25. 単純なこと
子どもたちと孤児院に戻ると、ミィチが囲炉裏の前で鍋をかき混ぜていた。
「なんだ、早かったな」
立ち上る匂いに子どもたちは目の色を変える。すぐに一日の二番目の食事が始まった。
ウナはベッドに倒れていた。ぴくりとも動かないから心配になったけど、突如豪快ないびきが聞こえて胸をなでおろす。
「ウナさん、どうしたの?」
「いつものことだよ。何人も病人を相手にするとどうしてもな」
ミィチが答えた。
彼の言う通りらしく、子どもたちは気にせず出されたごはんを頬張っている。ウナに似た豪快な食べっぷりだ。これが日常の光景であることが見て取れた。
いつも……倒れるほどの疲れが毎回、か。
確かに老体に鞭を打つような仕事だ。それに彼女の魔術は自身の生命力を分け与えるというものらしいし、その疲労の濃さは余人には計り知れない。
思えばウナも食糧を作ったり病人を治療したり、やることがたくさんだ。町長でさえ頭が上がらないのも頷ける。彼女もまた、この町の救世主であるのだろう。
「さて、と。それじゃあウナを頼むぜ」
ミィチは腰を上げ、扉に手をかける。どこかへ出かけるようだった。
「あとでメシを食わせてやってくれ。たっぷりとさ」
「あれ? ミィチは?」
うさぎ顔の少年はわずかに振り返り、短い鼻をひくりと動かした。
「もう一度町に行ってくる。犯人探しは順調か、気になるだろ?」
食事と片付けが終わり。
ぼくはウナが眠るベッドのそばに座っていた。子どもたちは外へ遊びに出ている。ヘレナもそれに混ざっていった。
あの子たち、朝から働いてきたはずなんだけど……。
「ごめんなさい。わたしまで」
プリーナは元気と言いつつやはり本調子ではなかったらしい。ウナの隣で横になっていた。
「ううん。ゆっくり休んでね」
こくりと頷きプリーナは目を閉じる。途端に静まり返ってしまった。
ウナが起きるまではやることがない。ぼくはベッドに腕を置き、意味もなくウナの顔を眺めた。
やっぱりおばあちゃんに似ている。性格は全然違うけど、寝顔だけ見ると別人とは思えないくらいだ。いや、さすがに本気で間違えるほどではないのだけれど。
……おばあちゃん。
小さい頃、よく頭を撫でてもらった。ただ膝に抱き着いただけなのに優しい笑顔を向けてくれて……当たり前に愛情を向けてくれるのが嬉しかった。
「おばあちゃん――」
「なんだい?」
ぼくはびくりと肩を跳ねさせる。まさか声が返ってくるとは思っていなかった。
ウナの目があいていた。寝ころんだままで視線をぼくに向ける。
「あ、いや」
「そうかい。いきなりで悪いがねえ、ごはんを食べさせてもらえないかい」
「ちょっと待っててください」
囲炉裏に近づき鍋を見る。湯気は立っていないけど、触るとわずかに熱が残っていた。温め直すべきだろうか。ちょうどいいと言えばちょうどいい温度だけど。
ぎゅるるる、とお腹の鳴る音がした。
「早く……して、おくれ……」
「ウナさんっ?」
失神寸前みたいな声に、慌ててお皿を持っていく。つぶしたじゃがいものような料理を山盛りにしてスプーンを差し込んだ。そして一すくい。ウナの口元へ運――。
「美味い!」
――運ぼうとしたはずが、既に食べられていた。
「仕事あとの一口目は格別だねえ! はい次!」
「は、はいっ」
ぼくはまたスプーンを山に突っ込む。すくってウナに差し出そうとするとまたしても気づかないうちに消えていた。
「次!」
「はいっ」
「次!」
「はい!」
「次ィ!」
「はいいっ」
休む暇もない。あれ? でもなんかちょっと楽しい。看病のつもりがわんこそば大会みたいになっていた。
「ふう。もう満足だよ」
ウナは心地よさそうにお腹をさする。けっきょく鍋は空っぽになってしまった。五人分は残っていたはずなのに。
年老いた見た目からは想像もつかない食べっぷりに半ば呆気に取られていると、ウナはちらと皿から目を上げた。
「で、さっきの『おばあちゃん』というのは」
「あれは……ウナさんのことじゃなくて」
「分かっとる。あんな顔をわしに向ける道理はないさね」
顔? どんな顔をしていたのだろうか。
憂いの眼差しを受け、ぼくは何と返していいか分からなくなった。
その困惑に気づいてか、ウナはふと表情を緩めた。
「なんだかねえ。アンタを見ていると無性に頭を撫でたくなるよ。ちょっとだけ、いいかい?」
ぼくは目をぱちくりする。戸惑いぎみにこくりと頷き、頭を差し出す。
「えっと……はい」
手が乗った。
ぽん、ぽん、と優しく触れられ、頭のてっぺんを撫でてもらう。軽く触れられているだけなのにとても心地が良くて、じわりと胸の奥が温かくなった。
何故だか泣きそうだ。でも頬はほころんでいる。ふしぎな気持ちで顔を上げると、自然とぼくは口を開いていた。
「あの……一度だけ、おばあちゃん、って呼んでもいいですか?」
ウナはわずかに眉を上げると、何でもないことのように、軽く微笑み答えてくれた。
「なんべんでも呼びな」
心臓がきゅっと鳴る。喜びと緊張がいっしょに沸き上がった。
なんとなく正座をして、膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめる。
「おばあ……ちゃん」
呟き、ひざに視線を落とす。
ぼくは、何をやってるんだろう。
はっきり声に出したせいか、現実に押し戻されたような気持ちになる。勝手にウナとおばあちゃんを重ねて、身勝手な思いに巻き込んで。こんなことをさせられて、ウナもいい迷惑だろう。
急に怖くなった。顔を上げられない。正座したまま、罰でも受けているみたいにじっと固まる。
でもウナは、そんなぼくの頭をまた撫でてくれた。
「いいもんだねえ。そんなふうに呼ばれるのも」
恐る恐る目を上げると、そこには、ウナらしい豪快な笑みがあった。
「どれ、もう一度呼んどくれ」
ああ、そうか。ぼくは別に、二人を重ねたわけじゃなかったんだ。もっと単純なことだった。
「――おばあちゃん」
うん、単純だ。
ぼくが望んだのは、これだけのことだったらしい。
子どもたちを連れてミィチが駆け戻ってきたのは、それから数分後のことだった。
「ねーねー、なんでお外出てちゃいけないのー?」
「またすぐ出してやるから。みんな揃うまで待っとけよ」
ミィチは子どもたちにそういうと、ぼくたちのほうは見もせずに出ていこうとする。
「どうかしたの?」
ぼくが声をかけると、扉の前から顔だけこちらへ向けてくれた。よほど急いで帰って来たのか、灰色の髪はボサボサで、どこを通ったのか花までくっ付いている。
「後で話す」
「まあ待ちな」
ウナがベッドから起き上がり、ミィチを手招きする。
「急いでるんだ」
「髪を直すくらいの時間はあるだろう?」
「……分かったよ」
ミィチはため息をつき、低い鼻をぽりぽりとかく。ウナの隣に腰を下ろした。
「アンタも女の子なんだから、髪くらいはきれいにしとかなきゃねえ」
子どもが取ってきてくれた櫛を受け取り、ミィチの髪を整える。最後にくっ付いていた白と紫の花を使い、可愛らしく髪を飾る。
「きれいにしたって死んだら終わりだろ」
「アンタはまた」
「おっと、言い合いしてる暇はないんだ。じゃ、もう行くぜ」
……ん? ぼくは首をかしげる。
ミィチは腰を上げ、今度こそ扉に手をかけた。その背中に再び声をかける。
「あの……聞いていい?」
「なんだよ」
「ミィチって、女の子なの?」
「あ?」
ドスの利いた声が返ってきた。心臓が飛び跳ねる。
ま、まずい。聞く相手を間違えた。
「いっ、いやその」
「隠してないけど」
「そ、そうだよね。ごめ……」
「隠してない」
「はい……」
「隠してないからな」
土下座した。
直後、後ろでウナが耐えかねたように笑いだす。
「アンタでも勘違いまでされたら怒るんだねえ。これに懲りたらちゃんときれいにすることさね」
「けっ」
「ミ、ミィチ、本当にごめ……」
「あ?」
「ごめんなさいっ」
土下座継続。
でも、そうだったのか。まさかミィチが……。
「で? アンタは何をそんなに急いでるんだい?」
ウナが話を戻した。
「だからそれは後で……まあいいか」
ミィチはうんざりしたように言ってから、灰色の瞳でぼくたちを見据える。
そして、しごく簡潔に答えた。
「町のやつがやられた。今度は同時に三人だ」
それ以上の説明は要らないだろうと、ミィチは今度こそ外へ出ていく。
事態を飲み込めていない子どもたちがふざけ合う声を聞きながら、ぼくたちはただ、突如もたらされた事実に目を見張っていた。