がわかってくる。光はやはり宝石から放たれるものであり、その宝石を手にするのは――ヘレナだった。
ぼくを倒しに来た……のか?
「まずいわ」
「ひ、ひとまず逃げ――」
「ラージュ!」
言い終わるより先にヘレナが飛んでくる。一歩出遅れた。
彼女は今までずっと大岩を光らせ続けてきた。その魔力量は計り知れない。敵に回すのがどれほど恐ろしいことかは考えるまでもなかった。
ぼくは身構え、プリーナも宝剣を取り出す。来る攻撃に備えた。
だけどヘレナは、ぼくたちには突っ込まなかった。
「みんな待って!」
崖の上に飛び乗ると身を翻し両手を広げる。まるでぼくを庇うように、町長たちへ声を上げた。
「おかしいよ! ラージュがこんなことするはずない! あたしもさっきはすごくびっくりして信じかけちゃったけど……ラージュはあたしを庇ってるだけ!
だってラージュは泣ける魔族だもん! あたしが泣いたらいっしょになって泣いてくれた魔族だもん! 皆が言う魔族みたいに、人を殺して遊ぶようなこと絶対しない!」
「その通りだよ!」
ヘレナの主張に答える声があった。ヘレナの出てきた方からウナが現れる。
「少し考えりゃ分かることさね。ヘレナに罪をかぶせたならわざわざあの場で出てきたりしないよ。
なのに、わしも口汚く酷いことを言っちまった。ああ恥ずかしい。みっともないったらありゃしない。こんなことはもうやめだ! サーネルに手を出そうっていうならこのわしが相手だよ!」
二人の叫びに、その場の誰もがぽかんとする。
人々は顔を見合わせる。誰かが吹き出し、あっという間にその場が笑い声で埋め尽くされた。
ぼくもプリーナと目を合わせ、くすりと笑った。
「え? なんで?」
「どういうことだい……?」
戸惑う二人に人々はさらに笑う。
ああ、ぼくは馬鹿だ。こんな人たちに見放されようとしていたなんて。
こっそり胸に手を当てる。二度と失いたくない。強くそう思った。
「これでひとまずは一息つけるかしら」
プリーナが安堵しきった声で言う。
ぼくは微笑み、頷いた。
「そうだね。色々迷惑かけてごめ――」
言葉の途中、ぼくは固まる。
「……サーネル?」
空気の色が明確に変わるのを感じた。
いや。そうじゃない。変わったのはぼくだけらしい。プリーナも人々も気づいていないようだ。
このとてつもない殺気に。
「プリーナ。じっとしてて」
後ずさりながらぼくはいう。たくさんの銃口に囲まれているような気分だった。
気が狂うほどの痛みが来るのを今か今かと待ち続けるような――それこそ頭がおかしくなりそうな恐怖感。
肌で理解する。この殺気は、ぼくを震え上がらせるために敢えて分かりやすく叩きつけられたものだ。
「――っ」
ぼくはつばを飲み、全速力で跳びあがった。
ちょうどここは地上へつながる谷の底。このまま上に行ってプリーナたちから離れるのだ。
殺気が誰のものかなんて考えるまでもない。おそらく今ぼくは、彼女がこの世で一番殺したい相手に成り代わった。
青空が見えた。谷を飛び出し大地に足をつく。いくつもの丘陵を見渡しながら、わずかな時立ち止まった。
腕を生やし、引きちぎる。背を向けたまま耳を澄ます。
背後で足音がした。やっぱり追いかけてきたようだ。
振り返り、ちぎった腕を突き出す形で構える。
けどそこには思いがけない人が立っていて、ぼくは一瞬固まった。
「どうしたの、サーネル」
「……プリーナ」
でも、それだけだ。
ぼくは短く息を吐く。瞬間、ちぎった腕が弾丸のようにはじき出された。
腕はプリーナの頭を直撃し、小さな爆弾のように頭もろとも破裂する。
「馬鹿にするなよ、コンズ」
ぼくは心底腹の立つ思いで、頭を失った体を睨んだ。
「いくら見た目が同じでも、一言話せば違いは分かる」
「……人間みたいなこと言うわね」
体を振動させ声を発し、彼女は体を変形させる。ゼリーみたいにべちゃりと飛び散り、何かにこねくり回されるように独りでに寄り集まって新たな形を作る。変身の仕方は一つじゃないらしい。
コンズは純白の服に身を包んだ少女の、おそらくは本来の姿を取ると、潰れた粘土のごとく大きく顔を歪めた。
「で。アンタ、何してくれたわけ?」
「さあ。何だったかな」
とぼけてみせるとコンズは大きく舌を鳴らした。
参ったことにダメージは少しもないらしい。ぼくが放った腕は魔術で作ったものだ。魔族相手にも通じるはず。だけど姿を自在に変えられるコンズにとって、外傷なんてあってないようなものなんだろう。
多分ぼくが初めて命を奪った白と黒の悪魔たちと同じだ。体のどこかに核のようなものがあって、そこを狙わないとダメージにならない。いくら腕や顔を打ち抜いたところで髪や爪を切ったのとそう変わらないのかもしれなかった。
「アンタねえ! アタシが今日のためにどんだけ準備してきたか分かる? 町の連中の関係探って、罪着せやすいタイミング調べて、誰か死んだときの連中の方針まで観察して! それがどんだけ大変なことかアンタには分かんないでしょ!」
「ああ、分からないよ。そんな手間までかけて何が楽しいんだ」
「……なんだ、アンタもそうなの。ただ痛めつけて泣き叫ばせるだけで満足なわけね。そんなのもうとっくに見飽きたっつーの」
コンズは鼻を鳴らし、ある種の優越感に浸るようにあごを上げた。
「アタシはね、もっと丁寧に、人間の心を弄りまわしながら壊すのが好きなのよ。激しく甚振ることに慣れてると最初は物足りなく感じるかもしれないけど、無理矢理気を狂わせるよりよっぽど味わい深いんだから。味わえば味わうほど良さが分かって、飽きるどころかどんどん癖になっていく感じ? アンタも一度ハマれば分かるんじゃない?」
繊細な味の料理を楽しむような口ぶりでコンズは語る。久しぶりに虫唾が走った。
「ねえ、アンタ知ってる? ヘレナがどうして毎日毎日、大岩を光らせるたびに姿を消すのか」
話のくだらなさに反応するまいとしていたけど、思わずぼくは視線を向けた。
「……知ってたのか」
「なに、アンタも? 最高だったでしょ! 一人で穴に閉じこもって馬鹿みたいに震えちゃって! あれを毎日やってるんだって思ったら笑いをかみ殺すのも一苦労だったわよ。で、思ったわけ。ここまで町の人間に尽くして尽くして苦しみぬいてきた人間が、その町の人間に裏切られたらどんな顔をするんだろうって」
コンズは胸に手を当て、夢見がちな少女のように目を輝かせる。ただしそれは無邪気な狂気には程遠く、虚空へ投じられた視線にぎとぎととした執着心が表れていた。
その瞳が曇り、下を向く。
「ヘレナが死んだ後にも楽しみはあった。人間たちに真実を明かして、目の前でウナでも殺してみせて、自分たちのしたことに絶望させてやるつもりだった。生きるためでも無理矢理させられたわけでもなく、自分たちで決意してヘレナを殺した。その事実をたっぷり味わってもらうつもりだったのよ」
コンズは拳を強く握り歯を食いしばった。表情が見えなくなるくらい俯き、奥歯を軋ませ、耳をふさぎたくなるような異音を立て始める。どうやっているのか、それと同時に続きを話し出す。
「それを見るためならどんな手間も惜しくなかった。証人を用意するのも大変だったんだから。人間の解体を見せても絶対に心が折れなくて、その時が来れば必ずまともな証人になってくれる……そんな人間を一々探してくるなんて非効率もいいとこだっての。でも我慢できたのよ。楽しみが待ってるから、最高の瞬間が待ってるから、いくらだって頑張れたの。――なのに」
コンズの体が、ぶれる。
嫌な予感がして跳びあがる。直後、ぼくのいた場所が何かに叩き潰された。
「アンタのせいで全部台無しよ! 許さない! アンタだけは絶対に!」
巨大なしっぽだ。前にミィチを襲ったしっぽが再び地面から生えていた。
よく見ると、コンズの背中から地面にしっぽと同じ色の肉塊が刺さっている。どうやらあのしっぽも彼女の体の一部らしかった。
「話は終わったのかな」
「そうよ! あとはアンタを殺すだけ!」
「そっか。じゃあ言わせてもらうけど」
念力を使い、ぼくは空中からコンズのほうへ突っ込む。襲い来るしっぽの攻撃をかいくぐり全速力のままに足を構え――。
コンズの顔面を、蹴った。
彼女の頭が弾け飛ぶ。ダメージはないらしい。でも、宣戦布告としてはこれで十分だ。
きっとコンズは太陽の町を滅ぼそうとするだろう。それだけはさせられない。だから、絶対にここで仕留める。
ぼくは地面に着地し、コンズへ振り返った。
「許さないのはぼくのほうだよ」
地底へ繋がる深き谷の走った丘陵地帯。乾ききった風を浴びながら、青空の下で首のない体に言い放つ。
太陽の町全員分の命を背に、コンズとの戦いが始まった。