24. 恋人つなぎ
たくさんの服が風に揺れている。
木と木の間でぴんと張った紐に、ローブやマント、麻の服、色あせた布などが吊るされていた。
「これで全部ね!」
プリーナが気持ちよさそうに伸びをする。木漏れ日を受けた笑顔はとても満足げだ。
「お姉ちゃんありがとう」
「ありがとー!」
子どもたちが口々にお礼を言ってくれる。抱き着いてきたりぴょんぴょん飛び跳ねたり、子どもらしい仕草が微笑ましかった。
「うん。皆もありがとう」
ぼくは笑顔で答える。居候なのだからお礼を言われる立場ではないと思うのだけど、純粋な瞳を向けられたせいか、自然と素直に頷いていた。
「サーネルー! 最近変だけど優しいー!」
「へ、変じゃないよ。いつも通りだよ」
「ふうん」
さすがに苦しかった。けどさほど気にしてはいなかったらしい。子どもたちはバタバタと孤児院の方へかけていってしまった。
「あの子たちといると、何をしていても賑やかで楽しいわ。離れがたくなってしまいそう」
ぼくも同じ気持ちだ。ここでの暮らしは心が休まる。騒がしいのに穏やかで、ふしぎな感じだった。
ぼくははるか高くの大岩を見上げる。真昼のような明るさが地底に戻ってから一時間ほど経っていた。ヘレナはまだ戻ってこない。いつものことらしいけどどこに行っているんだろうか。今朝はごはんも食べずに出て行っちゃったし。
「ああー! ティティ、待ってー!」
「ん?」
ぼくはプリーナと目を合わせ首をかしげる。大型の機械が走っているみたいな振動が足に伝わってきた。
「ぐえええええ!」
孤児院を回り込むようにして巨大な木箱が現れる。箱についた強靭な太い紐をくわえ、ティティがまっすぐ突っ込んでくる。ぼくたちのほうへ、一直線に。
箱には何が入ってるんだろう、引きずられる音を聞くだけで相当重たいと分かる。ティティはすごいなあ。伊達に筋肉付けてるわけじゃないんだなあ。三人乗っても重さを感じる素振りすら見せないだけのことはある。
っていうか、完全に逃げ遅れたね。
「おわあああああっ」
何故かぼくだけ吹っ飛ばされた。
「さ、サーネル? 大丈夫?」
「は、はひ……何とか」
「こらー! ダメだよティティ! 大事な商品なんだからね!」
ティティの後を追ってきた子が腰に手を当てる。子どもながらすらりとした印象の女の子で、孤児院一のしっかり者だ。
「商品? その箱の中身かしら?」
プリーナが尋ねる。
「はい。これから町で売りさばくんです! いつもはミィチが魔術で運んでくれるんだけど、今ウナといっしょに病気の人の治療に出かけてるから」
「そう。こんなに早くから」
それでティティに運んでもらおうとしたわけか。それはいいけどなんで突進されたんだろう。
「そういうことならぼくが持っていくよ」
「え、いいの! けっこう重いよ?」
「任せて。その代わりちょっとだけ時間をもらっていいかな」
「いいけど、どうするの?」
「試したいことがあるんだ」
実は最近ひそかに練習している魔術がある。まだまともに使えたことはないのだけど、ようやく少しだけ光明が見えてきていた。
漠然とやるよりも用途が明確になっていた方がサーネルの感覚を引き出しやすい気がする。プリーナを助けるため腕を生やす魔術を発動した時も、マイスから逃れるため体重を減らす魔術を発動した時も、驚くほど呆気なく力を使えた。
その二つと比べると切羽詰まった状況ではないけど、何もないよりはいいだろう。
「じゃ、向こうで皆と待ってるねー!」
女の子が駆け去っていく。軽く手を振り見送ると、ぼくは三メートルはあるんじゃないかという大きさの木箱に近づいた。
ぼくが意識を集中させているのを察してか、プリーナは黙って見守ってくれる。ぼくは深呼吸して箱に手をかざした。
「んー……」
難しい。中々感覚のイメージがつかめない。
とにかく集中して、魔力を――。
「ぐぇ」
「……え?」
大人しくなっていたはずのティティがおもむろに立ち上がり、再び紐をくわえる。馬のお尻よりなめらかでたくましい後ろ足がわずかに肥大化する。
「あの、待って。ティティ」
「ぐえええええ!」
「待ってってええええ!」
雄たけびとも呼べる鳴き声の直後、ティティが走り出――。
さなかった。
「ぐえっ、ぐぇ? ぐえええ!」
どれだけ引いてもびくともしない。それどころか箱はぼくのほうへと近づき掌にくっついてしまう。
「で、できた……?」
もしかして、とは思ったけど自分でも半信半疑だった。
わずかに手を引く。木箱が引っ張られるように動いた。重さは感じない。箱の方が勝手についてくる。そんな感覚だ。
どうやら本当に習得できたらしい。サーネルの新たな魔術を。
メニィから聞かされていた最後の魔術。近くにあるものを触れずに、自由な方向へ動かす力――俗にいう念力だ。
「赤いのと青いの二十個ずつちょうだい!」
「ありがとー!」
「エバキノコ三十個!」
「はいはーい!」
「おーい、これちょっと潰れてるぞ負けてくれ!」
「どうせ潰して食べるんでしょ! 変わんないよ!」
「百個買うからおまけで一個くれないかね!」
「なーに言ってんの! 十個くらい持ってっちゃって!」
大量に並んだ木箱を前に、人々が我先にと声を上げている。
熱気がすごい。皆の形相もすごい。この中に入って買い物をするにはある程度訓練が必要かもしれない。微塵も押される気配のない子どもたちに尊敬のまなざしを送る。
「こういう光景、久しぶりだわ」
道端の木に背を預けたプリーナが微笑ましそうにつぶやく。確かにこの様子は彼女の町で見た市場と似ているかもしれない。
子どもたちが売っているのはウナさんと子どもたちで育てた作物だ。子どもたちが種から丁寧に育てたものを、最後、ウナさんの魔術で一気に成長させる。そうすることで味がよく栄養たっぷりのものを迅速に生み出せるそうだ。
「なあキミ」
一人の青年が声をかけてきた。もう買い物は済ませたらしく、果実が山盛りになったカゴを腕に抱えている。
「見てるだけじゃなくて何か売っておくれよ。旅してたんだろ? じゃあなんか珍しいモンはあるよな」
「えっと……」
ぼくから何か買おうという人が現れたのは予想外だった。魔族相手に、変わった人もいるものだ。
けど木箱を運ぶのに手いっぱいで物なんて……いや、ひとつあった。
片手の先から腕を生やし、もぎ取る。
「これ、焚き木の代わりになるんですけど」
「へぇ、そりゃ面白……いや気持ち悪いわ!」
返す言葉もない。
「まあいいか、もらっとこう。お代はこれで」
腕と果実を交換する。あまりに異様な光景だった。
けれど、もらった果実はけっこう美味しかった。
「ねえサーネル。町に出てきたのだし、せっかくだから見て回りましょう」
「そうだね。何があるかな?」
プリーナと連れたってその場を離れる。
大売出しの戦場を抜け出ると、途端に人々の視線を感じるようになった。さっきまでは売り物が注目を集めてくれていたけど、本来ぼくらはいるだけで目立つのだ。
お店の立ち並んだ通りに出て、ぼくたちはいったん立ち止まった。
革袋のお店に靴屋に帽子屋、剣の鍛冶屋に料理包丁のお店まで、専門店がたくさんある。その一部は建物の前に商品を並べていて……傍に立つ人が決まってこちらを睨んでいる。
一瞬も目を離してもらえない。警戒心むき出しという感じだ。まあ、事件も解決していないし無理もない。
しょうがない。突き刺すような視線は我慢して、さっさと買い物を――。
「おい、あんた」
気づくと後ろにまんまる体型の男性が立っていた。殺気に近い威圧的な視線を直に受ける。
その手には、帽子が二つ。
「旅してんだってな。なら帽子はあったほうがいい」
「え? いや、そういうのは」
「まあ待ちなさい」
今度はいきなり肩を叩かれた。
「帽子の前に靴だよ靴。靴は旅人の命を救うってね」
「お待ちください。クツも大事ですが今の時代は宝石です! ウチのものを使えば魔術の質を上げてくれますよ」
「旅には美味い飯だろう! それにゃあ良い包丁がいる! だったらウチで買うのが一番だぜぇ!」
「えっと、ちょ、ちょっと待ってくださ……」
「よっしゃ毎度アリィ!」
「ええええっ?」
帽子屋の男性をきっかけにしてどんどん人が集まってくる。いつの間にか囲まれていた。
狙われてる! 完全に狙いを定められてる!
「これも買いなよ!」
「ついでにこいつも!」
「ウチのは高くつけとくよ!」
「ひっ、ひぃぃっ?」
カモにされる! 有り金全部持っていかれる!
……あ、でもそういえば。
「ぼくお金持ってないんだった」
景色が固まる。ぼくの視界を埋め尽くす人々が氷漬けにでもされたみたいに静止した。
数秒後、人々は霧が晴れるみたいにそれぞれの持ち場へ戻った。何事もなかったかのように普段通りらしい商売を始める。
こ、殺されるかと思った……。
「サーネルお待たせ」
いつから消えていたのか、遠くからプリーナが駆けてくる。
「向こうで靴の修繕屋を見つけたの。皆を引き付けていてくれて助かったわ」
「そ、そう。よかった」
そんなつもりなかったんだけどね!
「さあ、行きましょう」
「うん」
プリーナに手を引かれ、彼女の言うお店へ向かう。
でも、ふしぎだ。ぼくは魔族なのに……事件だって起きたばかりなのに、まるで普通の旅人みたいに話しかけてもらえる。これまでの旅の中では考えられないことだった。
それから数時間が経ち――。
ぼくたちは子どもたちと帰路に着いていた。空になった巨大な木箱を再び念力で引く。正確にはプリーナや子どもたちの買ったものが入っているのだけど。
「思ったんだけど」
ぼくは歩きながらプリーナにいった。
「お金を使うんだね、この町も」
「普通じゃないかしら?」
「なんていうか……この町だけで助け合うならお金じゃなくても何とかなるかなって」
「でも、いつかは必要になるわ。いつまでもこの町で過ごすわけではないでしょう?」
プリーナは当たり前のように答えた。
「だって、世界は平和になるもの」
ぼくはわずかに目を見張る。それは楽観でも強がりでもなくて――彼女の覚悟を、改めて知らされる思いだった。
「そっか。……そうだよね」
ぼくは頷き、笑った。
「ねえねえ。サーネル、プリーナ」
そばを歩いていた銀髪の男の子が、ぼくとプリーナの手を取った。
「なあに?」
「どうかした?」
こくりと頷き、男の子はぼくらの手をつながせた。
「仲良し~!」
「へっ?」
「まあ」
かっと顔が熱くなる。大いに戸惑っていると、ヘレナがにゅっと顔を出しぼくたちの手を開かせた。お互いの指の間に指をはさむような形で握り直させられる。
「ヘレナっ? いたのっ?」
「恋人同士はねー、こうやってつなぐんだよ!」
「恋っ?」
こ、これは――! 手の平から指の間まで余すことなく……!
プリーナがくすくすと笑う。
「恋人ですって。そんな風に見えてたのね、わたしたち」
彼女はこちらに笑顔を向け、ぴたりと固まる。
多分、ぼくの顔が真っ赤だったから。
それを見て、プリーナの顔までみるみるうちに赤くなった。
「い、イヤだわサーネルったら。本気で照れることないでしょう? ああ、わたしまでっ」
お互い真っ赤っかになったぼくたちは、孤児院に戻るまでずっとにんまり顔の子どもたちに見守られ続けたのだった。