31. 立ちはだかるは
愛する人々がヘレナを見ている。
太陽の町で最も大きな広場。その中心でヘレナは、集まった人々の憎悪の視線を受けていた。
足元には魔法陣があり、中心に立つ棒に手足が縛られている。足に杭を打ち付けられるようなことはなく、純粋に殺すため、身動きを取れないようにされていた。
処刑台に立ち、人々を見下ろす。計五名。それが、ヘレナの殺したとされる町民の数だ。
そう。これからヘレナは人殺しの悪魔として、正しい手順で裁かれるのだ。
彼らは不要な苦痛を与えない。魔族とは違うと、同じ者にはなり下がらないと宣言するように、苦痛を極力排除した裁きを与える。それが今のヘレナにとってせめてもの救いだった。
けれど、たとえどんな慈悲があったとしても納得はできない。ヘレナが裁かれる謂れはない。人を殺した覚えなど、彼女には一かけらもないのだから。
「これより、キャシィ・クリスターニュの処刑を執り行う」
処刑台のそばでよく見知った老人がヘレナの罪状を並べ始める。魔法陣のそばにも既に二人、貫禄のある男たちが立っていた。狭い町だ。彼らも当然顔見知りで、町で見かけた時などはよく声をかけてくれた。
どうして彼らに殺されるのかヘレナには理解できない。でも、諦めた。どれだけ無実を訴えても、結局ここに至るまで信じてはもらえなかったのだ。
隣を見る。人々を見下ろす。老人を見る。ここにヘレナを愛する者はいない。激しい憎悪がぴりぴりと肌をざわつかせ、この町に来てからの思い出が胸を切り刻む。
突き刺すような視線、涙に濡れた怒り、氷のように冷たい憎しみ。ついに耐えきれなくなり、ヘレナは泣き出した。
「最期に言い残すことはあるか」
老人が問う。ヘレナはしゃくりあげながら頷き、顔を上げた。
たくさんある。あるに決まっている。全部ここでぶちまけてやる。
こんなのひどい。何もしていないのに。いい子にしてきたのに。恨みをこめて叫んでやるのだ。
そう思ったのに……どうしてだろう。
「もっと――この町を、守りたかった」
涙と共にあふれてきたのは、そんな言葉だった。
サーネルがくれたこの場所を。孤児院の皆がいるこの町を。死を待つだけだったはずのヘレナを必要としてくれた人々を。
守りたい。守りたい。世界が変わって、地上が平和になるまで。やり切ったと思えるまで、皆を守り続けたい。
こんなところで、死にたくない。
感情が止まらない。胸の内から痛みがあふれ出す。諦めていたはずなのに思わず大声で叫びそうになる。
――それを嘲るように、人だかりの中、誰かが小さく吹き出した。
「哀れな小娘だ」
ひどく懐かしい声がした。次いで高笑い。
ざわめきが上がる。処刑台を睨んでいた人々の塊がわずかに形を歪める。ある一点から逃れるように人々が動き出した。
「しかし愉快だ、愉快だとも! これを超える見世物もそうはなかろう! 気分はどうだ、ヘレナよ。そうまで愛した者どもに石を投げられ死んでいく気分は!」
笑いながら問うたのはサーネル――いや、ラージュだった。人ごみの中に現れた彼は、その腕に誰かの体を抱えている。
「お、おい。それ……」
「死んでるの?」
「ああ。これか? 種明かしに必要なのでな。墓から掘り起こしてきたのだ」
平然と言ってのけるラージュを睨み、人々はようやく気付く。彼の持つそれは、今朝犯人に殺された五人目の遺体だったのである。
人々はどよめき、青ざめ、即座に身構えた。
「何の真似だ、お前!」
鋭く飛んだ声にラージュはくつくつと笑う。
「そう急くな。愉快なのはこれからであろうに」
彼は遺体を手放した。支えを失ったそれはたちまち地面に倒れ、ぴくりとも動かなくなる。
――はずだった。
再び大きな、先ほどよりはるかに大きなどよめきが巻き起こる。彼らの前で、この世界の常識においてすら、あまりに異常な事態が起きていた。
遺体は倒れなかった。それどころか生きた人のように腕を組み、ぎしぎしと音を立てながら顎を上げたのである。血と土にまみれ奇妙な音さえ立てなければ、まるで生きたも同然の動きに見えたことだろう。
「聞くがいい。愚か者ども」
呆気に取られる衆人を見回し、ラージュはにやりと笑った。
「この町の者に死を与えたのはそこな小娘などではない。我――サーネル・デンテラージュの御業である!」
人々の声がやむ。
否、ヘレナの中で、全ての音が消えた。
「――何を、言って」
ラージュのそばで、遺体がくるりと身を翻し、器用に片膝をつく。忠誠を誓うように頭を垂れた。
まるでそうやって、ヘレナを操り動かしたとでもいうように――それが真相なのだとでも明かすように、ラージュは遺体を魔術で動かす。
そして彼はその者の頭に手を置き――。
握りつぶした。
沈黙。今度こそ本当に、その場の誰もが完全に動きを止めた。
しかして――音が戻る。
それはまさに、島より大きな怪物の咆哮だった。驚き、悲鳴、怒号。数えきれないほどの声が洪水のようにあふれ出し、ヘレナの全身を強烈な風圧がたたきつける。
ラージュは再び高笑いし、広場から跳びあがる。背後にあった町長の家の屋根を踏み、大きく両腕を広げた。
「実に見応えある茶番であった! だがまだだ、大事なところが終わっておらぬぞ。さあ処刑を続けよ! 我にその小娘の焼き焦げる様を見せつけるのだ!」
けれどもう彼の声など誰も聞かない。ラージュの足場はたちまち打ち壊され、空中に逃げた彼の身にはいくつもの武器が飛んだ。
「黙って! 殺されるのはあなたよ!」
「そうだ、おれたちは敵を間違えた! 真に裁くべきはやつのほうだったんだ!」
人々は叫び、次々にラージュに向かっていく。
ヘレナは呆気に取られていた。だっておかしい。こんなことは絶対にありえない。あのラージュが……サーネルが最期にくれた愛が、あんなことをするはずがない。
拘束が解かれる。そばで男たちが頭を下げる。
「ヘレナ……すまなかった。本当に……謝罪などで済まないことをした」
「だが今はやつを討つ。その使命だけは果たさなければならない」
待って。手を伸ばしたけど、男たちはすでに消えている。
ヘレナはその場に膝をつき、人の消えた広場を呆然と見つめることしかできなかった。
おかしい。ありえない。何かが間違っている。でもヘレナには説明がつかない。頭を抱えることしかできない。
分からなくて、頭がぐちゃぐちゃになって、泣くことすらできなくて――それからふと、ミィチの言葉を思い出した。
悪霊。
そうだ、あれは。サーネルが連れてきたものだけれど、サーネルの意志じゃない。たまたまそこに居合わせただけの、悪霊。
ゆらりと身を揺らす。立ち上がり、処刑台を降りる。誰が落としたか、赤い宝石が地面に放られていた。それを握り、ヘレナは破壊された町長の家の先を睨む。
――町の皆を守らないと。
あれが人々を襲うというのなら。町の平和を壊すというのなら。たとえサーネルの忘れ形見でも、許すわけにはいかない。
「ごめんなさい。サーネル様」
ヘレナは目を閉じ、深く息をつく。
燃えるような激しい光が、広場の全てを赤に染めた。
*
広場の方に「赤」を見た。誰かが魔術を使ったのだろうか。でも振り返りはしない。すでに後戻りはできないのだから。
ぼくはもう、一つの魂を踏みにじってしまった。
こんなことをしでかした以上、憎しみを一身に引き受ける覚悟はできている。これがぼくに考えつく限りの、ヘレナを確実に救える唯一の方法だ。
結果は分からなくても試しに庇ってみればいい。一度はそう考えた。だけどダメだ。一度でも表立って彼女の味方をしてしまえばこの作戦は使えない。
彼女を庇って嘘を言っている。その可能性にわずかでも真実味を与えてはおしまいなのだ。町の人はもちろん、ヘレナやウナにさえも悟らせるわけにはいかなかった。
「外道めぇ!」
後ろから人々が追ってくる。だけど。
「遅い」
瞬間、ぼくの体が弾丸のように打ちあがり、瞬きする間も与えないまま追っ手を突き放した。
体を軽くし、高く跳ねる。それと同時、右手に石を握り、一気に念力で突き動かす。するとぼくの体も高速で打ちあがる。やったことはそれだけだけど、その移動速度はすさまじい。空洞のてっぺん近くまで上がったころには、追っ手の姿は見えなくなっていた。
「ぐっ」
ただ反動は大きい。石を握った手は血まみれだし、腕も引きちぎれそうだ。損傷自体は問題ないけど、使用した直後はどうしても身動きが取れなくなる。むやみな連続使用は控えた方がいいだろう。
特に、彼を相手にするときは。
大岩の下に、逆さの格好で立っている者がいる。いや、あれは足を岩に突き刺しているのか。彼はこちらを見下ろし、飛び出すべき瞬間を見計らっていた。
「わしも老いたか。お主のような者をわずかでも信じようとは」
「――町長」
ぼくは肩から腕を生やし、防御の体勢を作る。
だけどそれより一瞬早く、彼の体が迫っていた。
「遅い」
「なっ、舐めるなぁ!」
ぼくは叫び、念力で町長を吹き飛ばす。手刀はわずかに首をかすめただけに終わった。
――なのに、遅れて大量の血が噴き出した。
「なっ、なんだっ」
おかしい。多少かすりはしても、確かに避けたはずなのに。
それに動きが速すぎる。大岩を飛び出してからぼくの首を斬るまでほとんど間がなかった。まるで時間でも飛ばされたみたいに。
「落ちてきたぞ!」
なんて考えている暇はなかった。ぼくが落ちた先、丘の上で何人かが待ち受けている。上からは町長が降ってき――。
「!」
まただ。また町長がぼくのそばに迫っている。
そして何故か、ぼくの背が地面についていた。加えて四方八方から宝石を光らせた人々が向かってきている。
やむを得なず念力を使い跳躍する。だけど同時に町長もぼくの首をつかみついてきてしまった。
「逃がさぬ」
「……! おのれ!」
町長は手を振り上げ、再び手刀を作る。
その時ちらりと、親指と人差し指の間に青紫の宝石を見た。
ぼくはとっさに目を閉じる。サーネルの勘だろうか。何故かは分からないけど見てはいけないと感じた。
「む」
町長が呟く。直後まぶたの向こうが明るく光ったように感じた。
魔術を……? けど何も起こらない。いや、これは。
「――貴様、我の意識を飛ばす気だな」
「ほう。こうも早く気づきよるか」
仕組みはおそらく光。魔術の効果はおそらく、宝石の光を見た相手の意識をほんの数瞬飛ばすというもの。
以前にも光を見ただけで視覚を奪われる魔術を受けたことがある。だから気づけた。とはいえ突破口まで見いだせたわけじゃない。問題は光を見てから意識が飛ぶまでの速さだ。ぼくには今まで光を見た記憶がない。つまり一瞬見るだけで魔術が発動するということ。
ならば一瞬も見なければいい。それだけのことだ。
「ぬぅ!」
念力で再び町長を突き飛ばす。最初は強く首を掴んで抵抗されたけど、際限なく力をかけるとその手も離れた。
町長の飛んだ方とは逆を向き目を開く。壁がすぐそこにあり、慌てて念力を止める。
空洞の端まで来ていたらしい。ただし地上へつながったところとは少し位置がずれている。逃げることに集中し過ぎた。
見下ろすと少し遠くに孤児院がある。その近くに、円錐の形をした木が見えた。いつだったか、銀髪の少年が水をやっていたものだ。確かあの木のてっぺんに、とてもきれいな花が咲くという話だった。
「……見たかったな」
ずきりと胸が痛んだ、ような気がした。
いや、それはない。そんなはずはない。もっと大切で大きな意味のあるものを手に入れるため、ぼくは今こうして逃げている。だというのに、花が見れないだけのことで悲しむなんてお笑い種だ。
地面に降り立ち、今度は人目に触れないよう逃走を開始する。
孤児院が見える。花畑が見える。丘が見える。大岩が見える。とてもふしぎで温かいこの景色とも、今日でお別れだ。
「――」
喉がつかえたような変な声が漏れる。何故かぼくは唇をかみしめた。
ぼくは駆ける。耳をそばだて周囲を警戒しつつ、地上へ続く崖を目指してひたすら走る。
「どこへ行くつもりだい」
孤児院と町の間、丘の横を抜けた時だった。目の前に人が現れ、ふらりと倒れた。
「ふん、貴様か。大層な有様だな」
ウナだ。町長にやられたせいか、立っていることすらままならない様子だ。
それでも彼女はぼくを睨み、震える手で、地面の石を投げつけた。
「悪魔め。よくもあんな真似を」
地面を這い、じりじりと迫ってくる。息をあらげ、咳き込んで頬を地につけてもなお、唸りながら向かってくる。
『おばあちゃん』が、すさまじい怒りの形相を向けてくる。
「お前……など」
歯を食いしばり、ぶるりと身を震わせ、『おばあちゃん』は言う。
腕を上げ、指を差し、『おばあちゃん』は目を剥いた。
そして、叫んだ。
「お前など、死んでしまえぇ!」
ぼくの体が硬直する。
ただ目を見張り、ぼくは固まった。
なんとか拳を握りしめ、視線を返す。
「……ぁ……わ…………」
哀れだな、貴様らは。そう言ってみせたかったのに、喉がつかえて上手く喋れない。
笑ってみせようと思った。嘲ってみせようと思った。なのに表情が作れない。顔が強張って、別の生き物みたいに勝手に歪む。
笑え。笑えよ。今さらなんだ。こんな対応慣れたものじゃないか。睨まれるのも痛めつけられるのも、もうどうってことないはずだろ。
どうして、喋るだけのこともできないんだよ!
「――っ」
ぼくは結局、何も言えずに逃げ出していた。
走る、走る、走る。人の気配なんて探らない。とにかく早く地上へ逃げる。それだけ考えるんだ。
思い出せ、思い出せ。世界を救うんだろ。自分を許したいんだろ。それがぼくの望みだ。誰かの許しは必要ない。愛してもらう必要もない。これでいいんだ。ヘレナを救ったことが全てなんだ。
そうだ。誰に憎まれようが刃を向けられようがぼく自身の愛には関係ない。だから、傷つく理由がぼくにはない。
最後の崖の前にたどり着く。あれを飛び越え、上へ飛べば地上だ。あと少し。もう少しで――。
足が止まる。思わず目を擦っていた。
金の髪がさらさらと風に揺れる。二束のお下げが、凛とした碧い瞳が、淡く赤らんだ大岩に照らし出される。
馬鹿な。どうして彼女がここにいるんだ。地上からここへ降りる手段を彼女は持っていないはずなのに。
「いたぞ、こっちだ!」
まずい、追っ手が来た。ともかく早く上へ。
「止まりなさい!」
ぴしゃりと声を浴びせられ、ぼくはびくりと跳ねる。追っ手たちまで動きを止めた。
崖の上に立ち、少女は目を見開く。まるで地上への道をふさぎ、立ちはだかるように。
彼女はゆるく首を振り、頭を押さえる。
「サーネル。わたし、怒っているのよ。町の人を殺した? ヘレナを操った? あなたは一体何を言っているの?」
しかして少女は――プリーナ・ワマーニュは胸に手を当て、碧く燃える瞳で言い放った。
「宣言するわ! 今この場でわたしが、あなたの無実を証明します!」