20. 冷たい視線
太陽の町に夜はない。とはいえ皆が寝静まる時間帯は存在する。
地底の天井で光る大岩は、一日中全く同じ強さで光るわけではない。ヘレナによって魔力を注がれた時最も明るく町を照らし、その直前は最も暗い。地上で言えば夕暮れ時の明るさだ。
人々が目覚めだすのがその少し手前。ヘレナは寝起きが悪いから、彼女が最初の食事を終えて太陽を明るくした頃には、おおよその人々がそれぞれの一日を始めていた。
「まあ! サーネルったら、その頭!」
少し外に出ていたぼくは、孤児院に戻るなりプリーナに驚かれた。
ぼくの頭から大量の花が飛び出ていたからだ。
「子どもたちに……ね」
ここの子たちは朝早くから外に出て、水を汲んだり洗濯を始めたりと働き始める。それに付き合ってついていったのだけど。
道端や花畑に生えていた花を見るなり女の子たちがぶちぶちと引っこ抜き始め、互いの頭に茎ごと差し込みだしたのだ。さながら突き刺さった弓のように。気づけばぼくも巻き込まれていた。
こういうのって花輪を載せられるとか、もっと微笑ましい絵面になると思うんだけどなあ。
ベッドで寝るプリーナの隣に座っていたミィチは、驚く代わりにぷるぷると震えて笑い出す。
「けど……クク……けっこう似合ってるぜ」
似合っていないことがよく伝わるコメントでありました。言葉は奥が深いですね。
「女の子は綺麗なものが好きだねえ。ミィチは外を駆け回ってばかりだったけどさ」
ウナはやれやれとばかりに首を振る。腰が痛いとかで、彼女もベッドにかけていた。
「オレは体を鍛えてたんだよ。逃げ足早くなきゃいざって時困るだろ」
「またアンタは可愛げのないことを」
「はっ、そんなモンで生き残れたら苦労しないって話だ」
「そういうところを言ってるんだろうにねえ」
言い合いを始めてしまった二人に、ぼくとプリーナは目を合わせて苦笑する。
でも、なんだかほっとする。数日前に行動を共にした黒いローブの人たちとは空気が違っていた。
心を開けっ広げにされている。そんな感じ。自身の過去を明かすような、事実としての弱点や情報を見せるのとはまた違う――もっと生身の、温かさを伴う「隙」が、彼女たちにはあった。
同じ部屋で眠ることもできたし、ウナたちとの関係は良好といっていいだろう。
まだ別の問題は残っているのだけど。
「あれ。そういえばヘレナさんは?」
「あ? ああ……この時間はいないよ。大岩を見に行った後は、必ずどこかで寄り道してくるんだ」
ミィチは言い合いをやめて、軽い調子で答えてくれた。
……その声が少し曇っていたように感じるのは、ただの気のせいだろうか。
プリーナの元気そうな様子も見られたので、ぼくはまた外に出る。何か他にも手伝える仕事はないかと思ったのだ。
孤児院前の花畑に出た瞬間、それどころではなくなった。
「え? ……えっ?」
視線を感じる。それもたくさん。冷たい、突き刺すような視線を。
監視だ。昨日はやけにあっさり引き下がったと思っていたけど。
「お主が例の魔族か」
しわがれた声がする。しかして、次の瞬間。
雷が落ちるように、眼前にいきなり人影が現れた。
老人だった。ぴんと背筋を張った、すらりとした立ち姿の男性。
その、血管の浮き出た細い手が、ぼくの喉元に突き付けられていた。
「分かるな。お主は今、死んだ」
ごくりとつばを飲み込む。答える余裕なんてなかった。
総白髪で顔つきには貫禄があるのに、立ち振る舞いには一切の老いを感じさせない。時を重ね研ぎ澄まされた、白く閃く眼光にぼくは完全に飲まれてしまった。
「ウナの庇い立てを易々(やすやす)と無下にするわけにもいかぬ。ここでお主を斬るつもりは毛頭ない。だが一度、お主を悪と断ずれば――」
指の先が首に触れる。ぼくはもう、指一本動かせなくなっていた。
……怖い!
ぼくを信じてもらえていないのは分かっていたし、今すぐ戦おうってわけじゃないのは安心したけど、それは置いといて。
怖い! 迫力があり過ぎる! ちょっと涙が出てきた。周りからの視線も突き刺さったままだし。
「あー! 町長いけないんだー!」
「んむっ?」
声がしたかと思うと、孤児院の裏手から銀髪の男の子が駆けてきた。老人の肩がびくりと跳ねる。
「しーっ! これ! しーっ!」
……おや?
「しーっ、しないよ! ウナぁ、町長がー!」
「これこれこれこれ! おじいちゃん泣いちゃうぞ」
この焦りようは、一体。
というかキャラ変わり過ぎでは?
「なんだい町長! ここには来るなと言っただろう!」
「ぬぉっ? こ、これお主よ。忠告はしたぞ。努々(ゆめゆめ)忘れぬことだ!」
建物の中からウナの声が響いてくると、老人は脱兎のごとく逃げ出した。さっきまでの風格はいずこへ。
「これ町長! ……まったく、逃げ足の早いおじいちゃんだねえ」
扉を思い切り開けてウナが出てくる。ぼくは目をぱちくりした。
「あ、あの町長があんなに……」
呆気に取られていると、ウナはからからと笑った。
「ここじゃ貴族も庶民もないからねえ。人助けさえ怠らなけりゃ、強く出たもん勝ちなのさ」
たくましい。ずいぶん簡単に言うけどこのレベルでは真似できそうにない。弟子入りしてもいいかな。
とりあえず危機というか恐怖の時間は去ったみたいだけど、未だ視線は残っていた。監視は続けるということだろう。
悪いことをする気はないし、そういう意味では痛くもかゆくもない。プリーナが休んでいる間だけのことだ。これくらいは我慢しよう。
むしろこれで引っかかりが消えてよかった。ウナにぴしゃりと言われただけで町の人たちがあまりにあっさり引き下がったから、今度こそ何か罠でも仕掛けられるのではと気が気でなかったのだ。
それにしても、とぼくは思う。
この町の人たちはすごい。魔族を庇い立てしたウナのことを信じられるなんて。
今だって疑われたのはぼくだけだ。警戒する心はちゃんと持っているのに、彼らは今もウナを慕っている。町長を見ただけだから全員がそうであるかは判断できないけど、未だ孤児院を襲う人がいないことから結束の強さを感じる。
この人たちなら。ぼくはわずかな希望を見出していた。
この人たちとなら、いっしょに戦えるんじゃないだろうか。特にあの老人、町長は強い。老体に鞭を打たせる事になってしまうけど、もし今後、他の土地で新たな仲間を得られなかった時は――。
悩める時間はあまりない。何せ、いつ人間と魔族の最後の戦争が始まってもおかしくはないのだから。
大陸中の人々が全て集結した時――おそらくその瞬間が、ぼくたちのタイムリミットだ。
*
若者は地面を這いつくばっていた。必死に背後の人影から遠ざかる。だが思えば、この時すでにタイムリミットは過ぎていたのかもしれない。
彼の体からはおびただしい量の血があふれ出していた。
傷口がどこかも分からない。外套は端から端まで血に染まり、土の床に擦れる度びちゃりと音を立てる。
彼のそばには口に布を詰められ縛られた若い女性がもう一人。傷はないが、目を見開き気が狂うのではというほど青ざめていた。
「クリスタ……な……ぜ」
その足首に杭が打ち付けられる。壊れた家具の散乱した部屋に、掠れた悲鳴が響き渡る。
「名前を言っちゃダメよ。誰かに聞かれたらまずいじゃない」
その”女”は舌なめずりすると、じっくりと「作業」を始める。
そう。それは作業。彼女にとってその解体は、この先に待つ悦楽を得るための手順の一つに過ぎないのだった。