27. 震えるほど寒い朝
ヘレナとミィチが孤児院を発ってから三十分ほどが経った。寄り道しなければとうに戻っていていい時間だ。
ぼくは一人、大岩の元へ向かっていた。念のためだ。まさかこんな時にまで寄り道しているわけもないし……何かあったのかもしれないと思ったのだ。
孤児院の皆も心配だけれど、あれだけ人数がいれば襲われる恐れは少ない。逆に言えば、たった二人の彼らはいつ狙われてもおかしくなかった。
今はとにかく先を急ごう。
険しい崖を一息に飛び越え、最短距離で大岩を目指す。大岩に直接手を触れられる崖の上を。
どうか無事でいて……そう願いながら、同時にいつでも戦えるよう準備をする。手の先から腕を生やし、その先で掌から火花を散らし、もいだ腕を念力で吹き飛ばす。既に移動のため体重もかき消している。全て問題なし。魔術の勘は鈍っていないらしい。
大岩の傍にたどり着く。近くで見ると本当に大きい。それに暑い。今にも押し潰されそうな迫力があった。
ヘレナやミィチの姿はない。争ったような形跡も特になかった。もしかして、ただ寄り道をしているだけなのだろうか。
そう思って引き返そうとした時、近くの岩壁に洞穴を見つけた。こんなところにはいないだろうと思いつつ、一応中を覗いてみる。
「……って」
いた。まさか本当に見つかるとは。
暗い穴の中、ヘレナが横たわっている。こちらに背を向け、縮こまるようにして寝ていた。朝が弱いのは知っていたけど……。
「もう、ヘレナ。こんなところにいたら危ないよ」
四つん這いになって穴に入り、肩を揺するべくヘレナに手を伸ばす。そして気づいた。
がちがちと歯のかち合う音が聞こえる。ヘレナの体は異常なほど震えていた。
「ヘレナ!」
慌てて呼びかける。彼女はひどく緩慢な動きでこちらに顔を向けた。
「ラージュ……なんで」
「何があったのっ? どうしてこんな震えて……!」
例の犯人に襲われたのだ。そうに決まっている。
ところが、告げられた事情はまったく違っていた。
「平気。いつものことだから」
「いつも? それって」
「魔力を使い切っただけ。大岩を光らせた後はいつもこうなるの。……見られたく、なかった」
話している間もヘレナは何度も身震いし、時には辛そうな呻きを上げる。肌は極寒の地に薄着で投げ出されたように血の気を失っていた。
魔力を失っただけで、こんな。
いや、思い当たる節はある。魔族の丈夫な、そして苦痛に鈍い体でも、体が内側から底冷えするような嫌な感じは確かにある。今まで考えもしなかったけど、人の身には相当な苦痛になるのかもしれない。
三十分以上が経っているというのにまだこの震え。魔力を出し切った直後はもっと……。
「皆は知ってるの?」
問うと、ヘレナは小さく首を振った。
「サーネル様とミィチだけ。キャシィはよっぽど上手く隠してたんだね」
やっぱり、そういうことだったのか。じゃなきゃ、こんなこと続けさせるわけがない。
「話そう、みんなに」
「だめ!」
ヘレナは叫んだ。青ざめながら起き上がり、すがりつくようにぼくの腕をつかむ。
「絶対言わないで。大岩が捨てられちゃう。それだけはだめ!」
「だけど、ヘレナがそこまで……」
「上は危ないんでしょ! 怖い魔族がいっぱい出るんでしょ! お城だって簡単に壊されるって!」
「それは」
言い返せなかった。ここに来るまでどれだけたくさんの苦しみを目の当たりにしたか。その数なんてとっくに分からなくなっている。
「誰にも死んでほしくないの! 本当はミィチにだって、上に行ってほしくなかった。だから絶対、誰がなんて言ったって、大岩は光らせ続けるから!」
寒い、寒い、寒い。まるで泣き叫ぶみたいに、彼女の体は震え続けている。それなのに彼女の言葉には強い意思が宿っていて、どうしてミィチが沈黙を選んだか嫌でも理解してしまう。
ああ、そうか――ようやく納得する。
だからサーネルは世界を変えようとしたんだ。涙を流させることなく、この寒さを消し去るために。
彼は危険を顧みず魔王に挑み、命を奪われた。だけど死の寸前までヘレナを想い、彼女の未来を運命に委ねた。ぼくの魂を自分の体に入れる形で。
とても身勝手で、説明不足もいいところで、とても、愛に満ちていて。
「分かったよ、ヘレナ。誰にも言わない」
震える彼女の瞳を見据え、ぼくはいった。
「だから待ってて。必ず世界を変えてくるから。皆が上で暮らせるように」
それがサーネルの意志だった。それを託されたことをぼくは光栄に思う。
赤い瞳がぼくを見る。大きく見開かれたそれは、何かを思い出すように彼女の最愛の魔族を映した。
「サーネル、様――」
「うん。これは、サーネルの誓いだよ」
彼の誓いはまだ破られていない。そしていずれ果たされるだろう。何故ならぼくがここにいる。
「……ありがとう、ラージュ。……サーネル様」
ヘレナは微笑む。何かを抱きしめるように胸に手を当て、目を閉じた。
その時彼女が浮かべた表情をぼくは知らない。きっと、サーネルだけに向けられるべきものだったから。
なんとなく洞穴を出るべきかと思い、ぼくは再び地面に手をつき四つん這いの体制で後ろに下がる。そして、今さらながらに気が付いた。
「あれ? そういえば、ミィチは?」
「――え?」
そう。彼女の姿が見当たらなかった。
町を駆け回る。ミィチの名を呼びながら、端から端まで回ってその姿を探す。
「見つかった?」
「いいえ。町にはいないのかしら」
合流したプリーナが息を切らせて首を振る。ここへ来る時、彼女にも孤児院のみんなと一緒に出てきてもらっていた。たくさんの人が出歩く町にいたほうが子どもたちも安全だ。
「クリスターニュなら見た、って何人かに言われたのだけれど。誰かしら?」
「クリスターニュ……?」
聞き覚えがない。というかミィチと関係あるのか?
「とにかくもうちょっと探してみよう」
ぼくたちはもう一度二手に分かれる。ヘレナの話では、ミィチはあの洞穴の外で見張りをしていたらしい。それがいつの間にか消えていたというのだ。
あの状態のヘレナを置いて離れるなんて絶対におかしい。何かあったに違いなかった。けどどこを探せばいいのか見当もつかない。町か、森か、崖の上か。それすらも分からないのだ。
このままじゃミィチが――。
心ばかり焦りながら民家のまばらに建った道を走っていると、今度は前からヘレナが走ってきた。無理をしないでと言ったのだけど、探すと言ってきかなかったのだ。
「ミィチは?」
「だめ。いない」
立ち止まると、彼女は涙をこらえるように顔を歪めた。
「あたしのせいだ。あたし、傍にいたのに……」
「違うよ! あの体じゃどうしようもなかった! それより今はミィチを探さなきゃ」
「……うん」
頷き合うと、ぼくらはすれ違うように再び走り出す。
そこでぼくは一度だけ立ち止まり、彼女を振り返った。
「あ、そうだ。クリスターニュって知ってる?」
「え?」
「プリーナが言われたらしいんだ。クリスターニュなら見たって」
ああ、と納得したようにヘレナは頷く。
「あたし。キャシィのことだよ。キャシィのフルネームは、キャシィ・クリスターニュっていうの」
なるほど。それは確かに見てるはずだ。今こうして走り回っているのだから。
唯一得られた話の真相に肩すかしを食らいつつ、気を取り直してミィチの捜索に戻った。




