7. 辱めの成果
2019/01/18 改稿しました
今回ちょっとエグイ話になってます。お許しを……。
行く先の分からない道を、呆然とした心地で進む。
谷を抜けた後、すぐに森も抜けた。視界は開け、遠くには山の連なりが見えている。満月を背景にしたそれは風流であったけど、新たな問題を抱えた今は気にも留められない。
ぼくは魔王の息子になった。全くもって意味不明だけど、事実なってしまった。立場だけじゃない。姿形まで魔族のそれと成り果てたのだ。つまり見知らぬ世界からの帰り道だけでなく、元の姿に戻る方法も探さないといけなくなったのである。
ぼくが一人頭を抱えていると、隣でパンと手を叩く音。
見ると、メニィが目を輝かせ山の方を指さしていた。
「この辺りに面白い村があるんですぅ! せっかくですしぃ、寄っていきませんかあ?」
彼女には珍しく、子どもみたいにキラキラとした瞳。
どうせイヤだなんて言えないぼくは、考えもせずにこくりと頷いた。その後、どれほど後悔することになるかも知らないで。
*
眼前に地獄が広がっている。
山間のごく小さな村だ。焦げた臭いのする痩せ細った土地で、骨と皮だけでできた今にも倒れそうな人々が土を耕していた。ぷるぷると足や腕を震わせて、必死の形相で鍬を振るう。
そこには、家畜の臭いがする小さな小屋が三軒と、だだっ広いばかりの何も生えていない畑があった。それ自体はさほど奇妙でもないのだけれど。
「こんな夜中に、何やってるの……?」
それがまず抱いた違和感。働く人々が異常なまでに痩せこけているのも気になる。
恐怖の色を隠すことも忘れ、ぼくが一面の地獄から目を離せずにいると。
鍬を振るっていた一人の老人がバタリと倒れた。途端、どこからともなくカラスにも似た黒い鳥が三羽ほど現れ、彼の上で飛び回る。老人は短く悲鳴を上げると、慌てて立ち上がり喉をひゅうひゅう鳴らしながら鍬を取った。
「魔族の日々の営みですよぉ」
メニィが答える。
「ほらぁ、見てくださぁい。みぃんなとっても苦しそうですよねえ」
「えっと……」
にたぁ……という粘ばり気のある笑みにどきりとして、ぼくは別の話題を探す。
「そ、それで、何を育ててるの?」
「え? 何もぉ?」
当たり前でしょうとばかりに目を丸くするメニィ。どうしても意味が理解できず、無言で首をかしげる。
するとますます驚かれ、しばらく半口を開けられてしまった。
「だって! だってですよぉ?」
気を取り直したような咳払いの後、熱弁してくれる。
「この苦労で何か育ったら勿体ないじゃないですかあ。なぁんの意味もなく働かされる彼らの顔が面白いんですしぃ。死なないように管理する方たちはとぉっても大変みたいですけど、お坊ちゃまだって、ご覧になっていて楽しいでしょう?」
「う……うん」
「ですよねえですよねえ!」
欠片ほども楽しくはないけど、こう答えるしかなかった。
息が詰まる。眼前に広がる光景。人々の激しい息切れ、呻き。直視なんてできるはずもない。助けて、助けて。耳にまとわりつくような幻聴を振り払い、踵を返す。
「も、もう行こう」
「あー! あー! 待ってくださいよ兄貴ィ!」
耐えきれなくなったぼくを引き止めたのは、メニィではなかった。
ドシン、ドシンと地響きが聞こえてきそうなくらいの巨体が、飛び跳ねるように駆けてくる。三メートルはありそうな、団子に手足をくっつけたような男だ。それが粗い目の布きれを胴に巻いている。顔や手足も丸っこく、そのくせ頬は骨ばって人相が悪い。
さすがにこれを見て人間と間違える者はいないだろう。
「こちらはボンですぅ。生まれた頃が近くて、お坊ちゃまによくくっ付いているんですよぉ」
「メニィの姐さん? なんで俺を紹介するんですかい?」
「今流行ってるんですう」
「なるほどォ! そんじゃあ姐さん俺にも俺にもォ!」
「ご覧の通りの頭な方ですねえ」
「よろしくですぜェサーネルの兄貴ィ!」
ボンはその巨体をぴょんぴょんと跳ねさせて喜ぶ。
あれ、思ったほど恐怖を感じない。メニィのような禍々しさがないのだ。化け物みたいな見た目だから驚きはしたけど、彼になら気を許せるかもしれない。
「うん、よろしく」
ぼくは人々の呻きを聞かないようにして、小さく頷く。
「あぁ、そうそう。ちなみにぃ、この村を管理してるのはボンなんですよぉ。これで意外といい腕してますでしょう? 仕事覚えるのに二十年かかりましたけどぉ」
「――え」
「いやあ、改めて言われると照れちまいますよォ」
ぴょんぴょんと走り出し感情を表現するボンに、ぼくは凍り付いた顔を向けないといけなかった。
この地獄を、彼が……?
「そうだ兄貴ィ! 実はもっと面白ェのがあるんでェ! ほら姐さんアレですよアレ!」
「アレですかあ、またやってみせてくれるんですねえ?」
「もちろん、何度だって見せヤスよォ! 待っててくだせェ!」
ボンはそう言うと小屋のほうに消え、比喩でなく五秒で戻ってきた。
その手には平の皿。どろりと血の滴る肉が乗っている。それを見た瞬間、強烈な吐き気がこみ上げ、ぼくは咄嗟に口を押さえた。
皿を持っていない方の手が、人の頭を持っていた。
「その肉――まさか」
足が、勝手に後ろへ下がる。
ボンを包む布きれは返り血らしきものを浴びていた。
得意げに笑ったボンは、大きく頷き、畑のほうへ走っていく。
「面白いのはこっからですぜェ! ――オイッ! オマエッ!」
鍬を振るう村人の一人を捕まえ、地面にひょいと投げ捨てる。その前に血まみれの皿を置いた。
「――まさか」
ぼくが青ざめたのと同時、村人は察する。その肉の正体を。
まさか、それを食べろとでもいうのか?
当然村人は首を振った。だからてっきりボンは、彼の口に無理やり肉をねじ込むのだと想像した。
だが――。村人の必死の抵抗は、そこまでだった。
痩せ細ったその男は、やがてぜぇぜぇと息を切らし、自ら肉へ手を伸ばしたのだ。
どこまでの空腹がそうさせるのか。男は皿に自分の顔を叩きつける勢いで肉を貪り始める――人の肉を。
「本当に食っちまいやがったァ! イーヒヒッ、こいつは何度見ても傑作ですぜェ!」
涙を流して血肉を喰らう男の前に、ボンはどさりと首を置く。何がおかしいのか、腹を抱えてゲラゲラと笑いだした。
「オマエこの肉が誰か分かってんでヤスかァ? 分かってヤスよなァ! そうだよォ、オマエの嫁さんだバァァァァカ! ゲヒヒヒヒッ」
ボンの愉快気な声が村中に響き渡る。狂ったように笑い出す彼を、ぼくはもう、見ていることすらできなかった。
「――なんで、こんな酷いことができるんだよ」
首を振り振り、大げさな芝居みたいに後ずさる。ダメだ、もうこんなところにはいられない。こんな連中と、一秒でも一緒にいたくない。
「あれ? お坊ちゃまぁっ?」
「あ、兄貴ィッ? なんでェッ?」
目を閉じ、頭を振り乱して逃げ出した。途中何かに躓き、地面に顔を打ち付ける。反射的に、足にぶつかったそれを振り返ってしまう。
地面に干からびた老婆が転がっていた。口を大きく開き、見開いた目に色はない。
「死っ……!」
掠れて声も出ない。プリーナに追われたあの時のように、否、それよりずっと情けなく、じたばたと走り出す。
助けて。助けて。声が聞こえる。耳をふさいでもふさいでも薄い泥みたいに入り込んで、しつこく救いを求めてくる。
ごめん、ごめん。無理だ。助けられない。助けられっこない。だってぼくは弱虫だ、卑怯者だ。ごめん、ごめん。
まとわりつく声を振り払うように泣き叫んで、ひたすらに情けなく地獄から逃げ出したのだった。
*
魔王の息子が山へと逃げ去った後、二人の悪魔が舞い降りる。
それは、毒々しく沸騰する水が寄り集まり、人のごとき形を成した怪物だった。顔には仮面をつけ、背からは蝙蝠のような羽を生やしている。
全身真黒、あるいは真っ白の彼らは、去っていくサーネルを見送り、こそこそと会話を始めた。
「ありゃ決まりっしょ! 噂はホントだったんスよ!」
黒い悪魔が興奮気味に言う。白い方は難しそうに黙り込んでいた。
「……フム」
「えー、まだ様子見っすか? ホント心配性すぎッス」
「相手はサーネル、魔王様の息子。慎重に慎重を重ねても足りないのだよ」
「動くなら早くした方がいいと思うんスけどねー」
「……無論。だが仕掛けるにしても無策というわけにはいくまい。奴の戦闘勘をもってしても攻撃を防げない、絶好の機会を狙わねば」
「まさかそれまで待てってんスかぁ? そりゃいくら何でも」
「否。――作るのだよ」
ニヤリと、仮面の口が歪む。あまりに不自然なその笑みは一種の滑稽さをたたえ、それを塗りつぶすほどの強烈な邪悪さを漂わせていた。