21. 町のやり方
昨日の就寝前、ぼくは少しだけこの町の人々について聞いた。
「逃げてきたのさ。命からがらねぇ」
ウナはそういった。子どもたちの前では話しづらいからと、孤児院裏の広場に出ていた。
「ここは五年前まで町じゃなかった。魔族に町や村を襲われて逃げてきた連中で作り上げたんだ。地底に眠る大岩のことを思い出してねえ。その時わしが孤児院を開いた」
ここへ来るまでに多くの人々が命を落としたという。この町の人々は多くのものを奪われてここにたどり着いたのだ。
「地底にまで魔族がやって来ることはめったにない。だからわしらは何とかここまで生き延びてこられた。何匹か迷い込んでくることはあったがねえ」
「その時はどうしたんですか」
ぼくが聞くと、ウナはつまらなそうに息を漏らし、踵を返した。
「殺したに決まってるだろう?」
魔族であるぼくには心臓が止まりそうなくらい強烈な言葉だった。
*
その日二度目の食事を終えた少し後。
取っ手の付いた壺の底から、シャワーのように水が撒かれる。
孤児院からわずかに離れたごく小さな丘で、銀髪の男の子が水やりをしていた。水を受けるのは背の低い木だ。細い紐がたくさん絡み合って一本の幹になったような、不思議な形の木だった。
ぼくの背より少し低いくらいなのに、幹はぼくの胴の何倍も太くしっかりしている。枝はなく、一番上は角のように尖っていた。
「この頭の先にお花が咲くみたいね。とってもとっても大きくて、宝石みたいにキラキラ光るのですって!」
隣でプリーナが碧い瞳を輝かせる。木のてっぺんに顔を寄せ、まじまじと角を見つめた。
「ぼくたちも見られるといいね」
「ああ、どんなお花なのかしら! 虹のような輝きもいいけれど、星空をぎゅっと詰め込むのも捨てがたいわ!」
彼女の瞳には既にいろいろな花が咲いているらしい。ぼくは正直ぴんと来なかった。見ればきれいだと目を見張るんだろうけど、想像だけではどうにも曖昧な気分だ。
どちらかと言うなら、こうして目を輝かせているプリーナのことをずっと見ていたい。いきなり何を言っているんだろうぼくは。
「あら? ねえサーネル、あの人」
「え?」
プリーナが指をさす。孤児院に人影が近づいているのが見えた。背丈からして孤児院の子どもたちじゃない。ウナは建物の中にいるはずだから、町からやってきた誰かだろう。
「あれは――町長、かな」
「え! 町長!」
銀髪の男の子が声を上げる。今朝ぼくを助けてくれた時みたいにまたウナへ報告するつもりなのだろう。だけどぼくはなんとなく、その腕をつかみ止めていた。
「離してよー! ウナに言いに行かなきゃ!」
ぼくは迷いなく孤児院に向かう町長を無言で睨む。じわじわと冷汗が噴き出した。
何か、嫌な予感がする。
町長は自ら孤児院の中へ入っていく。それを見ると男の子もきょとんとして動きを止めた。
「あれぇ? 自分で入っちゃった」
この子の疑問ももっともだ。今朝ここへは来るなとウナに怒鳴られたばかりなのに。
何か緊急の用ができたんだ。ぼくは確信する。
そうして、何も見逃すまいと固唾を飲んで孤児院を見守っていると。
背後に、足音を聞いた。
「なんで……ここに」
次に聞こえたのは若い女性の声。
ぼくは振り返る。ぼくの立つ小さな丘と、いくらか並んだ木々、それからその向こうの岩壁を注意深く見つめる。けど誰も見つからない。
「サーネル?」
「今、声が……プリーナは聞いた?」
「声? いいえ、聞こえなかったわ」
気のせい、だろうか。でもどうしても、驚きに息を飲むようなその声が頭から離れなかった。
「あ、町長出てきた!」
「ウナさんも一緒だわ」
言われて視線を戻す。確かに二人、何か話し合いながら建物を出てくるのが見えた。そのまま立ち止まることもなく孤児院を離れ、連れ立って町の方へ向かった。
「追いかけてくるー!」
男の子はそう言って駆けていく。今度は止め損なった。
「どうしたのかしら。今朝の調子と比べると少し変よね」
「うん。あまりいい予感はしないね……」
二人して胸騒ぎに頬をこわばらせていると、背後から声がした。
「殺しだってさ」
「うわあ! ミィチっ? いつから!」
「まあ聞けよ。今朝の話だ。町のはずれ――こっちとは反対側だな――そこで男が殺されたらしい。体をバラバラにされてな。そいつの妻も行方不明。今探し回ってるはずだぜ」
息を飲む。とっさには声を返せなかった。
こちらの世界にやってきてから死というものに鈍感になった感触がある。阿鼻叫喚の地獄を何度も目にしたせいだろう。魔族に乗っ取られた町の中で起こる悲劇には、前ほど心が動かなくなっていた。
けれど今、この町は平和だ。人々が当たり前に日々の生活を送っている。そんな中で聞く「バラバラ」という言葉は、奇妙に現実感を欠いていた。
「でも、こんなタイミングで」
プリーナが呟く。言わんとすることはよくわかった。ミィチも頷き、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「お前らに罪を着せようって考えた可能性はあるかもな。何せお前らは部外者だ。第一に疑われるのは間違いない」
その口ぶりからすると、ミィチはぼくたちが犯人でないと信じてくれているらしい。でもほっとする前にぼくはまた息を飲んでいた。ミィチの目が殺気に満ちていたから。
その殺気をそのままに、彼は頭を後ろに手を回し小さく笑みを浮かべた。
「ま、だからって根拠もなくお前らを犯人にはしないさ。きれいごとを抜きにしてもだぜ。なんでか分かるか?」
ぼくは答えられなかった。考える余裕もなかった。
ミィチは怒っている。驚くほどに激しく。
声は普段のまま。笑みも柔らかい。なのに灰色の瞳は氷のように冷たく光り、触れれば指を断たれてしまいそうだった。
そうして――ぞっとするほど静かな炎を覗かせて、ミィチは微笑んだ。
「町の人間に手を出したやつは確実に殺す。それが町のやり方だからだよ」