30. 幸せになるだけでいい
最初の事件は朝に起こった。当時ヘレナはいつものように、誰の目にも留まらない場所にいた。
三つ同時に起きた次の事件でも同様、ヘレナが姿をくらませているうちに全ての殺しが行われている。
さらに今日、新たに三人が襲われた。そのうちの二人、ミィチとオベーヌはそれぞれ、事件の直前にヘレナと歩いているところを目撃されている。加えてもう一人は、ヘレナとオベーヌが空洞に入っていくのを目にし、監視に向かったのちに殺された経緯があった。
そして最期の事件の直後、行方不明になっていた四名が姿を現した。皆一様にヘレナが犯人だと主張し、さらに先ほど目を覚ましたオベーヌも、ミィチが襲われているところを見たと話しているという。
事の真偽を慎重に見極めてきた町長たちも、ここまで情報が出そろえば認めざるをえない。一連の事件の犯人はヘレナ・フローレスに違いないと。
かくしてヘレナの処刑は承認され、早くも本日中に決行されることとなったのである。
「馬鹿を言うんじゃないよ!」
太陽の町の隅、大岩から最も離れた場所に塔が建っている。その入り口、大きな扉の目の前でウナが怒鳴っていた。
「ヘレナが犯人だってぇ? そんな馬鹿な話があるわけないだろう!」
すでにヘレナは拘束され、塔の中に閉じ込められている。この建物は特別頑丈な岩で作られており、生半可な力では破れないようになっていた。
「ヘレナを出しな! 今すぐにだよ!」
「ウナさん、今回ばかりは聞けねえよ」
「そうだ。あんたらには世話になったが、魂だけは曲げられねえ。処刑は行う。必ずだ」
門番たちの意志は固く、加えて周囲では町の者たちがぴりぴりした様子でウナを監視している。その視線はおそらく、ウナの隣の部外者――プリーナにも注がれていた。
「こんなのおかしいわ! ヘレナの言い分も聞かずに罪人と決めつけるなんて! 卑怯者のすることです!」
「十分な調査の結果だ。尋問よりはるかに信頼できると思うが」
「いいえ、いいえ! あなたたちは頭に血が上って気づいていないだけです! そうやって耳をふさいで犯人を逃がすのがこの町のやり方なのね!」
プリーナの挑発とも取れる言葉に、門番たちはぴくりとも表情を動かさなかった。やはり彼らの意志は固い。
ヘレナを犯人と叫んだ者たちについて、プリーナは詳しく知らない。騒ぎが起きた時は孤児院へ子どもたちを避難させるのに手いっぱいで、まともに様子を見られなかったのだ。そのせいもあり、あまりに唐突な処刑決定の流れに納得がいかなかった。
「コンズ! どこだ! コンズ!」
塔を遠目に見守る人々の向こうで誰かが呼びかけている。
「サーネル……?」
焦りに満ちたその声は確かに彼のものだった。彼は処刑の話を耳にするなり孤児院を飛び出して、そのまま姿を消していた。
事情は分からないけれど、彼はヘレナを助けようとしている。プリーナは確信していた。ならば手を貸さなければ。
「ウナ、孤児院へ戻っていて。子どもたちだけをおいておくのは心配だわ」
「? アンタはどうするんだい」
「サーネルに聞きます」
言うが早いかプリーナは塔の前を離れ、彼の声のした方へ向かった。
*
いない。見当たらない。何度叫んでも出てこない。分かっていたけど無謀だった。
ぼくは町やその周辺を駆け回り、コンズの姿を探していた。時には呼びかけすらした。もちろんヘレナを救うためだ。
ヘレナの処刑が決まった後、彼女を犯人とした根拠を耳にした。それはまとめればたった二つ。事件の時姿をくらませていたこと、それから、被害者たちがヘレナに襲われたと証言したことだ。
そして決定打になったのは二つ目の根拠。だがそれは、変身の魔術について話せば簡単に覆るものだった。
ふしぎだったのは犯人がヘレナに化けた可能性を誰も考えなかったのかということ。けどきっと、いくら魔術の存在する世界でも、あれほど完成された変身能力は想定の外なのだ。コンズの魔術は常識をはるかに超えていた。
だからこそ信じてもらうのは難しい。例えば炎を扱う魔術を犯人が使っていたと主張するだけならそれほど疑われることもないだろう。だからぼくがすべきは口で事実を訴えることじゃない。コンズを見つけ出し、皆の前に晒すことだ。
なのに。
「なんで出てこないんだよ!」
ついにぼくは怒声を上げた。
「いるんだろ! コンズ! 隠れてるのか? まさかぼくが怖いのかよ! そんなに怯えて、自分が恥ずかしくないのか!」
ここは町中。当然周りに人もいる。でも視線が集まろうが気にする余裕もなかった。どこにいるかも分からないコンズを睨み、焦燥感でおかしくなりそうな頭を押さえる。
「ね、ねえ」
「!」
振り返るとプリーナが困惑した様子でぼくを見ていた。ぼくは相当頭に血が上っていたらしい、気づいたらずかずかと彼女に迫り、その肩をつかんでいた。
「コンズ! きみはコンズだろ!」
「こ、コンズ? なあに?」
「……ごめん。なんでもない」
ぼくはふらふらと後ずさり、その場にしゃがみ込む。
何をやっているんだろう、こんなことをしたって向こうから話しかけてくるわけがないのに。
そうだ、分かっていた。コンズは出てこない。少なくとも、処刑が終わるその時までは。
ヘレナを陥れることが目的なら処刑を止める危険は絶対に侵さない。出てくるとしてもその後。全てが終わり、ヘレナの命が失われた後だ。
一瞬考える。ヘレナが死んだと偽ればコンズも顔を見せるんじゃないかと。でもダメだ。偽の死体なんて用意できないし、嘘の処刑を仕掛けることだってできない。せめて町の人々の協力がないことには……。
「サーネル。ヘレナのために何かしてるなら、わたしも」
「……」
ぼくは無力だ。ヘレナの無実を知っているのに。犯人を知っているのに。それを伝えることすらできないなんて。
ヘレナを攫い町から連れ出す。その手もある。でもそれは最終手段だ。どうしても彼女の無実を晴らせなかった時の、最後の。
どうすればいい? ぼくは。何をすればヘレナを救える?
「サーネル」
温かな手が、ぼくの手に触れた。
指先で手の甲を撫で、プリーナはぼくに目線を合わせる。
「一度孤児院に戻りましょう。ごはん、まだだものね」
何を悠長に。そう思って彼女を見返す。けどその目を見たら、反論の気持ちは消えた。
碧い瞳はいつものように凛として意志に満ちている。それはぼくを落ち着かせるというより、むしろ鼓舞してくれているように見えた。
「……うん」
こくり、とぼくは頷く。
少し頭を冷やそう。処刑の時まではまだ幾らか猶予がある。それまでに、やるべきことを探すんだ。
食事の最中、子どもたちは静かだった。
いつもは慌てすぎなくらいがつがつと頬張る彼らも、今日ばかりは食欲旺盛というわけにもいかないらしい。だから代わりに、ぼくとプリーナがたくさん食べた。ティティも部屋の隅で木の実の丸焼きを貪っている。
不安そうな子どもたちを見ると胸が締め付けられるけど、それでもごはんを食べたら気持ちは落ち着いた。この先どんな展開になっても起こるであろう戦いに向け、心の準備はばっちりだ。
「ミィチはどうですか?」
ウナの後ろ姿に尋ねる。ベッドの上で眠るミィチは死んでしまったみたいに静かだった。
「こりゃあ今日中に目を覚ますことはないだろうねえ」
ウナはごく冷静に答える。
「なに、心配はいらないよ。このまま起きないなんてことにはならんさね」
「当たり前だよ! ミィチは死なないもん!」
「いっつも鍛えてるもんねー!」
「ああ、そうだねえ。大したもんだよこの子は」
ウナの手が愛おしそうにミィチの頭を撫でる。その背中は我が子を想う母そのものだった。
すっと、胸の内が冷えていく。
ヘレナが空洞の存在を教えてくれなかったら、きっと今ごろミィチはいない。コンズはヘレナを陥れるだけには終わらず、目的のために人の命を道具にしたのだ。
思い通りにはさせない。生かしてもおかない。たとえ向こうにその気がなくとも、争いを避けることはかなわないようだ。
「さて」
ウナが腰を上げる。
「それじゃあ少しばかし、病人どもの面倒でも見てこようかねえ」
彼女は自分の腰を軽く叩き、子どもたちのそばへ寄る。一人一人と目を合わせ、ぞっとするほど優しく笑った。
「いいかい、もしあとで町長か町のやつらがここに来たら、ちゃんと言うことを聞いてやるんだよ」
まるで、別れの言葉をかけるみたいに。
名残惜しそうに子どもたちの頭を撫で、彼女は孤児院を出て行く。
元気に手を振ったり、ぽかんとしたり、子どもたちの反応は様々だった。
どうやら彼女の決めた「最終手段」はぼくと同じものであるらしい。まずは町長を説得でもするつもりなのだろうけど、それは失敗に終わると考えている。
「わたしたちも」
ウナの考えを察したらしいプリーナがぼくの手を掴む。でもぼくは動かなかった。
「待って。もう少し、考える時間が欲しいんだ」
ぼくには最終手段を実行する気はさらさらない。ヘレナを連れ出し命だけ守ったって、それは彼女を救ったことにはならない。
これまでヘレナがどんな思いで寒さをこらえ、太陽の町を救い続けてきたのか。彼女が憎まれたまま逃げ出す結末なんて認められるわけがなかった。
「分かったわ、待ってる。焦って忘れてしまったけれど、ここも守っていないといけないしね」
「ありがとう」
多分コンズが動くことはしばらくないけど、絶対に危険がないとも言い切れない。動くに動けない今のうちはここにいるのが一番いいはずだ。
ぼくは黙考を始めた。
どうやったらヘレナを救えるか。ぼくにできることは何か。ひたすら考える。最善の策は必ずどこかにあるはずなんだ。
――そしてぼくは、一つの策を見つけ出した。
思わず体がぶるりと震えた。それを実行に移すのは恐ろしいことだったから。
それは人として最低の行いだ。人の尊厳を貶める行為だ。
だけど、やろうと決めた。どんなに醜い姿をさらそうと、ヘレナを救えるのなら話は別。そう、別なんだ。
「プリーナ。行こう」
ぼくは立ち上がり、孤児院を出る。ティティもいっしょに連れていく。すぐにプリーナがついてきた。
だけどドアを通ってすぐに立ち止まり、いった。
「ティティも出たってことは、孤児院を離れるの?」
「うん。そのつもりだよ」
「それなら子どもたちを町へ連れて行きましょう。あまりいい雰囲気とは言えないけれど、身の安全には代えられないわ」
「そうだね。それじゃあ一度……」
言いかけて、ぼくは町の方角、丘の方へ目を向ける。人影が歩いてくるのが見えた。
あれは町長だろうか。
「悪いけど、子どもたちのこと頼めるかな」
「それは構わないけれど」
「それじゃ、向こうの崖の上で!」
「あっ……」
こんな時にわざわざ町長がやってくるなんて何かあったのかもしれない。プリーナも連れていっしょに話を聞けばよかったのだろうけど、そう気づいた時にはすでに走り出していた。
「町長!」
坂道を降りてきた町長に駆け寄る。目が合うと相変わらずの研ぎ澄まされた迫力に気圧されそうになるけど、なんとか堪えて尋ねる。
「何かあったんですか? もしかしてヘレナに……」
「ウナを寝かしつけた」
ぼくは固まる。町長はぼくを無表情に見ただけだし、語気を荒げてもいない。だけど、刃を突きつけ睨みつけられたような、死の恐怖を伴う緊張感を味わっていた。
「ヘレナの処刑は覆らぬ。邪魔しようというのであればお主にも剣を抜くことになるであろう。そうなれば――」
と、今度は本当に手刀を寸止めされる。
「ウナのように手加減はできぬ。命を奪うことに……」
「分かってます」
首筋に突き付けられた手を、ぼくは軽く払った。
「ヘレナを助けるつもりなんてありませんから」
「――ならばよい」
わずかに疑うような目を向けられたけど、彼はそこで話を終えた。
まさかそれだけを言いに? と思ったら、彼はそのまま孤児院へ向かう。
「あ、あの」
「ウナに頼まれたのでな」
彼は振り向きもせずに答え、去っていった。
そうか、子どもたちのことを――。
町長は子どもたちを愛している。きっと、ヘレナのことも。これはぼくの願望だけど、町長だって本当は、ヘレナを殺したいだなんて思っていないはずなんだ。それでも彼らはやり遂げてしまう。それはあまりに惨いことだ。
絶対に止めて見せる。ヘレナを必ず救い出す。たとえこの手を汚してでも。
引き返してプリーナと合流しようかとも考えたけど、先に崖の上に向かっていることにした。子どもたちの顔を見たら、悪事に手を染める決心が揺らいでしまいそうだ。
できればぼくが町を去るまで、ウナにも眠っていてほしい。まあ、それは叶わぬ願望と覚悟しておこう。
息をつき歩いていると、後ろから激しい足音が聞こえてきた。振り返ると、やっぱりティティに乗ったプリーナがいた。
「乗って」
「ありがとう」
差し出された手を掴み、ティティの背に飛び乗る。
「一応聞くけど、子どもたちは?」
「え?」
「孤児院の子たちは町長に?」
ティティの走る風で聞き取りづらかったのだろうか、返答までわずかに間があった。
「ええ、そうよ。それで、どこへ向かえばいいかしら」
「いや。止めてもらっていいかな」
「どうして?」
「安全のためだよ」
「……分かったわ」
腑に落ちない様子だったけど、プリーナはティティを止めてくれた。即座にぼくは足の先からたくさんの足を生やし、プリーナとティティの体を巻き付ける。そうしてぼくの体に固定した。
「なっ、何をしているのっ?」
ぼくは答えない。隠し持っていた石を両手に握りかかげると、念力を使って上に押し上げた。
ぼくたちの体が浮かび上がる。ひそかに練習していたとおりだ。念力を使えば空中を移動できる。
ぼくはそのまま丘より高く上がり、崖の上――すなわち、地上に繋がる谷の底へと向かった。
「ま、まって! どこへ行く気っ?」
「上だよ」
「ヘレナのところへ行くんじゃなかったのっ?」
残念だけれど、これからすることにプリーナたちは巻き込めない。
だから地上で待っていてもらうことにしたのだ。プリーナたちを守りながら策を実行するのは難しい、という事情もある。彼女は怒るだろうし悲しむだろうけど、それを伝えれば納得はしてくれるだろう。
でも。
「……ごめんね」
呟く。やっぱりプリーナは悲しむだろうな。それを思うと胸が痛――。
「あっ」
今何かがティティの上から落ちた。鍋だろうか、袋だろうか。あっという間に木々の中に消えてしまったから分からない。
……諦めよう。旅を助けてくれるものではあるだろうけど、こんな時に拾いに戻る気にはなれなかった。
プリーナはしばらくもがいていたけど、諦めたのかため息をついて動くのをやめた。ずいぶんと怒らせてもしまったらしい。それから谷を上がって地上で解放するまで、彼女は一度も口を利いてくれなかった。
「ごめんね、プリーナ。あとでちゃんと説明するから」
奈落の底へ戻る直前それだけ伝えたのだけど、むすっと唇を尖らせたまま、やっぱり何も答えてくれなかった。
「……ごめん」
もう一度だけ謝って、ぼくは飛び降りる。
これで準備はできた。ぼく一人でなら、あの策を実行できる。
ヘレナの幸せを守るには、彼女を処刑台から遠ざけるには、どうするのが一番だろう。もう一度考えてみる。
うん、やっぱりすでに答えは出ている。条件はそろっていた。これ以外に解決策はない。どんなに怖くても、最低の行いであってもやるしかないんだ。
だって、魔族の言葉なんて信じてもらえない。変身の魔術の存在を伝えることは叶わない。ずっとそうだった。魔王打倒に向けた共闘を謳っても、人々を助けて回って見せても、彼らは聞く耳を持たなかった。
本当はもうわかっている。人々と手を組むなんて、ぼくにはできっこないってことくらい。今回も同じことだ。
でも――。一瞬、そんな言葉が頭をよぎった。
でも、ほんの少しなら、可能性はあるんじゃないか?
首を振る。馬鹿な。ぼくは何を迷っているんだ。思い出せ。自分が何のためこの世界に留まっているのかを。自分を許すためだ。いずれ自分を愛するためだ。魔王を倒し、世界を救うためだ。ここでヘレナを救えなければ、ぼくは一生自分を好きになんてなれない。
自分を許し、プリーナとの誓いも果たす。それが全てなんだ。誰かに認められる必要もなければ愛してもらう意味もない。誰に憎まれようが刃を向けられようがぼく自身の愛には関係ない。だから、傷つく理由がぼくにはない。
寒さをこらえ、一日も欠かさず太陽を光らせ続けたヘレナを思い出す。
自己犠牲を躊躇わない彼女の姿は、魔族であるサーネルにはさぞかし理解し難かったんじゃないだろうか。
だからこそ惹かれたのかもしれない。そしていつしか思うようになったんだ。この子を助けてあげたいと。
ぼくも同じだ。
ヘレナを救いたい。苦しむ姿は見たくない。毎日皆を想って寒さを堪え、罪悪感すら抱かせなかった――彼女こそ本当の救世主だ。彼女に与えられるべきは不幸じゃない。怒りじゃない。憎しみなんかであるはずもない。
ヘレナは人々を愛し、彼らのために頑張った。彼女が今やるべきことといえば、きっと、ただひとつだ。
「あとはただ、幸せになるだけで良い」
祈るのはそれだけ。ぼくは目を閉じ、それだけを願い――。
再び、太陽の町に落ちた。