28. 現れた真相
空洞の端にかがり火が並んでいた。
ミィチは起き上がる。ずきりと頭が痛んだ。
「なんだ。何が……」
頭を押さえ記憶を探る。
思い出されたのは眠る直前のこと。ミィチは震えるヘレナが見つからないよう、洞穴のそばに立っていた。その時突然、後ろから頭を殴りつけられて――。
「ああ、起きた?」
声をかけられ、ミィチは視線を向けた。
一人の少女が立っている。赤い髪に赤い瞳。薄暗い空洞の中でさえ、その色ははっとするほど鮮やかだ。その姿はとてもよく見慣れたものだった。
「ヘレナ、いたのか。何があったのか説明――」
ミィチは絶句した。少女の向こうに人が倒れていたから。何故かその手足は縛られている。ミィチ自身も同様だった。
倒れているのは二人。よく見ると片方は縛られていない。だが。
「……死んでるのか?」
縛られていない方、初老の男の周りに血だまりが出来ていた。
ヘレナは軽くうなずくと唇を尖らせた。
「ソイツね。なんか勝手について来たから殺しといたのよ」
あれは町長と共に殺しの調査をしていた男だ。それがどうして。
「いや、待て。今お前、殺したって言ったのか?」
「そうだけど。悪い?」
「な――」
また絶句させられる。頭が混乱しそうになった。
いや、分かった。こんな状況に追い込まれればいくら頭が痛んでいたって分かってしまう。認めたくはないが、絶体絶命だ。
「なあヘレナ。これを解いてくれ」
とりあえず提案してみる。けれどヘレナはふんと鼻を鳴らした。
「馬鹿じゃないの? 状況理解してる?」
「だよな」
ミィチは失笑して、ぐったりと地面に背をつける。
これはつまり五度目の殺しだ。次の死者としてミィチが選ばれたのだ。
「ん……クリスターニュ? それに、ミィチかい?」
向こうで縛られていた青年が目を覚ます。町で時々声をかけてくる優男だ。あっちは次の行方不明者か。
「ええ、そうよ。そこでしっかり見ときなさい」
ヘレナは言いながら、足をミィチの顔面めがけて振り上げた。
「……何よけてんのよ」
「馬鹿じゃないのか? よけるだろ普通」
ミィチは寝返りを打つように寸でのところで身を回転させていた。ヘレナは大きく舌を鳴らす。
「いいわ。それなら早速始めてあげる」
ヘレナは手を上にあげた。いつの間にかナイフが握られている。それを目にして、青年はようやく悲鳴を上げた。
「なっ何やってるんだっ? おい、クリスターニュっ?」
「あー、要らない。そういうのいいから」
瞬間、握られていたナイフが飛ぶ。青年へ向け一直線に閃き、額に柄が直撃した。
声がやむ。青年はぐったりと倒れ動かなくなった。
「ちょっと強く投げ過ぎた? まああとで起きるでしょ」
「お前」
ミィチは呟く。灰色の瞳から温度が消えた。
「……へえ」
初めてヘレナが嬉しそうな笑みを見せた。花畑に目を輝かせる女の子のように、しゃがみ込んでその顔を覗き込む。
「いいじゃない。そんな顔ができるならもっと早く見せなさいよ」
自身の頬に手を這わせ、幸せそうに息をつく。赤い瞳が妖しく煌めいた。
「それじゃ、始めるわね」
ヘレナの手には既に新たなナイフが握られていた。冷たい切っ先がゆっくりとミィチの首筋に近づいていく。
その時。ミィチがにやりと笑った。
「お前さ、近づきすぎだよ」
ぺっ、とつばが飛ぶ。ヘレナの頬にべとりとはりつく。
けれどヘレナは顔色一つ変えなかった。それどころかますます目を輝かせ、にこりと上機嫌に言った。
「アンタまだ戦えるつもりでいるでしょ。もしかして気づいてない? アンタが隠し持ってた宝石は、ここよ」
ヘレナはナイフを持っていない方の手を出すと、ぱっと開いてみせた。そこには確かに白くて丸っこい宝石がある。見紛いようもなくミィチの宝石だった。
それを見て黙ってしまったミィチに、ヘレナはくすりと微笑んだ。
「アンタら人間はコレがなきゃ魔術もろくに使えないんでしょ? ホント哀れな生き物よね」
アンタら人間、か――。つまり彼女は魔族だったらしい。
ヘレナは宝石をしまい、改めてナイフを突きつける。鼻歌まで歌いだし、ついにミィチの首を――。
「それは違うぜ」
斬りつける寸前、ミィチがいった。
「はあ?」
ヘレナが片眉を上げる。
次の瞬間。彼女の顔面が地面にたたきつけられていた。
「ぶぶぇえっ!」
「なんだよ、いい声出すじゃないか。クソ女」
それは突然に起きた。ミィチは身じろぎ一つしていない。にもかかわらずヘレナは、まるで上から巨大な何かに潰されたみたいに倒れた。
勢いよく打ち付けられた顔面は血を飛び散らせ、辺りに染みをばらまいている。
そしてその染みが――自ら動き出し、ヘレナの顔の下に入った。
ミィチの魔術が発動したのだ。
「ど……どうして……!」
「あの宝石は飾りだよ。お前ら魔族にだって魔術が得意なのと下手なのがいるだろ。それと同じだ。宝石が必要なやつもいれば要らないやつもいる。そこは元々もってる資質の問題だな。そして」
ほんの一瞬、ミィチは目を細めた。
「どうやらオレは、強いらしい」
ベキリと、ひときわ惨たらしい音がした。
「んぶぅぅぅ!」
「しばらくそこで寝てろ」
さらに強くヘレナの顔が押し付けられる。骨がめりめりと異様な音を立て、彼女の悲鳴が空洞に響いた。
苦しめ。
何十、何百人分の――かつて目の前で死んでいった者たち全ての怒りを込め、ミィチはひたすらに力を行使する。
回りくどい殺し方の意味は? 行方不明者はどこにいる? そもそも攫った理由は? 聞くべきことは山ほどある。けれど今は考えない。できうる限り長くあの女を苦しみに縛り付ける。今やるべきはそれだけだった。
「ん……ぐぅぅ!」
ヘレナは腕を地面の上で這わせ、じりじりと首の近くへ動かす。そして、ほんの一瞬辛うじて腕を浮かせた。それが元通り地面にくっつく瞬間。
自らの首を叩き切った。
「こ、これで! ……ぶぇっ!」
「ばーか。そう上手くいくかよ」
頬につばをつけられたから、首さえ切り離せば動けると思ったのだろう。確かに彼女の体に魔力を流し込んだのはあのつばだ。けれど残念。
「もう手遅れだぜ。いくら切り離しても、お前と地面は完全に繋がっちまってる」
メキメキと彼女の全身が音を立て、腕も、足も、胴も、体中の至るところが一つの方向に引き寄せられていく。無理矢理引っ張られた体は奇妙な形に折れ曲がり、先ほど以上に激しく血をまき散らし始めた。
「時間はたっぷりあるんだ。オレの魔力が切れるまで楽しんでいけよ」
ミィチの口元にもはや笑みはない。ただ冷たく睨み力を振るうのみ。
当然油断もしていなかった。彼女が魔族なら侵入者に違いない。近くに仲間が潜んでいる可能性は十分にある。
それでも気づくことができなかったのは、単純な戦闘技術の差だったのだろう。
ミィチの背後、固い地面の中から、巨大なしっぽのごとき肉の塊が生えていた。
「手間かけさせてくれたわね」
「……あ?」
しっぽが蠢き、ぴんと高く立つ。ミィチの背の三倍はあっただろうか。
それが――ミィチの背中めがけて振り下ろされた。
けれど、それは当たらない。
「危ないっ」
ミィチの後ろでしっぽが弾ける。握りつぶされた果実のように、勢いよく血しぶきを上げて霧散した。
ヘレナが舌を鳴らす。睨み上げた視線の先を、ミィチは恐る恐る振り返る。
「お前は」
サーネル・デンテラージュ。その皮をかぶった少年の姿が、そこにあった。
*
岩壁の向こうに、実はもう一つ小さな空洞がある。町の全体を探し尽くした後でヘレナがそう言ってきた。
「暗いだけだし、あそこに人が行くことは滅多になくって。だから忘れてたんだけど……あたしたちがいた場所から近いの」
そこには崖にできた穴を通っていくという。
「ヘレナたちは丘の方をお願い!」
場所の説明してもらったあと、ぼくはすぐ出発した。
その先であんなものを目のあたりになんて、予想できるはずもない。
空洞にたどり着いた時、戦いはすでに始まっていた。
「ぶぶぇえっ!」
「なんだよ、いい声出すじゃないか。クソ女」
何故か空洞の真ん中にヘレナがいる。そして顔面を地面にたたきつけられている。
頭がぐるぐるとした。ぼくはヘレナに見送られてここに来たのだ。全速力で。まさか彼女に先を越されたとは思えない。
それがどうしたことか、いま目の前にヘレナがいる。混乱のあまり、ぼくは空洞の入口で身動き一つとれなくなってしまった。
なんだ? 何が起きている?
倒れた二人の男は誰だ? どうしてヘレナが地に伏している? どうしてミィチは、そんな冷たい目でヘレナを見ているんだ?
まるで二人は敵同士で、殺し合ってでもいるようで。
ようやく動けなかったのは、地面から音もなく生えてきたしっぽにミィチが襲われそうになったからだった。
「危ないっ」
ぼくは飛び出し、掌でしっぽに触れる。瞬間、魔術で破砕した。
赤い髪の女が舌を鳴らし、ぼくを睨み上げる。背筋の凍る鋭い視線は、明らかにぼくの知るヘレナのものとは違っていた。
「お前は」
驚くミィチに答える余裕はない。ぼくは進み出て、赤い髪の女に問うた。
「どうして君は……いや、お前は、ヘレナの姿をしてるんだ」
メキメキと音が聞こえる。地面にめり込む彼女は、こちらを睨んだまま黙している。そういえば、首が折れているというのに当たり前のように生きている。
そうだ、さっき確か魔族とか……。
「まずい! よけろ!」
はっとする。叫んだのはミィチだった。
まだ攻撃は終わっていなかったらしい。さっき破砕したのに似たしっぽが三本、同時に襲いかかってくる。反射的に胸から腕を生やし、三本の手でしっぽを掴み破砕する。
でも、そのすべてを砕くには至らなかった。
「しまっ――」
ばらばらになったしっぽの一部が地面に落ちる。その一つがミィチに頭に直撃した。
「ミィチ!」
慌ててしゃがみ、しっぽの破片を払いのける。抱えあげたミィチはぐったりと眠り込んでいた。でも、息はしている。
「ねえ、アンタさ」
女の体が動き出す。切れた頭を両手で持ち、首の上に乗せた。するとたちまち傷がふさがり、何事もなかったかのように完全にくっついた。
「ここで何してんのか知らないけど、アタシの邪魔、しないでくれる?」
ぼくは飛び退いた。大量に腕を生やしドームを作り、その中にミィチを寝かせる。これ以上傷つけさせるわけにはいかない。
「邪魔すんなって言ってんだけど」
「黙れ」
ぼくが睨むと、女はまた舌を鳴らしてそっぽを向いた。
「ま、さっきのぶつかり方なら三日は起きないか」
「?」
奇妙な呟きにぼくはぴくりと眉を動かす。女はちらりと視線をよこした。
「ユニムほどじゃないけどアタシも分かるのよ、そういうの。アタシの場合は怪我の程度とか心の壊れ具合とか限定だけど。見飽きるくらい観察してきたからさ」
「ユニ、ム……?」
どうしてその名を。いや、魔族なら知っていて当然なのか?
ぼくが困惑していると、女はわざとらしいくらい大きなため息をついた。
「ったく、いい加減気づきなさいよ。アタシよアタシ」
その衝撃をどう言葉にしていいか分からない。
言えるのは、確かにぼくはそれを見たということ。
――真っ赤な髪をした女の姿が書き換わり始めた。
まるで砂をかけられたみたいに全身をノイズが覆い、少しずつ、部分部分に彼女の姿が変化していく。
まずは目。鮮やかな赤は消え失せ、瞳も白目もほぼすべてが黒く染まる。現れたそれは、黒目がちというには少し度を超えていた。
つぎに腕。元々華奢だったそれは今までにも増して細くしなやかになり、色もさらに白くなる。
つぎに服。簡素な布の服はより体にフィットした真っ白なものに置き換わり、その上から純白のケープがかけられる。
それから脚が細く引き締まり、赤の抜けた髪が銀に変わり、顔の骨格も音もないまま書き換わり――その正体をぼくはようやく知った。
「コンズ……!」
包帯の怪物、ガラードに次ぐ強者とされる魔族。魔王に繋がるバンリネルと会うことを許された、たった二体の魔族の片割れ。前に一度ガラードやハイマンたちとぼくを襲い、死の寸前まで追い込んだ。
それが今、つまらなそうに唇を尖らせぼくを睨んでいた。
「何よその反応、白々しい。もしかして今度こそ本当に偽物だったりする?」
そう尋ね、彼女はふんと鼻を鳴らす。
「そんなわけないか。アンタ魔王様に喧嘩売ったんだもんね」
まさかこんなところで出くわすなんて。しかも魔王との件も知っているときた。ミィチや倒れた人たちを守りながらになるけど、ここで戦うしかないらしい。
ところがコンズは身を翻し、軽い足取りで空洞の出入り口に向かい始めた。
「えっ?」
「勘違いしてるみたいけど、アタシはアンタ殺すのとか興味ないから。喧嘩なら他所でやってよね。それじゃ」
「え、ちょ、待てっ!」
「イヤよ」
「!」
ひょいと音もなく跳躍し、コンズは姿を消した。
ぼくは空洞を飛び出す。けどその先にコンズの姿はなく。
眼前には、大岩に照らされた石造りの町が、ただ当たり前のように広がっているだけだった。